2011年12月30日金曜日

自然のなかの人間

今回の震災をうけて
この世のなかでは何が起こってもおかしくないということが
改めて実感されてくる

この穏やかな海が突如たけり狂い
その猛り狂った海が一瞬にしてひとの生活を飲み込んでいった

映像で見る流されるままの車や家の中には
自分らと等身大の人の命があったはずだが
画面から見えてくる姿は
まったく自然の前では無力な人の姿だった

この世の人工的な秩序は当然ながら人間が形作ってきたものだし
それは幾多の人々の英知と努力と研鑽の積み重ねの結晶であることは
疑いようのない事実である

といえど
ひとたび自然と対峙した時
そのひとびとの英知の結晶など
ひとたまりもなく消し飛んでしまうという事実を
直球で鉄槌のごとく実感させられた


人の動かす人のこの世において
何が起こっても
まったく当たり前のような気がしてきた

誰と誰が結婚しようと
誰と誰が離婚しようと
そんなのは当たり前のことであるし

どこの国とどこの国が紛争状態や
戦争状態に陥ることも
まったく個人の離婚と同じように
起こるべくして起こる
まったく想定の域を出るものではないということを
改めて感じさせられるようになった

人間が執り行うことなど
自然の猛威に比べれば
何とも瑣末なことどものように思えてくるし

それはあたかも
頭上から眺める蟻の大群の不可思議な行進のごとく
この自然からしたら
人間の行為など
本気になれば
人間が蟻の大群を靴ぞこで踏みにじることができるごとく
簡単に中断せしめることができるであろう

何が起こっても不思議ではない

この真実をわかりきって生きてゆくことが
これからは重要なことのような気がする

人間の行為の延長線上でしか
人間は社会生活を生きてはゆけない

だれかが暫定的な刹那の秩序をきめて
都度その秩序はその時に応じて
改変されてゆく


世界経済は混沌のようだ

その中で日本企業もほんろうされ
そのほんろうされるなかに
日本人の生活もある


何が起こってもよし

死ぬ時は死ぬとき

そう腹を決めて
自然には常に感謝して

自然の生物のなかの一種として
おごることなく生きてゆく


そんな人の一生を送ってゆけたらいい・・・

風邪気味で想う年の瀬の一つの感興

この年の瀬

なにかしら例年の恒例行事のように
年内の仕事がおさまって
さァこれから楽しい年末年始の休みだという時に
決まって風邪のような症状になる

頑健でもないが
それでもそれほど風邪などひかない体質であるはずであるのに
休みになると急に胃腸が痛み出し
鼻水が流出し
なにかしら熱っぽくなる

年末年始休暇を楽しみにしている
よめさんにはいつもなんとなく申し訳ない

そんな毎年の恒例のような年の瀬を迎えている

昨年から本年にかけての
この一年は短いようで
それでいて限りなく長い歳月が立ったような
何とも稀有な一年であった

この一年で
いろいろな価値観が変質したし
生死についてだれしもが直面せざるを得ない一年となった

だれしも歳をとるし
生身の人間は耐用年数が限られているので
だれしもがその時期になると
その命の炎を燃えつくし燃え尽きる

かわらずに在り続けるということは
あり得ず
無常なことが人生の覆しようのない姿なのだ

笑顔はその笑顔のまま在り続けることなどできえず
その活躍の物理的時間も限られている

盛者必衰なのは世の決まりごとなのだ


祇園精舎の鐘の声

諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす

おごれる人も久しからず
ただ春の世の夢のごとし
たけき者も遂には滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ


坂の上の雲のドラマも

秋山兄弟の
父が死に
母が死んだ

満洲の陸戦で多大な命が埋め草のように散っていったし
日本海海戦でも
敵味方幾多の命が対馬の海に散っていった

そして
日本海海戦のおおきな重責を担った
秋山真之も死んでいったし
頑健で一事のことに徹し抜いた
秋山好古もその命の炎を消していった

みな限られた命で
何事かをなし
そして静かに消え去ってゆくのだ


そんなことを想いながら
静かにこの平成23年の年の瀬を迎えている


来年は今年より
少しはいい年になってもらいたい

みなが笑いあえるいい年になってもらいたいものだ

2011年12月25日日曜日

旗艦三笠

最終回を前に
おとといの金曜日は
横須賀の三笠公園に行ってきた

日本海海戦での
東郷の連合艦隊の旗艦三笠である

東郷や加藤参謀長や秋山参謀が
敵前に臨んだ艦橋に立って
東郷になりきって東郷ターンの合図などをして
その空気感を感じようとした

その日は冬の典型的な天気で
とても寒く
うっすらと曇ってはいた

といえど当日の三笠には
それぞれに東郷や秋山になりきったようなおじさんがワンさかいたし
自分もそのおじさんの一人であった

長官室や幕僚室などが保存されてあったし
往時をしのぶ幾多の資料が展示してある

さて本日最終回の坂の上の雲である

大げさにいえば
生きているうちに実写で観ることができた幸福をつくづくと思う

本日天気晴朗なれども波高し

マインドマップ

当然のことながら
自分も人間であるから
人間の無限ともいえる幾多の可能性をすでに手にしているということは
おぼろげに自覚している

同時多発的かつ
複合的に日々脳内に起こる様々な想念を
もれなく重複なく記載する方法が
今までなかったため
せっかく沸き起こる幾多のすばらしきアイデアも
風呂の中の己が屁のごとく
生れるそばからはかなく損なわれていた

最近知ったマインドマップは
それを少しく解消してくれる
いいノート法のようだ

想念を1枚で表現できるし
重層的かつ同時多発でも
自由に記載できるのが強みだ

最近は
自分のそこはかとない考えを
自分なりにマインドマップ化したり
読んだ本を
一枚のマインドマップに変換したりしている

少しずついい方法を取り入れてゆくこと
これはいいようですな


●楽天的ありたいし
●素直でありたいし
●勉強ずきでありたい


その延長線上に自分なりの幸福な人生があるのであろう

MM【マインドマップ】
これ最近のマイブームとなりつつある

無理はいかん

夜のホルモンにそなえて
あさからスポーツジムに赴いた

あまり腹も減っていなかったので
朝食もとらず

まずはストレッチ

筋力ジムで筋肉をイタメつけ
ロードランナーで軽く一時間歩行運動

その間水分補給も忘れなかった

1時間半の陸上トレのあとは
プールに赴く

理不尽な会社の出来事をあれこれ考えながら
平泳ぎで1時間

ひと休む間もなく
水中歩行を30分

でジャグジーで足裏や腰マッサージを30分

ひととおり自分なりのプログラムをこなしたので
風呂にいって汗をながさんとしたとき

くらりと立ちくらみがして
立ち上がることができなくなった

危ないと思い
独り安静にして
水分を補給し
売店で売っている食べ物はソイジョイのみ
取り合えずそれを2本かって食うが
なんとも体がきつい

脂汗がひかないまま家に帰還

3時ごろ卵かけご飯とみそ汁でようやく落ち着く

仮眠をとって夜のホルモンに向かう

この教訓は
人間やはり適度に食べなければ駄目だということ

食べて動いて
それが基本中の基本

あぶない24日となった

やせるより健康が一番だ
無理はいかん

無理はいかんのじゃ

クリスマスとホルモン

今年のクリスマスイブは
近所の新しいホルモン焼き屋にいくことに決めていた

最近できたお店ゆえにあまりお客も少ない
といえど味は間違いない

10日ほど前
24日は予約できますか?ときいたら
店長さんがさも嬉しそうに
大丈夫です!当日は精一杯サービスします

ときた

当日の昨日
懐かしい友人をわが最寄り駅まで招き
18時過ぎに件のホルモン焼き屋に赴いた

サンタの格好をした
エグザイル風の店長がうれしげに
招いてくれた

1はいめはシャンパンサービスですといきなりきて
乾杯の音頭は
メリ~クリスマ~ス!

通常3点盛りサービス券をもらっていたので
それで発注すると
3点もりのはずが
10点盛りほどになってきた

店長自らもってきて
さ~ビスです!ときた

その心意気やよし

そのままうまい肉とビールで
クリスマスイブの夜は
なつかしくかつおいしいひと時となった

たらふく食って飲んでの
3人で一万そこそこ

人のつながりやよし
クリスマスやよし

と感じ入った次第だった

2011年12月11日日曜日

土曜日のきろく

7時前には目を覚まし
7時半に送り出す

布団を上げ
掃除機をかける

毛布を陽光に干し
空気清浄機はターボにする

一連の作業が完了し
散歩に出向く

イージートンのひもはしっかり結ぶ
足首への負担を未然に防ぐためである

朝の陽光に照りかえる海面がまぶしい
右手を見れば
冠雪した富士山がたたずんでいる


手を合わせ
静かに祈る

後ろをジョギングで走り抜ける人たちの表情も
とても柔らかだ

いろいろな問題を抱えながらも
肉体を実際に運動させているときは
プラス思考が自然と発生する

あらゆるものをシンプルに
それでいた必要なことはしっかり対処しながら
人生を一つ一つ生きてゆく

昼は神楽坂にて待ち合わせ
街並みに気品があり
立ち居並ぶ軒先は
それぞれ一度は行ってみたいと興味をひかれる

その一角のイタリア料理店に入り
チキンとパスタとピザとワインを発注

歩行数23000歩


夜は坂の上の雲を復習

2011年12月4日日曜日

白い富士山

本日は富士山が美しい

真っ白い雪をかぶり
新しい旭日に照りかえって
美しい

本日はまさに日本晴れ

こんな冬の朝

いい

身の引き締まる思いがする

不思議に思うこと

不思議に思うことの一つに
政治家という人たちは
かぎりなく雑多であるなあということがある

民主主義という近代が発見した
完成形ではないが
いまの世においては最善であると考えられている
この制度の上に立って
人々の善意の代表であるべき人たちの能力の低さである


いわゆる普通の常識をわきまえた幾多の人たちよりも
低劣なことである

人格を疑うという言葉あるが
こういう場合以上に使うにふさわしい場面はない


日本の防衛をになう最高責任者であるべき
防衛大臣にこんな低劣な男がなりえているというところに
民主主義のおおいなる欠陥がある

なんなのであろうか
この低劣さは!


こんな男を選んでしまう総理大臣に
ほんとに打算や妥協などなかったのだろうか

長年の政治家としての経験に基づき
などといっていたが
本当に本気で思っているのだろうか

このひとたちは
普通人より確実に低劣なただのおっさんである

おっさんはおっさんらしく
身の丈に合った質素な生活をしてくれなければならない

それが
民主主義のなにかの偶然で獲得したいまの権威に汲々としている
彼奴等は
犯罪者に等しい

無識無能の指導者は
犯罪者と等しいのである

日本というこの国を護るべき任にあるのが
防衛大臣であり
国家公安委員長なのである


こんな低劣な人間が
その立場に在るのは
本当に理解に苦しむのである


それを任命した男の責任も限りなく大きい

なんともこの国はどこまで強靭なのか

こんな奴らに右往左往させられて
大丈夫であろうか


ああ
嘆かわしい

可憐なるこの美しき国、日本。

ああ
どこに漂流してゆくのであろうか

近所にホルモン

いえの近所にホルモン屋が開店した

正確にいえば来週の月曜日の開店らしい

プレオープンということで
今週から営業しているらしい

プレオープンの売りは
肉類全品半額

となればあいさつにいかねばなるまい
ということで
土曜日の夕方にかるく出向いた

七輪にすみが入れてあり
電気やガスとは直結していない

つまるところ純粋な炭火焼である

まずは生ビール

ニンニクのオイル焼き
長ネギナムル

といって
さてと

ホルモン
テっちゃん
かしら

で状況をみる


いいではないか
うまい!

たれのバリエーションとして

ゴマ油に塩をいれて!

とたのみ
ホルモンをゴマ油に浸して
食らうとこれまたゼッピン


あとは
ホッピーとともに
しばし至福のひと時


プレオープンということで
こんなにうまいのに
客はまばらである


よくみると
バイトも当然ながらフレッシュで
対応に初々しさがある
つまり稚拙なのである

それをよこで
先輩社員がいろいろと指導をしていた


帰りシナ
がんばってくだされと
ほろ酔い気分で
店長さんに声をかけた

とてもうれしげで
この街を元気にしたいのです!

ときた

なんともたのもしい
えぐざいるのだれかを彷彿とさせる
ちょび髭の若い店長だ

よかったらこのはなもっていってください

と祝儀の花輪から
花を取り寄せてくれた

ゆりやバラがあって
かえって恐縮した

とまれがんばってほしい

こちらとしては
近所にそんなうまい店ができて
願ったりかなったりだ

ひさしぶりにわがやにも
生花がたたずんでいる

部屋がはなやいでいて
それも夕べのホルモンのおかげと思うと
人生何があるか分からない

2011年11月30日水曜日

お疲れさんの季節

1年の終わりの季節に入ると
お互いにお疲れ様と言いたくなる

みな本当にお疲れ様である

昨日は山形に仕事で赴くと
そろそろ季節ですなということで
緊急忘年会ということになった

としも40をこえると
おたがいおつかれさまもサマになってくる

山形のうまい料理と酒に
堪能した一晩だった

2011年11月27日日曜日

ジム

今月も6回使いこなすことができた

スポーツジムである

こんなささいなことも
自分次第であり
自分に打ち勝った感じがして
素朴にうれしい

健康のために
今後も続けよう

秋の土曜の昼下がり

土曜日の朝もおおかた6時半ごろには目が覚める

若い時はピクリともしなかったものだが
なんとも不思議なものだ

土曜日出勤のかみさんを送り出してから
間髪いれずに布団を上げ
ゴミを所定の場所に捨て
各部屋にまんべんなく掃除機をかける

こんなことも若い時なぞ
自ら体を動かしてするようなことはなかったのだが
これも歳月のなせる業か

部屋に新鮮な冬の空気を循環させ
朝日の柔らかな光に手を合わせる

本来であれば1カ月に一回いかなければならない
血圧の薬を
今回は2カ月あけた

久々に朝一で病院にいくも
朝九時からもう玄関先に行列ができている
健康であることが大切であるなあと
ひとり考えた

6週間分の薬をもらい
安堵した

昼過ぎに地下鉄に乗って
高田馬場へ
カミさんと落ち合う

高田馬場から早稲田へ向かい
大隈講堂を一瞥

佐賀出身の大隈は
財務に優れ
教育にも熱心だったという
その結果がこの堂々としたWの学問の府である

といえど
かれは西郷をしてウドの大木と陰でいい
西郷の懐の深さを最後まで理解できなかった

ゆえに私も大隈には共感ができない
今にして思えば
ここに入学しなくてよかったとも思ったりした

早稲田を抜け
メジロを過ぎ
水道橋まで行き着いた

さすがにお互いに腹も空きすぎている

もともとは
馬場かそのあたりで昼飯でもいくのが当初の思惑で
何時の間にか散策する間に
時刻も二時近くになっている

ここまで腹が減ると
やはり日本的にガツンとくるものがほしくて
結局蕎麦屋に入り
ひれかつ丼セットをいただいた
うまい 日本人でよかった


水道橋から
東京ドームを目印に飯田橋まで向かい
東京大学を一つの経由地として
上野まで目指した

最終目的地は浅草としたが
さすがに上野まで行き着いたときは
足にもおおかた疲れが来ている

結局上野から浅草へは
銀座線にて

浅草は何時も多いが
この日はとみに多い

群衆である

酉の市らしい

こんな日本文化が連綿と続いているのもいい


目当ては私の靴である

けっこういいのを2足購入し
帰りは地下鉄を乗り継いで帰路に就いた

土曜の昼下がりに散歩するのが本日の本来の目的で
その目的はそれなりに完ぺきに成就できた

わが万歩計は20000歩を超えていた

これも満足に喜びをつけたしてくれた

しあげること

きっちり仕上げてくる奴がいる

普段はそれほど目立たず
適当にやっているように見えて
それでいてここ一番の本番には
しっかり準備をこなし
きっちり仕上げてくるやつがいる

最近自分の中で
【しあげる】という言葉がほのかにマイブームになっている

このこのは別段仕事に関係することではなく
あくまでも普段の自分の生活においてである

より具体的にいうと
自分のなかで当初ほのかにもくろんだ通りの距離や歩数を
しっかり歩ききったり
スポーツジムで
自分のイメージした通りのプログラムを
しっかりやりおおせたりすることである

そこにはあくまでも自分個人だけがあり
つまるところ自分との都度都度の勝負なのである

しっかりしあげた後は
心のもやもやが晴れ渡り
すっきりした気持ちになる

しっかり仕上げること

日々このことに意識していれば
他人のことは
大げさにいってしまえばどうでもいいようにも思えてくるし
翻って考えてみると
自分の意図したことを
しっかりそのとおりにやりおおせることによって
自分のイメージした状態を体現できるということでもあり
となると
実は自分のなりたいもの
在りたい状態
というのはしっかり仕上げさえすれば
大方は実現するということである

しっかりしあげること

これ
最近の自分のキーワードなのである

もちろん
そんなに生易しいことでもないのは当たり前である

他人が介在しない分
仕上げないことも当然ながら可能であり
いいわけも自分にしか言うことができず
何とも歯がゆい思いになったりもする

2011年11月26日土曜日

クリスマスと散歩

クリスマスの調べにたゆたいながら
夜道をひたすら散歩する

最近の自分のお気に入りの行動の一つである

世界には多様な宗教があり
その信仰に祈りをささげるのは
誰しもに与えられた
人間としての基本的な権利だろう

別段キリスト教にどうこう在りはしないが
英語の勉強から
はいってクリスマスの調べにたゆたっていると
何とも穏やかな気持ちになる

クリスマスは彼らにとっては
スペシャルホリデーであり
私はホリデーが好きなのだ

この何ともいえぬクリスマスの雰囲気を長い期間を通じて形作ってきたのも
人類の貴重な文化の継承だろう

といえ
厳密にいうと
そこにも差別化は厳然として在り
違う側面からみると
とても悲しい時間の継承を見たりもする


まあそんなことはここではどうでもいい

ただ
冬のきれいな街並みを
きれいな音楽に揺られながら
穏やかに歩くこと

それが自分にとって心地いいのである

2011年11月23日水曜日

勤労感謝の日

●官僚の責任
 古賀茂明

●決断力
●対局観
 羽生善治

●ほんとうは強い日本
 田母神俊雄

●はじめての支那論
 小林よしのり
 有本香

●坂の上の雲
 1~5
 司馬遼太郎

●私の外国語学習法
 米原万里訳

●星の王子様
 英語を読むための事前知識として

●かもめのジョナサン

●英語耳
 
やはりいまは坂の上の雲ですな
こんな作品が日本にあってよかった


本日は早朝より散歩

午前中に買い物にでかけ
すこしゴーセ-な買い物

昼過ぎからシャンパンをあけた

あては
フランスパンに
フライドチキンに
カニコロッケにサラダ

本日は実は10周年である

結婚してから10年の歳月が流れたのである

平和で健康で良かった

このことは感謝してもしきれない大切なことである

2011年11月15日火曜日

一日雑記

宇都宮に出張にでかけ
新幹線ではただひたすら英語を流す

宇都宮にて短期的仕事をこなした後は
かえりも英語を聞き流す

思いのほか
早く東京に着いたので
徒歩にて帰宅を試みる

二時間強の徒歩で
10000歩はクリアー

軸を変えつつある

いい兆候である

バランスのとれた仕事

仕事にもいろいろ種類がある

短期的視野に立った仕事
中期的視野に立った仕事
長期的視野に立った仕事

である

通常は短期的にウェイトが圧倒的に大きい

そも短期的をしっかりと全うしないと
当座の評価も芳しくない

カモフラージュ含めて
大概の人間は
この短期的に終始する

といえど
実は
中期的
長期的も

とても大切である

当面の差し迫った仕事には
直截的に関係ない
経済状況 市況 国際状況 政治状況を
仕事として把握することはとても大切である
この領域は
趣味の世界などという悠長なものではない

おのれの仕事の一部として
真剣に取り組む必要がある

となれば
長期的視野に立った仕事とは何か

心身の健康であり
世界的に通じる教養であり
コミュニケーションの手段としての語学能力である
おまけに心身の安寧のよりどころとなる家庭環境の整備である

この3つは
優劣つけがたく大切である

短期的のみ大切と勘違いし
家庭を顧みず
己の心身も崩壊寸前までいじめ抜き
それでいて自分の短期的視野に立った仕事に対する上司の評価に
一喜一憂する

なんともそれではやりきれぬものがあるし
そもそも欠陥ありと烙印をおされても仕方がない

短期 中期 長期

バランスが必要ある

2011年11月12日土曜日

坂の上の雲の上

三年越しで撮影している
NHKスペシャルドラマ坂の上の雲の
第三部がようやく放映される

そのために
原作の司馬遼太郎の坂の上の雲の
再読を始めている

今の日本はたしかに
往時の坂の上の雲を上り切った
といえど
いつの間にか
雲を上りきった平原で
何を目指していいのかわからず右往左往している体である

何かを必死で追い求めているときは
苦しくともやりがいがあり
目標が明確なためにあるいみ簡単でもあった

明治に生きた日本が必死になって夢に見た坂の上の雲の上の結果が
この状態ですよと
彼らに示したら彼らはどのような反応を示すだろうか

与党民主党の現政権の閣僚の面々
産業界のことごとくの不祥事の体たらく

農業従事者の己だけの利しか考えぬ甘えの構造

独立の覇気がない自衛隊法

その雲の上に自分もふわふわと在る

懐古趣味や現状の批判だけでは駄目で
己の緒を締め直せと
しきりに
本の中の明治人どもが訴えてくる

子規墓所

子規庵を過ごして

足取りは田端へ向かう

田端の大龍寺に子規の墓がある

周りのたたずまいは
ここが東京都内のド真ん中かと
いぶかしくなるほどに静かである

通りを歩いている人も
老人がおおい


大龍寺があった


これも
かってに自分の中でイメージしていたのとは
違っていた

全面改装したのか
寺そのものがあまりにも新しくて
寺本来のわびとしたたたずまいがまったくない

参道の先にある本堂も
ガラスのサッシで閉ざされている


勇を鼓舞してガラスを開けると
金燦然と輝く大仏さまが鎮座ましましている


手を合わせた

といえど何かしらしくと来ず
足早にあとにした

その横に
子規居士墓所という石碑がある

墓自体はどこか奥に在るはずである

といえどここでいいとおもった

通りに面していて
車の往来もあり
心の中で手を合わせた

子規はここで眠っているのだろうか

やけに都会で
気疲れするだろうなとおもった

駘蕩とした伊予の松山の地に
魂は往っているに違いないと思った

いやいや
どこそこでかけるのが好きだった彼のことだ

一つどころにとどまることなく
自由に駆け巡っているのかもしれない

その時々の刹那の感動を
写生して切り取るごとく
名句を量産しているのかもしれない

あの世でも忙しくしていることだろう

根岸

上野駅をおりて

上野公園を横切る

国立博物館をとおりぬけ
目的地は言問通りである

言問通りを通り
鴬谷駅にようやくたどり着く

目的地は
下谷区上根岸82番地
である

周りはラブホテルが林立している
いや乱立している

朝の10時過ぎという時間が悪かった

乱立しているいたるところから
わけありそうな
幾多のカップルがわき出てきていた

若いのがいて
歳くったのがいて
まあお盛んなことはいいことでもある


上根岸にある目的地は
子規庵である

なんともラブホテルの乱立するなかに
ひっそりとあった

ここであったか

陸羯南邸があって
その2軒隣が子規の宅であったはずである


あまりにもひっそりと在って
何かしら悲しくなった

いやそうでもないかもしれない

子規自身は存外そんなもんだよと笑い飛ばすかもしれない


といえ
ここがあの病苦をすごした
病床六尺のあった家屋なのである


人間は生存するために性欲は必要である

東京という都会は日々進化する


といえど
子規庵とラブホテル群

なんともいえぬ


そのあとは
下を向いてしばらく歩いた

2011年11月9日水曜日

サウナでの着想4

日比谷公園の季節の表情を見やりながら
ゆっくりと歩く

この路上をかつて
どのような人々が
どのような境遇で
どのような感興で歩を進めていたのか

この日比谷公会堂で
どのような集会で
どのような決議が執り行われていたのだろうか

そんなことを想いながら
朝の歩道をあるく

右を見やると
国会議事堂がある

ここで日本の方針が日々議論されているのである

そんな場所と地続きの場所を歩きながら
わが職場へ向かう

途中のコンビニで
水と野菜ジュースをかう

水は多めに取らねばならない

かつて背中が途方もなく痛くて
救急車で運ばれたことがある

その折のいたみの原因は
いまだ明確には判明していないが
その中の一つに結石の疑いもあった

その故、水は意識して摂取するようにしている

そのため小便は
他人に比較すると
回数がおおい

仕事はできることは
とにかく誠実にかつ迅速にこなす

そのことが最終的には
自分に帰ってくるし
なによりも精神衛生上いい


さぼったところで
自分にその分のつけは帰ってくるし
いい加減にこなしたところで
そのつけも結局は自分に帰ってくる

となれば
できる限りの精力をついやし
その都度のことどもに当たっていくに如くはなし


そんな感じで
午前中は自分の中では
全開で駆け抜けるように心がけているのである

2011年11月7日月曜日

サウナでの着想3

会社までの道のりには
日本の近代の歴史といっしょに生まれた
日比谷公園がある

幾多の歴史を目撃してきたその場所は
季節によって表情が変化する

そういえば
2年前減量をしていたころも
このへんを毎日歩き
毎朝出会う仲間がいた

日比谷公園のなかほどにこじんまりとした池があり
そこに足の細い鳥【後で調べたらおそらく鷺】の像がたっている

何の気なしに日々眺めていると
じっと動かない像が
何かしら位置が日々違っている

気になってじーっと覗いていると
にわかに動いた

像ではなく生きた鷺だった

それいらい朝はカノジョ【かってにカノジョ】のことが
徐々に気になりだし
毎朝カノジョと無言のあいさつを交わすことが
あさの一つのうれしい儀式となった

それもいつのまにか
自分が減量を忘れ
歩くこともなおざりにしてしまって
同時にカノジョのこともすっかり忘れてしまった

また歩くことにしよう

そうしたらまたカノジョと再会が果たせるだろうか

サウナでの着想2

6時50分に起床し
まずは血圧測定

この辺からおじさんらしさは始まるね

この血圧測定も思い返せば
かれこれ2年以上も継続している

新鮮な水とともに
朝の血圧の薬を服用する
大切な儀式である

産経新聞で
昨日あったことをあらまし眺め
眺めつつPCを立ち上げクラシックを流す

クラシックにたゆたいながら
徐々に眼を覚ましてゆき
一晩分のひげをそる

7時35分ごろ
さてと腰を上げ
万歩計を装着
万歩計の1日の目標は10000歩である
同時にipod も装着

通勤の1時間はとにもかくにも英語に接すること
これも自分で決めた自分なりのルール

激しい混雑の中
私の耳元には敵性語?いやいや世界公用語の英語が流れ続ける

究極の目標は
かの言語を言語のままで
そこいらのヤンキー【≠日本人のチンピラ】どものごとく
コミュニケーションをとれるようになること

駅は2駅前でおり
会社までの25分を自然の風に当たる


ここまでがまずもって
朝の自分なりのルールである

サウナでの着想

暑いサウナにて
思いつきで考えたことゆえ
いつなし崩し的になるかもわからないが

あらたに誠実に日々生きていこうとおもう

自分で決めた緩やかな方向性に向かって
ひびそれにのっとりいきつつ
それでいてその過程で今日より明日へ自分を成長させる

成長させた自分はこの世間にために
少なくとも害悪にならぬように誠実にまじめに過ごす

何かしらこの世をば前進させねばならぬ局面で
自分のささやかな存在が寄与するような場面に遭遇した時は
謹んで尽力をささげる


そのために
朝は6時50分に起きて

などなど
サウナでの思考は意外に続いた

さて今日もいい天気だ


健やかに過ごしてゆこうか

2011年10月15日土曜日

わが書斎

我が家の書斎「トイレ」で
沈思黙考しているとき
目の前には
木目調の扉がある

別段ひろい書斎でもないので
奮闘努力して
つい頭部を前のめりにせり出すと
その木目にかなり接近することになる


その木目がときに森羅万象の形状に変化する

当方が穏やかな思念に包まれ
腹部の状態もすこぶる健全な場合は
その木目はときに半跏思惟像か
菩薩のような面影に変化して
その優しい眼差しは
当方に穏やかに降り注ぎ
便通も思念も滑らかに流れる

ときに
当方が邪な想念に包まれ
腹部は酸性化し
便通も穏やかなるぬ時は
その木目も
阿修羅のごとく観えるときもある

そんなわが書斎は
当然のことながら
毎日座る場所であり
体内から何かしらの老廃物を排除させていただく
大切にして神聖な場所である

今日もこれから沈思黙考しよう

木目が穏やかに笑うか
厳しくにらむか

自分の状態の
一つのバロメーターにもなる

週末息抜き

水戸での仕事をおえ
上野駅に着くころあいに
かみさんからメールがきた

「上野あたりで一杯やりまっか」



金曜日はやはり一週間の最終日で
自分らに何かしらご褒美をあげたくなるものである

「了解です」
とメールを返信して落ち合った

午後八時までは半額!

のかっぱ寿司に向かうと
予想にたがわず行列ができている

30分ほどまったが
ようやく席を確保した客どもが
早々帰るわけもない
己が権利をやみくもに主張するように
小さい座席にへばりついている哀れな姿を見ていると
何かしらやりきれなくなり
ほかの店をさがすことにした

神田っ子という
大衆居酒屋の暖簾をくぐる

横ではどこぞに天下ったらしい
おっさん三人衆が顔を真っ赤にして
満面の笑みをうかべている

お家に帰ったら
かみさんにこっぴどくやられるのであろうなあ
先日の私みたいに・・・・

と心の中でつぶやいた

お決まりのビール1本に
もつ煮込み
ポテトフライ
串盛り合わせ
を発注し
取り合えずはゴクローさんでしたと乾杯した


開け放しの玄関越しに夜の上野通りを見やると
雨が降りそぼっている

まあそれもよかろうか


雨を横切り
軒を出た


雨宿りのつもりで入った
二軒目は焼き鳥の秋吉

久々にはいったチェーン店であるが
なかなかいい

純鶏がいい
5本で398円


あらためてゆず杯で
二軒目の乾杯


そうこうしながら
気持ちのいい上野での金曜の夜は過ぎゆきた


自分なりのねじを締めたりゆるめたりしながら
ゆらりゆらりと生きてゆく

そんな感じでいい

チト食い過ぎたが

それもまたよし

2011年10月11日火曜日

熱狂への違和感

サッカーなどで
狂ったごとく日本を応援している
若い者どもに接すると
少しく距離を置きたくなる

いくら親日といったところで
あのようなのとは
チト違う

そないにあつーならなーでもと思う

でも熱くなる人がいる

その辺で
夜の遠吠えのごとく
絶叫している若いのがいる

むしろおまえらがまけて消えてしまえと
思ってしまう

あな難しき所よ

処理すること

仕事の段取りはとことん前倒しに限る

事務的な手続きは
その完成度よりも
迅速さを優先させるべき局面が少なくない

個人的な気になること
大きな流れの中では
瑣末ともいえる些事にこだわるあまり
全体的な迅速さを損なってしまっては
結局のところ
小さいことにちまちまと悩んでいたのに
根本的なことに心身をおおいに悩ませねばならなくなる

さっさととっとと
右から左に処理するに限るのである

2011年10月9日日曜日

ようは親日なのである

反米や反中共や反韓・反朝って
今時はやらないから
仲良くやろうよ

などという仁もいるが
別に好き好んで年がら年中反米とか
反中共や反韓反朝を唱えているわけではない

いいところはくんでいきたいし
やはり同じ人間
理解しあうことが大切なのは言うまでもない

といえど
人間その大元には
もって生まれた国があり家がある

自分の場合はその国が日本であるだけで
いってみれば
その日本に対して何かしらの刃を向ける行為やものに対しては
毅然として勇猛対峙していきたいと思っているだけである

ということで
ようは
親日ということ

これが自分の考えであって
このことはだれでも普通の感覚だと思う

自分の祖先の眠る墓が汚れていたら掃除をするし
自分の郷里に脅威を与えんとする者に対しては
身を呈して排除する

当たり前の感覚である

反日である日本人なんていうやつらは
かってにさっさと出て行ってほしい

好きでもない国に居座ること自体
当人にとっても居心地悪いであろうし
こちらとしてははなはだ不愉快であるからである

ゆっくりと休日

休日の過ごし方は
自分の心身の点検調整に使う

日々給金をいただくため
東奔西走している己が唯一のこの肉体を
休日だからと言って
無理やりどこぞの行楽地に向かわしめることは
何の効能もないばかりか害悪でさえある

何物にも新鮮な感動をもつ
純真な愛すべき子供でもいれば
己が疲れ果てた肉体を押してでも
どこぞの観光地に連れて行ってやる事も
やぶさかではないが
幸いと言おうか
当方にはそのような新鮮な愛すべき子供は
いまのところいない

となれば
やはり自分どもの肉体や精神のほうに
想い気遣ってやるに
如くはなし


最近ジューサーを
購入した
思いのほか大きな本体をしていて
なんとも大仰なともおもっていたが
実はこいつがなんとも頼もしい

ニンジンやリンゴやグレープフルーツを
そのかわいらしい入口におしやっていくと
何とも頼もしく力強く
破砕してくれる

ブーンという頼もしげな騒音をまき散らしつつ
破砕の末にこぼれおちた
栄養満点の果物のエキスを
しっとりと飲み干す

なんとものみにくそうなと
最初はびくびくしていたが
これがなんとも甘くおいしい

かみさんには迷惑をかけるが
これを毎朝作ってもらい
あさの酸化しがちな己がふくよかな肉体に
ゆっくりと野菜のエキスを注入してゆく

ゆっくり野菜をたしなんだ後は
例によって読書である

幾多の人々が
渾身の力を込めてモノした著作物は
やはりなんとも刺激豊富で
そんじょそこいらにフラフラと出歩いて
無駄な時間を過ごすよりも
よほど精神衛生上エキサイティングである

ゆっくり読書をし
ときに思索し
オオもとの肉体にときにいいことをしてやりながら
ゆるりと過ごしてゆく日々

実はこんな感じの生活が
安定的な幸福というものかもしれない

ひびそのように培った肉体精神を縦横に駆使して
平日は日本や世界の安寧のために
仕事にいそしむ

そしてその報酬として
ささやかな給金をいただく

そして日々時刻を刻んで生きてゆく

そんな感じでいいとおもう
秋の休日のひとときである

大好きだったはずのテレビなのに

なごやかな笑いは好きである

そも人生には
笑いは不可欠でもある

ただでさえ困難な人生行路
できうれば死んだ方がまだ楽だろう
とおもうこともしばしばの
この人生の途上で

そうとはいえ
やはり生きるということも
まんざら悪くないと
想わしめてくれる
エッセンスの一つが笑いでもある


といえど
ここ最近のテレビ局の番組には
ほとほとへどが出る

3時間も四時間も
安っぽいタレントをつかっての
内容もない
空砲のような薄っぺらい野卑な笑い
出ている人間どもに
基本的な教養や理性があまりにも欠如にしているために
見ている方に大いに負担をかける

日本人が唯一所有してるこの電波は
人間の総数から比較すると
格段に少ない

ゆえにマスの情報伝達しか
なしえず
それゆえに
放送による影響は
いまだに小さくはない

そんな貴重な公共の電波に
かくも野卑で野蛮で
愚劣な物どもの
獣のような言動を延々と垂れ流すという行為は
日本人への緩慢なる犯罪といってもいい

そも
その日本の貴重なる電波に
隣国の
価値観を共有できない
人の領土を
不法に武力を盾に実効支配している国の
番組を流すなぞは
万死にも値するといってもいい

か弱い今の日本人をみてみよ

あまりにも可憐に影響洗脳され
かの隣国のタレントに
熱狂し死せんばかりではないか

洗脳である

この罪は歴史的である

かつて
われもマスコミにいきたいと
漠然と希望していた

なにやらはなやかだし
人に対し
影響も与えられるような仕事ができそうと
田舎から高みを望むごとく憧れていた

ああよかった
いかなくて良かった
そんなところに入って
己が人生の生計を立てなければならなかったら
ほんと自分が限りなく損なわれていたにちがいない


テレビ放送のレベルのひくさ加減は
本当に
ひどすぎる

いままでは
大好きだったはずなのに
どうしたのだろうか

こちらが変化したのか
それとも
テレビの方が
愚劣に変化しているのか

2011年10月1日土曜日

秋のしあわせ

いつのまにたまり
机の隣のスペースが
本の平積みでうっとおしい

なにごとも代謝していない状態は
なにかしら滞留を来し
いいことはなし

わがふくよかな肉体とて同じ
いたるところが
重みに耐えかね
悲鳴を上げているのが
痛みという信号でわかる

よっしゃということで
朝はよから
本をより分け
何かしら未練もあるが
そこは思い切って
処分断行

すべてとは言いかねるが
散髪後のわが頭髪のごとく
すこぶるさわやかで
そこに淀んだ空気はどうにか排除することができた


秋の気候は
すこぶるいい

久しぶりの土曜日は
そんな掃除と
好きな読書にて
緩やかに過ぎゆきている


●パール判事の「日本無罪論」
 田中正明

●パール博士 平和の宣言
 ラダビノードパール

●秘録 東京裁判
 清瀬一郎

●歴史を知らない政治家が国を滅ぼす
 渡部昇一

●政権交代の悪夢
 阿比留瑠比

●新 堕落論
 石原慎太郎


阿比留氏は産経新聞の政治部記者
彼の記事は
歯に衣着せぬ物言いがよく
軽く手に取った本だったが
すこぶるいい。というかこの政権のわるさ加減が
しっかりと証拠をもって提示される
ああ 嘆かわしい

そんな嘆かわしい中
パール博士の本をひもとき
日本の正しさ
当時の植民地列強のあくどさ「いまもさして変わらないが・・・」
をよみ
読み始めたら興味がわき
今の自分は
東京裁判のトピックスをさまよっている


そんなほんを
ゆっくり風呂につかりながら
横になりながら
すごす秋のひととき


こんな過ごし方が
自分にとっては
幸せというものだと思う

2011年9月17日土曜日

金曜のよる

休みの前の日は
できるだけすばやく仕事をすませて
とにかく早く会社を出ることを目指した

ひさびさにメシでも
というありがたい誘いも
めずらしくことわり
18時過ぎには
会社の玄関をあとにした


9月に入っても
仕事はだらだらと忙しく
それに合わせて体調もだらだらとうだつが上がらない

18時過ぎに出た足は
一目散に自宅へ向かい
帰宅そうそう風呂道具を持参し
そのまま近所のスーパー銭湯【SPST】へ

金曜日のよるは
土日と比べて
裸の数も少ない

ゆっくり夏の露天風呂で
みぐるしい肢体を湯にくるませた

あたかも
若き修行僧のように
サウナの熱源で塩辛い汗をふきだし
そのあとシャバーと水をかぶり
カバのごとく水中に肢体を投げ出す

熱から水
水から熱
と交互に静かに
おじさんは寡黙に愚直に修行を繰り返した

やりおおせた感とともに
露天風呂にゆるりと入ると
ほのかに鈴虫の優しい音色が聴こえた


2時間の格闘後
自転車で横切る夜風はここちいい

そのまま
スシローへ車輪はむかう

おもむろに頼んだ瓶ビールは
プレミアムモルツである

冷えたグラスに
独り静かにそそぎいれ
グイッと男らしく飲み干す

この瞬間が至福だ


すきな寿司は
どれも100円

安さもうれしい

好きなだけ食べて
ゆっくり過ごす

こんな休日前のよるは
実は思いのほか久しぶりだ

よめさんは友人と飲みで

おじさんはひとり寿司ロー

そんな昨夜の金曜の夜であった

ヘンテコな雲

9月もなかばにはいり
まだまだ暑いが
暦的には夏も終わりに近い

会社へむかう朝

地下鉄の駅を階上に上り
自然の陽光が差すその入り口から
ほのかに涼しい風が揺らいだ

朝の青い空に
白い雲が静かに浮かんでいる

そんな雲の一つが
落花生のようなへんてこな形をしている

ヘンテコだなあと独り静かに
そんな雲を見上げていると

ほんとにヘンテコだと
何かしら笑いがこみあげてきて

ああヘンテコだと
思わず声に出して大笑いしてしまった

周りにあるく通勤途上の幾多の人々の中に
われの笑いにいぶかしんだ人がいても
まあそんなことはどうでもいいし
かまいもしない


ヘンテコだとおもったその落花生は
ゆっくりと青い空を優雅に回遊している

よくみると
周りの雲どもも
どれもこれも
なんとなくヘンテコで
またどれこもこれも優雅でのんきそうだ

自然は時にきびしく
ときに穏やかで
ときにやさしい

こんなに優しい時もあれば
恐ろしく猛威をふるう時もある

台風が近づき
近畿地方にまた新たな危機が迫っている

厳しい自然に
我々は何をみいだせばいいのだろうか

そんな瑣末なことなどどうでもいいのだろうか

ただ自然に任せて
流れるくものごとく
泰然と生きてゆけばいいのだろうか


秋が来る

できれば穏やかに過ごしてゆきたい

2011年9月11日日曜日

散髪など

かれこれ4カ月ぶりに散髪に行った

しっかりエリアシものびきり
前髪もロン毛かつさらさらで
あたかもメジャーリーガーの松井秀喜のようだと自負していたが

何時もおしゃれに切ってくれるお兄さんと
4カ月ぶりに対面した時は
きょうもとまさきかとおもいましたよ
とサクッといなされてしまった

それほどぼさぼさにのびざかっており
風か何かで己が頭髪が揺らぐたびに
毛先が顔のどこかそこらに接触し
なにかしら不快であったが
切ったらすっきりよくなった

やはり当たり前の状態というのは
えてして美しく正しいことのようだ

昨日は
プールにいくまえに
スイミングメガネを新調した

いままでのメガネはだいぶん年季が入っており
水中にくぐると
曇ってきたり
隙間から水が浸入してきたりと
なにかとささやかなストレスを喚起されていた

それがどうでしょう
たかが1500円程度のものであるが
新調したメガネのおかげて
視界一新
こんなに快適なものなのかと改めて感動し
いつもに増して巨体を水中になげだし
潜航前進を長時間繰り返した
まさに海面をとび泳ぐイルカにように
おじさんは喜びに満ち足りていたのだ


ささやかな支障はすぐに対処するに限る
とささやかなことで実感することであった

本日はかみさんが休日出勤で
こちらは
そのために散髪ですっきりし
久々に買い物に出かけ
カレーを作ってみた
けっこうこってつくってみたが

うまいかどうか
夜が楽しみだ

当たり前のことを
当たり前にこなしてすごす休日
こんな日もいい

1日にひとつのこと

一日は長いようで短い

鹿児島に帰ったとき
母親が言った言葉が少しく心に残っている

80をすぎたおばちゃんは
一日にあれもこれもすることはできない

一日に一つのことをすることで
精一杯なのだ

食事にいくと決めた日は
なんにちも前から心の準備をし
着ていく洋服を丹念に選別し
自分の体力をしっかり調整し
そして当日に臨む

たかが食事と思いがちだが
それはこちらにまだ若い体があってのはなし

歳をとり体が少しずつ衰弱してきている人々にとっては
一日に一つのことをなすことで
精一杯なのだ

事故を起こし
体を壊してしまった弟も
そう言えばそうだ

病院にいく日は
病院にいくことで精一杯で
その日は病院にいくという大きなイベントでもうへとへとになっていた
そして一日は過ぎてゆく



都会に住んで
日々転変する大きな流れの中に身を置いていると
一日にいくつもの事象があまりにもはやく通り過ぎ
何をなすにもスピードが優先されて
克明に何かを刻むようにしっかりと日々を生きる
ということが
なくなってきたような気がする

一日にひとつのこと

それは
一見とても悠長で
なにかしらもったいないような気もしたりもする

といえど
一日に何から何まで右から左に受け流しながら
結局は何をして過ごしたのか
漠として
定かならずというのもなにかしら口惜しい


人生は
そうといいながら日々確実に過ぎてゆき
ある極点にたっしたとき
その人の人生に終局の瞬間が訪れる

一日に一つのこと

自分にはどちらがいいのか
まだ定かに生き方を方向づけることはできない


そうして人生は
その人の人生を描いてゆくのだろう
回答のない
その人なりの人生を描いてゆくのだろう

ガラクタはガラクタ

またぞろでてきた

最初からわかっていた
ガラクタ人事で
この日本を本気で壊しかねない民主党政権

ハチロだけではない

これからもまたぞろ出てくるに違いない

そもそもその器ではない

ヤマオカなんていうおっさんも危ないし
イチカワなんていう農業おじさんが
国家防衛ができるわけもない

ああ
こんなことは
最初からわかっていた
こんなことは
これからも
またぞろ出てくるはずである

そのすきに
中露の彼奴等
底を見透かしたような
あからさまな挑発

ああ
ほんに
ちゃんとせい!!

日本にはもう悠長にまっているような時間はないのだ

身辺雑記

今週は
火曜日 福島に新幹線で移動
福島にて会議の後
青森へ

青森への直便がないため
仙台でピットインして
マクドで地元の中高生に交じって
チキンタツタとポテトを食らいながら
追い詰められたメールの送信

仙台から青森へ2時間かけて移動
青森にてオヤジと二人でしっぽり酌みかわす

翌日青森にて会議
夕方18時初大阪行きの飛行機に搭乗予定のため
一日会議のよこでしこしこ仕事に没頭

18時発の大阪便が
計器トラブルで遅延
2時間待たされて結局欠航

いろいろありながら
21時に羽田へ飛びそこでエクセル東急に一泊
久々にリッチなホテルに泊まるも
費用はJALもち
ありがとうさん

翌日羽田から伊丹へ
伊丹からバスで三宮へ
神戸での仕事も事前の段取り良く
うまくいく

新神戸より新幹線にて
久々の自宅へ

翌日は
午後から水戸にて商談
午前中はその準備で
久々に集中

午後からの商談もどうにかうまく運び
夕刻は
久々によめと有楽町銀座にてかるく食事

始めて煉瓦亭にいく

移動の日々
それもよし

2011年9月4日日曜日

台風が過ぎていった

台風12号が日本列島をするりと横切り
西日本で甚大な被害をもたらした

このごろ
日本のいたるところで
なにかしらこの国を揺り起そうとでもするごとく
自然災害が頻繁に起こっている

あたかも順番に平等に
何かしらを伝えんとでもするがごとく
この国に自然災害が頻発している

なにかが起こり始めているのだろうか

それとも昔からあるこの国の宿命なのであろうか

極東のこの小さな島国は
台風の通過点に位置しているし
火山列島でもあることから
地震も頻繁に起こっている

今もまだんなく小さな地震は起こっているし
雨も降りさいなんでいる

ひと雨ごとに秋に近づき
鈴虫の声音が遠くに聴こえている




夏に読んだ本など

●日本人の誇り
 藤原正彦

●希望の国・日本
 小林よしのり

●知的生活
 P・Gマハトン

●ぼくらの頭脳の鍛え方
 立花隆
 佐藤優

●思考のレッスン
 丸谷才一

●三島由紀夫レター教室
 三島由紀夫

●夏への扉
 ロバート・A・ハインライン

●1Q84 3
 村上春樹

●終わらざる夏 下
 浅田次郎

●人間の生き方
●続・人間の生き方
  森本哲郎

●おしんの遺言
 橋田壽賀子



台風が過ぎゆきて
これから少しずつ涼しくなってゆくのだろう

あつい今年の夏も
静かに去ってゆき
物想う
馬こゆる秋が到来するのだろう

自然は狂いがないなあ

暑い暑いと思っておれど
時期が来たらしっかり秋になってくる

外では
蝉が最後の合唱を命がけでうたっている

鹿児島に帰ったとき
朝の目覚ましは
蝉どもの合唱だった


一生懸命にうたうその声に
なんくせをつけるゆうきは自分にはなかった


瑣末なテクニカルなことは
日々進化しているが

根幹である自然は昔から全く変わっていない
人間が生を受けていらい
太陽はしっかり東から昇ってきてくれるし
風が吹き
雨が降り
生命がうたい
その中で人間も生きてきた

われも朽ち果てるときは
かってにくちはてるだろう

蝉と同じ
鈴虫と同じ

むかしもいまも一緒


おんなじなのである









泳ぐおじさん

最近自分なりに
泳ぎ方のコツのようなものを
自分の感覚としてわかってきたようなきがする

このコツとか
感覚とかいうものは
本当にあいまいで抽象的で
具体的にどうなのだと言葉としては明記しがたい

そんなところがある

スポーツアスリートなどは
その研ぎ澄まされた感覚のてんこ盛りの世界にいるひとたちなのであろう


見た目はおそらくかっこよくもないが
それでもなお
25mおよいでもあまりつかれないようになったし
いきおい
50m 75m 100mと
ゆっくりとおじさんはすすめるようになってきた

スイミングキャップをかぶり
スイミンググラスを装着し
静かに水中を遊泳する

水中ではおともせず
対話はただ自分の心の中だけである

潜水艦やまとのごとく
円柱型の肉体を水中になげうち
静かに潜航前進しながら
考えるともなく何かを考える

そんな気楽さをもちながら
ひとりの人間として
世間を見つめ
世間に関係し
世間とともに今を生きる


その連続が人生であり
それが終了するとき
その人の人生が閉じるときなのだろう

2011年9月1日木曜日

国難去ってまた・・・・・

野田なら消去法でどうにかましと思っていた

なれど
幹事長に

こしいしあずま・・・・

国対に
ひらのなんとか・・・

ああ

落ち武者の復活

日教組のおやだま

日本解体信奉のゾンビ・・・

ああ

国難去ってまた国難とはこのことか

ああ
嗚呼

2011年8月27日土曜日

祈りの薩摩

今回の夏の帰郷に際しては
自分の慣れ知っている場所に訪れ
いろいろなことを自分なりに再確認してみるという
漠とした目的があった

自分の身近な親族に改めて会うことによって
ひとの関係について考えてみたりもした

親戚とは何だろうか

親がいて
兄弟がいる

叔母さんがいて
叔父さんがいる

いとこがいて
甥っ子がいて
姪っ子がいる

慣れ親しんだ人たちのかわらぬ姿を確認することによって
安寧のこころを再確認したかった

時は過ぎ
子供は成長し
老人も同じだけ歳月をすごし
小さくなっていた

といえど向けてくれる笑顔にはどれも
一切の偽りはなく
自分の存在の確かさを
漠とではあるが
確認することができた

この夏は祈りの旅にもしたかった

南州墓地にいって
西郷ドンとその仲間たちに手を合わせた

蝉のうたう暑い夏の朝
線香の煙も風がないため
真上に上っていく

桜島を真向かいに
堂々と立ち居並ぶ
薩人たちの墓石に向かって
この日本が立ち至った未曾有の危機について
自分なりに報告し
そして願った
助けてください


自分へと連綿と連なる
己のご先祖様にも
手を合わせた

自分がここに在ること
そしてそれは別段特別なことではなく
連綿と続く人のつながりの途上であること
ゆえに自分もいつかは消えてなくなり
そして同じように墓石のもとに眠ることになること

そんなことを手を合わせながら
考えた


8月15日の
敗戦記念日は
知覧に赴いた

戦時最終局面での
沖縄へ侵略してきた米軍への最後の抵抗
やぶれかぶれともいえる
当時の軍事指導層の戦略戦術には
いくら後世の安寧な立場からの考察ゆえに遠慮するにしても
あまりにも無為無策にすぎる

その実弾として
自らの身をとして
特攻隊として日本をそして家族を護るために
天皇陛下万歳!と雄たけびを上げ
飛び立っていった若き戦士たちの鎮魂の場所

彼らの達筆な当時の遺書を拝見し
平和の鐘を打ち
静かに祈った


あの時と同じように
知覧の夏の空はどこまでも青く
その中に純白の千切れ雲が
切れ切れにたゆたっていた



自分の出自をあらためて確認し
自分の立ち位置を改めて再認識する


自分は紛れもなく
歴史につながるこの日本国のひとりの人間だと感じたし
それゆえに
その大元のこの国が危機にひんしているなか
自分のできる役割を
精一杯遂行する決意を新たにした

みな忙しいし
自分のプライドはあるし
楽もしたいし
それぞれの言い分もあるだろう


他人のことは言うまい
そう
自分だけは
自分の役割を、
立ち位置をよく見極め
そして役立ってゆきたいと思うのだ

人それぞれの故郷

そこで感じたこと

そんな夏に見聞き感じた
自分にとっての今年の夏

今年も暑い夏であった






ガラクタがらくた

本当にこの人たちは日本を壊すつもりなのだろうか

このガラクタばかりの人間の誰かが
この日本のトップに
本当に立つのだろうか

本当に日本というこの国は
このガラクタどもの手にゆだねられるのだろうか

ひどすぎるにもほどがある

ここまで低能な悲喜劇は
古今未曾有だ

マンガでも見たことがない

どうして我々は
日本国の首相を選ぶのに
こんなコマのない
ガラクタから消去法で選ばねばならないのだろうか

いや選ぶことすらできない
彼奴等のつまらぬ数の論理でおしだされた
へたれ駒を強引に押し付けられるだけだ

これが民主主義のなれの果てなのだろうか

何なんだ
この許しがたい暴挙は

こんなことが本当に許されるのだろうか

このガラクタどもは
本当に日本を愛しているのだろうか

愛国心があるのだろうか

歴史も学ばず
学ぼうともせず
日本を支えてきた幾多の英霊に手を合わせることもせず

朝鮮とのグレーな関係をつくり
中共におもねり
この国の未曾有の困難には
何の手もつけられない

震災復興をどうしてくれるのだ
円高株安をどうしてくれるのか
領土侵犯をどうしてくれるのか
被災者支援をどうしてくれるのか
これからも中国におもねるのか
朝鮮におもねるのか
アメリカとはどうするのか
自衛隊はどうするのか
税金はどうするのか
外国人に参政権をあたえるのか
ガキに無駄な金をばらまくのか
教育はどうするのか
エネルギー政策はどうするのか


嗚呼

彼奴等は
何もできやしないではないか
できてこなかった奴らばかりではないか


本当にこのがらくた戦犯どもは
罪をかぶるのではなく
これからも多大な人々におおくの不幸をばらまきながら
己だけが権力をてにし
この国を限りなくそこないつづけるのか


したり顔もゆるせぬし
へらず顔もゆるせぬ
わらうなうたうなきどるないばるな

きえてどっかいってくれ

嗚呼

悲劇すぎるわい

2011年8月21日日曜日

夏の薩摩

薩摩に久しぶりに帰還したのは
2011年8月10日である

帰ったのは夕刻であった
久しぶりに母親と弟と夕餉をともにした

薩摩に帰っても毎日カレンダーを眺めていた

小学生のころの自分と同じく
時間が過ぎてゆかないことを祈りながら
トイレに座っていた

狭い実家は
時間が止まっているように思えた

といえどやはり生活の時間は確実に過ぎゆきて
母親はお盆休みも習字教室を休むことはなかった

11日に母親と二人墓参りに行った

蝉の鳴く夏らしい朝である

久しぶりにかえってきましたと
墓前に報告をした

人は死ぬ
死んだあとはどうなるのかは
死んでみなければわからない

一度死んでしまったら
再び同じ人間として再生はしないので
死後のことを
この世で知っている人は当然のことながら
一人としていない

まれに死後の世界はこうだと
大上段にかまえて
そのことで現世でのご飯の種にしているような輩もいるが
所詮そのようなことは
その人の想像の産物であるかも知れず
にわかには信じることはできない

墓前に手を合わせながら
この墓石のもとに眠っている
私のご先祖様はどのような按配なのかしらと思った

ご先祖様が静かに眠っていることを祈ることによって
この世に生きるものは心の安寧を得ることができる

線香の煙がほのかに夏の風に揺らいだ

蝉の声が一瞬やんだような気がした

ご先祖と自分と心の交信をする


ふと気づくと夏の暑さが戻った

横で母親が墓石に水をかけている

元気な横顔があった
蝉の声が大きく弾んだ

そろそろいこうかと
私がなにげなく言った

そうねそろそろ行こうと
母親が言った


青い空と白い雲は
何時も同じで
母親も生きていて
自分もここにある

そんなことがとても貴重に思えて
とてもうれしく思えた





2011年8月10日水曜日

おっさんの夏

本日より夏休みである

イェーイ
イェーイ

ナンボ歳とっても夏休みはうれしいね

今年は故郷にかえる

薩摩の地で
改めていろいろと見聞き感じてみたい

何が変わったのかをかわらない場所に行って確かめてみよう

2011年8月8日月曜日

こんな休日

暑い日曜日

6時には目が覚める
新聞にかるく目を通し
昨夜のよみさしの読書をかるく

11じごろ家を出て
地下鉄でどこ行こうか

夏休みとあって
みな遠方へ出かけているのか
普段の日曜日よりも
人がすくないような

どこにいくもよし

時間もあるし
せきたてられる要件もない

かみさんと悩んだ末
芝公園のニーハオに餃子をたべにいく

13時過ぎなのに
ビジネス街だからか
客は我らを含め3組

餃子とチャーハンの定食に
焼きビーフン
春巻き
でビール1本

はねつき餃子がうまい

いいねえ

ビールもひえちゅう

ニンニク水餃子に
はねつき餃子をおかわりし

しっかり食って夏のつかれもどこえやら

飯を食って元気が出たので
なじみのスポーツクラブへ

プールの冷たさがここちいい

しっかり泳いで
しっかり歩き

ゆっくりジャグジーで体をいたわる

そんな感じで
夕食は太陽にほえろを見ながら
カレーを食べる

したたか疲れて
布団に入って読書をするも
あまりの眠たさに電気を消したのは確か9時半


こんな休日もいい

からだが調子よさそうだ

2011年8月7日日曜日

故郷をおもえ

この夏は通常以上に
日本人にとって故郷を想う気持ちが強くなるだろう

東北はいい意味でのどかな土地で
日本の古き良き原型がいまだ残っている

幾枚も広がる田んぼに稲が生えている

初夏の風になびくその風韻は
スポーツ刈りに散髪した
往時の我の頭髪のごとく太陽に照りかえされ
優しく風にたゆたっている

そのどこまでも深い緑と
夏のさっぱりとした空の青が
疲れ淀んだ気持ちをすっきりと洗い流してくれる


口数少なく
それでいて人の気持ちを必要以上におもんぱかることができる

愚鈍でいろいろと非難がましく言われながらも
それでも人のために精一杯
黙って仕事をする姿

そんな土地や人の印象は
実は忘れかけていた日本人の本来あるべき姿かもしれぬと
はたと気づいた

日本の国土は
広島長崎を筆頭に
その土地を歴史に貫かれた魂の土地としての印象を醸成し
それがただのそんじょそこらの
隣国外国とは一線を画す重厚で神韻な雰囲気をもっている

この2011年からは
そこに東北も仲間入りし
東北の地も魂の静かな祈りを感じる神韻な土地として生まれ変わった

日本は神の国に改めてなった感が強い


この夏はみなそれぞれに持つ故郷を強く思い
自分の原点を見つめるまたとない機会である

われも同じ
故郷に思いをはせ
自分の気持ちを浄化するのである

カン、はよやめ

8月6日の広島原爆の日は
悲劇の日である

日本がおびただしい被害を受けた
忘れてはならぬ日である

そんな記念の日すらも
己が延命のために利用するカンチョクト

脱原発などと耳触りのいい言葉を
まさかこの世界中がそして日本中が注目している
この原爆の日にノウノウと口にするとは


あ奴の顔を見るだに腹が立つ

レベルの低劣もここに極まれり

ああ

夏らしい暑さ

日々暑い

自宅のマンションが
大がかりな塗装工事を始めたので
暑いわうるさいわで
何とも夏らしい


そんな中でも
食欲は落ちない

何かを食べると
心身ともに
にわかに元気になる

口から固形物を己が歯でかみくだいて
くらうという行為は
何とも人間もどうぶつに違わない確たる証左だ

栄養素だけを凝縮させたカプセルを摂取すればすむものを
それをあえてせず
米をくらい肉を食らう

しっかり腹に収まると
よしと腹が据わる

そんな感じで昔から変わらず
我々は生きてゆく道程で
奮闘努力してきたのである

生きとし生けるものに感謝せねばならない

どう考えても我々は生かしていただいているのである

それにしても
暑いし
腹も減った

2011年7月24日日曜日

日本の多様さ

日本人が単一民族かそうでないかは
学問的にいろいろ議論のあるところで
にわかに論じがたい

といえど
地政学的にいえば
四面を海で囲まれ
自然の防壁をもって
他国民との行き来はある意味断絶している

そういう意味では
日本人とおおらかにいえば
それはおおむね単一な民族のはずである

先日久々に銭湯に行った

木曜日の夕刻であったため
土日のイモ洗いのごとき
激しい喧騒はない
本来銭湯とはこうあるべきであるという理想的な銭湯の状況で
そんなゆったりとした平日の夕べである

露天にゆったりくつろいでいると
独りのおじさんが入ってきた

片手に手ぬぐい
片手に分厚いマンガ本をもっている

そうかい、ゆっくり湯につかりながら
好きなマンガを読むんだろうね
とこころ優しく見るとはなしにそのおっさんをみていた

おっさんが
自分にとっての心地いい位置をキープし
さてっというように、
にわかにマンガを読み始めていると
見も知らぬガキがそのおじさんのところにひらひらと近寄ってきた

おじさん何しているの?

本を読んでいるのだよ

何を読んでいるの

ゲンマ大戦という本だよ

それどんな本なの?

40年ぐらい前のマンガだよ?

おじさんはお風呂でマンガを読むの?

おじさんはお風呂でゆっくりマンガを読むのが好きなのだよ

どれぐらいはいるの?

だいたい2時間ぐらい
最長は3じかんぐらいかな・・・
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


などと会話が漏れ聞こえてくる

ゲンマ大戦?
そう言えば何かしら昔きいたことはある

この2011年にこの東京の銭湯で
古いマンガでゲンマ大戦


さすがに日本人も多様である

真夏の朝の満員電車のなかで
ipodをきいている

曲を選択する余裕がないほど満員である

そんな大混雑の時に
マツトーヤユミの恋人はサンタクロースなどが流れてきて
変更も効かない時など

このくそ暑いこの瞬間に
40歳のおっさんでユーミンの恋人はサンタクロースを聴いているのは
おそらく自分ひとりだろうな
などと先日も独り静かに想ったりもしたが
これだけ多様な現代社会である

いろんな不思議な状況が同時並行的にいろいろなところで
起こっているのである

この21世紀にゲンマ大戦であったり
真夏の混雑に恋人はサンタクロースであったりである

日本は多様でいいのである

それが底堅い力の源である

人の最後について

原田芳雄が死んだ

別段彼に対する思い入れなど
ないが
庶民の一人として
なにかしらショックを受けた

人間は病気にむしばまれると
こうももろく衰えてしまうのかということをである

つい先日
フジテレビの不毛地帯で
肉食系のワンマン社長を演じていたではないか

つい先日まで
ビールのCMに笑顔で出ていたではないか


だれしも人間は何時しか死ぬ時が来る

どんなタフな人間であろうとも
死ぬ時が来るのである

原田芳雄のなくなる直前の映像と
昨年の映像ではまったく別人である
病気が一度体をむしばむと
人間の力などたかが知れているのかもしれない

司馬遼太郎は坂の上の雲の一つの場面で
秋山真之の死生観を
さりげなく描いている

かけがえのない郷里の親友である
正岡子規が若くして逝ってしまったとき
人知れず路傍にたたずみ

【のぼさん ひとはいつしか必ず死ぬのだ。】
 そう必ず死ぬのだ・・・・・

と独りごちる。

死のはやいおそいは
何をもってその早遅を決めるべきかは
にわかにわからない

確かに
生を受け
その時間軸で見る場合
とても早いと思ってしまうこともある

といえど
正岡子規の場合でいえば
その足跡は
日本文学史上に永遠の轍を残し得たし
それは
原田氏の場合もある意味そう言えるはずである
その場合時間だけでは測れない何かがある


ひとは必ず死を迎える

死は必ず孤独である

ひとは独りでこの世にうまれ
独りでこの世を去ってゆく

このことは
この世の普遍的な倣いなのである

従容としてその倣いには従わなければならないのであろう

そう
従わなければならないのである

2011年7月18日月曜日

自分の理想への長い道程

ひびなにかしら読み物を探しているが
何とも自分にぴったりとフィットするものなど
そう簡単には見つからない

そも読書などというものは
自分の心の琴線に触れるとき
実は自分のモヤとした思考を
他人の理路整然とした言語で再確認するにすぎず
とすれば活字になっている書物が所詮は自分とは
生き方や今の生活の環境がまったく違う知りもしない人間群が書いたものであり
そうである以上は
そのような他人さまにこの矮小な自分の理解を正確に求めることなど
考えてみれば無謀といえば無謀である

ということで
このブログは所詮は自分自身のための記録であるから
結局はこの自分自身が読み感じたい言葉の羅列に終始するだろう


仕事に従事する人間はそれこそ幾多もいる

彼らが生活するための資を稼ぐためには
仕事に従事しなければならないから当然である
我もそれにかわらない

その幾多の人群のなかで
頭角を現すのは
周りの幾多と何が違うのであろうか

カマキリの獰猛さはよく知られたことであるらしい
昆虫の中で何でもむさぼり食う肉食ということである

種の存続のために
オスとメスは交尾をする

個の存続の連続の中に
種の存続がある

カマキリのメスは
交尾の最中にオスを頭から食うそうである

同じ種のそれも家族を食い散らかすことにまず衝撃をうけるが
それをいったんおくとしても
なにもまっ最中にくらわずともと感じたりもするが
まっ最中から食い散らかすらしい

昆虫の頭部には
抑制神経系があるという

とすれば
種の存続のために
交尾の抑制をせんとする頭部を食うことは
メスにとっては
種の存続の促進のための一貫ということらしい
といえど生々しく恐ろしい


人間も地球上にいきる生物の一種であるから
その生存には利己的なものもあれば
利他的なものもあるだろう
種の存続のために
あえて利己的な部分を抑制し
自己犠牲する場面もあるだろう

日本国の歴史上の
戦争時のいくたのエピソードの中に
そのような利他的な出来事を探し出すことは
それほど困難ではない

今の仕事もそうかもしれない
企業は種と考えたら種である
種の存続のためにあえて個の利を犠牲にする場面も要求されるだろう


日本企業の集積が日本である

個と公

何ともなかなか結論には至れない課題である

個としての快楽の追求と
公としての自分の役割の遂行


そのなんとも絶妙なバランスのなかに
人間の序列
-それも同じ人間の判断する何とも崇高さから見たら俗な序列ー
も生じるのだろう

その時々の上司である瑣末な人間の
そいつなりの個人的な何の脈絡もない個別的な判断に基づいて決定されるしがない人間の序列
が生じるのであろう


自分が人として
まっとうに生きてゆくために
なにを求めているのか

瑣末で俗な刹那的な人間の序列か

深遠で普遍な人間の尊厳か


個としての快楽の追求にはなにかしら破滅的なにおいを感じるという
人間にはおおらかな抑制がある

最終的にはじぶんという一個人に還元されることゆえ
これからもしばらく付き合うことになるであろう自分と
しっかり語らいながら
自分なりの理想の姿を
ゆっくりとおいもとめてゆくことにしよう

その一環として読書
そうなかなか自分の一冊を見つけがたい
読書があるのである

熱き日本 

うだるような暑さが続いている

暑さの中どこかに出かけたところで
すぐに家に帰りたいと望むのなら
はなから出かけない方がいい

といえ
夏を夏らしくすごしたいと思うのは
かわいげのある平均的日本人らしさで
そのことがひいては疲弊している日本経済をジンワリと浮上させる底力になる

子供がこんがりまっくろに日焼けし
お父さんが短パンでサンダルで
ピカピカのトヨタアルファードで
しっかりと渋滞につかまっている

なんとも微笑ましい風景で
彼らが日々奮闘して
土日もしっかり費やしてくれて
わが日本経済は底堅く成長してゆくのだ


なでしこジャパンの世界優勝も
なにかしら因縁のような感じがしないでもない

澤などの顔をテレビを通して見ていると
何とも日本人の強靭な力と
深遠な恐ろしさを感じるし
日本人がほんとに追い詰められたとき
ただでは起きないことをまざまざと世界に伝達した

女子サッカーレベルから
これから多岐にわたる日本の復活戦が始まってゆくだろう

管直人【カンチョクト】のような愚劣な人間が率いる
いまの体たらくな三流政府がぐずぐずしている間に
日本国は民間レベルから
世界に強烈にアピールすることを開始したのである。


そんな民間レベルの底堅い復活には
その組織を構成する個々の人々には
大いにこれから負荷がかかってゆくだろう

負荷がかかるのはあるいみ仕方がない
ご多分にもれず
この私にも
組織上の目標は
次から次にまさに津波のごとく襲来してくる

といえどそれはたかが作業の連鎖であって
けっして本物の津波ではない

けっして本物の津波ではないのである


日本復活という大いなる魂を揺さぶる目標に合致すると
自分自身が納得できたとき
次々と襲来する作業目標も
おのずと来るなら来てみろ
次々とこなしてみせると
若々しい熱き心の漲りのようなものも芽生えるであろう


個々の日本人が
粛々と種の生存のために他利的に行動し
種としての日本国が大いに生存する

日本はこのようにして
幾多の困難を乗り越えてきた

いまその幾多の一つに立ち向かおうとしているのである

確かに困難ではなる
しかししかとした真摯さがあれば
必ずや乗り越えることができるはずである。

2011年7月10日日曜日

札幌でかるく

時に無性にサボりたくなる時がある

人間どこまでも生真面目では
埋没してしまう

ゆえにときにかるい
誰にも迷惑をかけない程度の
ガス抜きをする

北海道に出張にいって
仕事が終わって
飛行機を予約しようとしたが
何ともかったるい

ええい
今夜はここにとまるか
と自分との対話がはじまる

結局大浴場付きのホテルを予約し
ひとりススキのの街に足を運ぶ

すすきのはリトル歌舞伎町のごとき様相を呈している

それなりに若かったら
なんとも魅力的に映るのだろうが
すこしく疲れている40代のおじさんには
いささかまぶしくうるさい

結局なじみのある
飲み屋に足を運ぶ

七夕の夜に札幌で一人酒

何とも絵になる光景ではないか

サッポロクラシックビール飲み放題コースに
エントリーし
あては
ほっけにザンギ
あら汁にサラダ

日ハム戦のナイターを
耳にしながら
札幌のおじさんたちに交じって
薩摩隼人がサッポロクラシックビールを独り
飲み続ける


そんな感じで
穏当に自分の疲れを自分で軽く癒し
本格的な夏を迎える

サッポロは気のせいか少しだけ
からりとしていて
風が幾分冷たく心地よかった

2011年7月6日水曜日

ひどい人災

それにしても
変なのがあつまるものだ

なんともいまの素人政権の
無能ぶり愚劣さぶりを
まざまざと露呈した

テレビも新聞も雑誌も
そんな三流喜劇のような
なんとも本質とはかい離した事象を
垂れ流せねばならないとは
まったくひどいとしか言いようがない

まったく素人なら素人らしく
身の丈に合った振る舞いをしてほしい

一平卒として
これからも被災者のためにがんばりたいと言っていたが

はっきりいって
必要ない

きっぱりと議員辞職して
九州に帰ってほしい

わしは九州人のB型ですけん

そういわれたかて
こちらは九州薩摩の人間として

おまえのごときものと
十っぱひとからげにされることに
激しい憤りを感じる

ああ
限りなく人災の垂れ流しである

2011年6月30日木曜日

人間の身体

人の身体には
2種類があるという

人工身体と自然身体である

人工身体では
私の体はすべて数値化され
パソコンに保存され
全国どこでも普遍的に数値として把握される
そおいえば
問診などの時も顔色などは一瞬しか見ず
あとはパソコンをにらみながら
何かしらの診断を下し
なにがしかの薬を出すという
時間にしたらものの5分くらいの問診で
気を付けてください。はい次の方~
ということになる。

こちらはただはいはいとうなずくことしかできもせず
といえどパソコンにつまびらかになった
数値化された私の体のことなど
素人の人間にはわかるはずもなく
素直に引き下がるしかない

もうひとつの自然身体のほうは
それこそ生身の体のことで
触ればわかる

やわらかい己のふくよかな腹周りだとか
ほんに何の原因かわからず
急激に腹が痛くなったり
寝違えて首周りに違和感があったり
いつもとは一緒のようで
ひび微妙に精妙に変化し続けるこのナマみの身体のことである

昨日も今日も
昨年も10年1日のごとくひび正確に同じように生きてゆくことなど
そもできはしない

人間は機械ではない生身のいきものだからだ

そうといえ
ひびの社会生活においては
人間はその一部の役割を果たさねばならず
役割とは部品であり
部品が昨日と今日とで大幅に違ったならば
そも製品としては欠陥品であり
何ともやるせないものである

今日もあつい
部品として社会生活に役立てるよう本日もがんばろうか

2011年6月29日水曜日

ほんにあちなっきた

それにしてもしっかり暑なってきましたな

本格的に夏めいてきた
夏めいてくるとそこらのガキどもが元気になってくる

こちらも負けずに
元気を出していこうか

扇風機もしっかりおしいれから稼働を始めたし
エアコンの試行運転も開始した

夏は暑いし
その暑さとうまく付き合いながら
すごしてゆかねばならない

東電の株主総会が紛糾したらしい

当然といえば当然だ
放漫経営で偉そうにふんぞり返っていたのだから

といえど株主が皆が皆被害者面して
紛糾するのも少し違和感がある

放漫経営の株を所持していることによって
何かしらの利益を享受してきたのだから
考えようによっては
加害者に加担していた状態でもあるわけだ

まああまりいうまい
私がいうことなぞ
他の偉い人たちが
ぴ-チクパーチクいたるところで
さえずってくれることであろう


ああ
暑い

暑いぞ
もう7月である

2011年6月25日土曜日

土曜日の過ごし方

ひとしきり読書をし
読み疲れたらひと眠り

ひと眠りし脳がすっきりしたら
また違う本を読み進む

何かにつかれたように
書物を読んでいるが
その先に明確な目的地のようなものなどない

何かを獲得し
自分の立ち位置をここからどこかの場所に
移動させたいなどという
目標もないまま
ただただ活字の追い続け
そのイメージを脳内に像として結び
物語を咀嚼してゆく

夏の朝は目覚めが早い

6時に目覚めて
新聞をひとしきり眺める
昨夜読み止しの本に目を通す

7時半ごろ布団をあげて
すべての部屋に掃除機をかける

ほこりのたまった個所は
かるくふく

燃えるゴミと燃えないゴミの
分別された二つのビニール袋を
1階のごみ収集所へもってゆく

読み終えた本を20冊ほどひもで縛り
ゴミ収集所の書物雑誌の個所へもってゆく

ひとしきり作業をおえて
落ち着いたのは8時半だった

嫁はんは仕事にいっている

置いて行ってくれた
昨夜のお土産のコロッケパンを
かくる電子レンジで温めて
食べる

冷たい水が心地いい

洗濯物を室内に移動する

今日は昼から雨の予想だ

9時半に家をでる

スポーツジムへ向かう

10時過ぎのスポーツジムは
人が多い
みな健康に熱心である

水着に着替え
はなから平泳ぎで泳ぐ

平行に行きかいながら
他人に迷惑をかけないように
ひっそりと右側通行で泳ぐ

何かを払しょくしたくて
ひたすら泳ぐ

10代の若者でもあるまいに
ひたすら己の体を酷使して
何事がが生まれることを淡く期待しながら
ひたすら泳ぐ

気づいたら12時である

さすがに疲れて
歩行コースで静かに歩く
30分あるいた


12時半から水中ダンスのコースに出る

おばはんおじさんに交じって
ピッチの速い音楽に合わせて
水中を舞う

舞って舞って45分
頭から汗が噴き出しているのがわかる

嫁と合流

さらに30分のダンスコースにも出る

華麗に舞う

おじさんは舞う

ジェットバスで体をほぐして

へとへとの体で心はすっきりしている


夕刻早速ビールをのむ

冷えた缶ビールが心地いい

早めに夕食を二人で楽しむ


平和な時間も確実に過ぎゆく

仕事が怖いわけではないが
休日が過ぎゆくのは悲しい

仕事をして自分を維持し
何を求めるのか

人生に明確なゴールなどあるのか

さてさて疑問は尽きねど
それとて幸せな悩みには違いない

戦争のことも震災のことも
紛うことなきこの日本で起きたことで
自分は実際にその日本で
そのように安穏に悩んでいる

そんな土曜日

すでに息苦しいほど眠い

何かしら若々しいすごし方のようだ

あちなっきた

なにかしら昨年とはちがうあわただしい日々が続いている

そんなあわただしさに
何かしらしっくりなじめず
そんな心の無聊を慰める手段も別段持ち合わせてもいない

時間は見つけ出そうとすればいくらでも見つかる

むさぼりくうように
活字の中をさまよっている

カラマーゾフの兄弟
1、2、3,4

終わらざる夏 上
浅田次郎

1Q84 1
村上春樹

銀の匙
中勘助

大東亜戦争の正体
清水 馨八郎

大東亜戦争の真実
東郷由布子編

命売ります
三島由紀夫

燃えよ剣 上
司馬遼太郎

酌めどもくめども
なにかしら満たされることなく
この鬱勃たる心持がつづく


こんな感興になるのも
何かしらの理由があるに相違ない


いまはただ
己に与えられたる役割を粛々と務めながら
歩き続けるしかあるまい

2011年6月11日土曜日

今の日本

日々が過ぎ去るのは正確なものだ

少々疲れたから
少し休憩だとか

イライラしているから
少し落ち着いて

などということなく
刻々と針を刻んで
時は正確に過ぎさってゆく

本日の6月11日は
東日本の震災から3カ月にあたる

いろいろなものが大きくゆがみ
いろいろなものに大きな影響を与え続ける
震災からも刻々と時は過ぎゆき
3か月の時間が経過したことになる

何が変わり
何が相変わらず変わらないでいるのか

人間の価値観すらも大きく変化し
何が重要で正しい道筋なのかも
核となる柱が見つからないでいる

日本国家の道筋を決める立場である
政治指導層も
たかがそれほどの人間であると
ある意味世界中にそのレベルの底が知れ渡ってしまったし
本来人間は何らかの目標に向かって
まい進するとき甘美な幸福感とともに
爆発的な力をも発揮するものだが
その核となる目標となるべきものが
漠として見つけられないでいる

自分の中にほのかにはぐくんでいた
政治家という、人間として大きな使命と重責を負うがゆえに
尊敬に値しそれゆえに目標とすべきとしていた
漠としたイメージすらも
すっかりと消え失せてしまった

人間の愚かさやいやらしさ
底意地の悪さや低劣さや無知蒙昧さ
それでいてどこまでもはてしない欲深さや
猛烈な差別感

そんなものに
横軸としての国家間における差があるのか
また縦軸としての歴史時間における格差があるのか

そんなことを知りたくて
実際の今の生活には直截には関係のない本を読み漁っている


カラマーゾフの兄弟はロシアの書物である
ロシアなどという国は
わが日本にとっては
過去も現在もできれば関係をもちたくない部類に属する国であるし
その国家感やその国民意識も
我々日本人からしたら好きになどなれない国である

そんな国の文豪のモノしたこの物語に接していると
まず最初に想ったのが
我々からしたら、愚劣で白クマのごときどうもうとしか思えない国の人々
それもほぼ100年前の人々の中に
人間としての高潔さや
神にすがる敬虔さを求める雄たけびのような人間としてのくびきのようなものが書いてある。
なるほどのお~
貴国のその後の歴史をしったらドストエフスキーさん
どう思うじゃろうかい

かの国の人たちにそんな繊細で清らかな感性などがあったのか!と唖然とさせられた。
獰猛な白クマどもだけでもないんだ!

と同時に
やはり白人キリスト系ゆえに
欧米ロシアは人間の根源的な感情として
結びつきようもあるが
むしろ彼らからしたら
東洋のちんけな黄色い人種などは歯牙にもかけたくないであろうし
どこまでも動物と同列のように軽蔑の念しか起こり得ないに違いないと思ったりもした

そんな軽蔑に値する人種が
恐れ多くもわが白人軍にたてつくとは!!
日露戦から始まり、第二次世界大戦における
この何とも奇妙な黄色い猿の立ち居振る舞いに
おののくほどの恐怖を感じたに相違ない

そんな背景を鑑みて
東京裁判を改めてみてみると
なるほどむべなるかな

世界法に従うなどと悠長なことをしていては
この恐るべき猿は何をしでかすかわからないという恐怖が
前代未聞の当時、形のかけらもないかってな事後法的価値観で
みんなして敗戦国日本ひとりをさばき
占領時分にこの恐怖国家日本を骨の髄まで腐らしめんとしてつくった
日本国憲法もなるほどよう考えたものよと
違う角度からするとあるいみ関心できたりもする

完全な弱者どもが群れて、独り強者をのけものにし
憎しみ、ののしるいじめの典型である。

ジョージオーウェルの1984や動物農場すらも
所詮白人どおしの価値観の相違を寓話にて風刺したレベルにすぎない



何ともこの人間という崇高であると思い込んでいた生き物の可能性や知性は
そんなレベルのものかと、半ばがっかりとため息をついたりもしている

わが日本の今の国家指導層のこの体たらくも
よくよく俯瞰してみれば
欧米国家の予想通りの優等な出来栄えかもしれない

かれらが戦後日本に求めた日本人像は
まさに今の管内閣のような愚劣無知蒙昧な
骨抜き日本人だからである

ようやくいっちょあがりとばかりに
さながらダグラスマッカーサーなどのような凡人が今更ながら
再評価されかねもしない


やれやれ


そんな日本は
また打たれ続けている
震災にくわえて領土侵犯、財政難に企業バッシング

しかし民族の血はそれほどやわにはできていない

日本民族はその皇族の系でみても
2600年以上の連綿と続く民族である

その歴史は
もちろん低劣のそしりをうける数々の落ち度もあった

といえどこの国は
大きな外圧内圧の沸騰の末に
新たに生まれ変わる歴史も持ち合わせている

あまり日本を怒らすべきではない

トヨタやソニーといった世界規模の日本企業が
鼻につくのはわかる
かれらにはそもそも太刀打ちできないのだから

といえどいい加減にしておいた方がいい

日本人がほんとに覚醒すると
本当に何をしでかすかわからない

何らかの酩酊状態から
腹を切り、特攻すら辞さない民族である

そんな意味では
我々日本にとっていまが正念場かもしれない

強靭なゴムまりが
強い圧力に大きくへこんでいる

しかしある閾値に達すると
大きく反発し
何もかもとびちらし
新しい世界に飛び立つのである

そんな瞬間にいるのである

2011年6月8日水曜日

ぎょーざ

自宅の近所にうまい餃子屋を見つけた

まえから存在は知っていたが
つい最近はいった

うまいではないか

たしかにうまい

そんな感じで改めて店内を見回してみたら
平日にもかかわらず
客は多い

接客は中国人が
ぞんざいな態度で行っていて
なんかやな感じではあるが
といえどあじがいいので
みなくるのであろう

ああよかった
こんな店めっけて・・

しばし足しげくなるよかんである

2011年5月31日火曜日

ときにはなまけたくもある

人間は機械ではないから
そうそう毎日同じように行くはずもない

やる気充溢のときがあれば
どんより曇り空の時もある

なんとも不便のようだが
それこそが感情の起伏であり
人間の多様さの根源でもある

そんなか弱きさまよう人間は
自分の弱さを知っていて
理性で法規をこしらえた

決まり事である
朝は9時に集合せねばなりませぬ

みだらに自堕落に過ごしている人には
お金をあげませぬ

というんで
人間は感情を封殺して
日々機械のように
同じように行動する


機械のように動いていると
いつの間にか心に晴れまが差し込み
またやる気も出てきもする

仕事などというもの
どうせやらねばならぬものであれば
好きになってしまった方が断然いい

相手にとっても
仕事にとっても
そして自分自身にとってもである

さてさて
そろそろいいわけをして
自分の怠惰さに正当性を与えんとする
いやらしい自己の感情を封殺して
本日も決められた行動に
身を任せていこう
そのうち晴れ間がのぞくはずである

2011年5月29日日曜日

五月もあとすこし

今月のスポーツジム5回

出張先

青森
福島
仙台
山形
北海道
水戸
宇都宮

外食もよくしたなあ

山形で一泊
日本酒を過ごした

仙台で牛タンを堪能

北海道ではラーメン

新幹線はたいめいけん弁当にはまる

まあこれではやせるひまはない

といえどいい

5月もあと少しでおわり
梅雨に入る

人間がたべるものは
地球上にあるものに限られる

こめなどはほぼ毎日食っているから
田んぼの風景を見ると
なにかしらなつかしい

人間の肉体へと形をかえた
稲どもが何かしら反応しているのだろうか


カラマーゾフの兄弟 1巻

いまだ今一つ面白みを感じない

世に棲む日日 1、2巻
吉田松陰の狂の生き方がいい

2011年5月17日火曜日

北海道

本日は北海道へ出張である

日帰りの出張である
なんとも贅沢な!とも感じるが
それも必要なことであるから仕方がない

日本という弱体化した国の中で
経済活動が
その血液の往き来にたとえられるならば
活発に動くことも
肉体回復に寄与するに違いない

そのためにも
少しく自分の範疇でお金も使わねばならぬ

ゆえに北海道ラーメンでも
食ってこようか

2011年5月15日日曜日

日曜日 本日の過ごし方

日曜のあさ日本橋を下車し
春の心地よい風にあたる

朝の陽光はとてもやさしく
薫風と相まって
己の肉体から汚れを拭い去ってくれる

日本橋から一路上野方面へ

室町をこえ
秋葉原への進路は変更
休日にアキバ系の混雑はさすがにさけたい

淡路町方面へむかうと
スキー用品店がそぞろでる

駿河台を明治大学方面へ右折

明治大学もいまでは高層ビルである

やはり金がもうかっておるのであろうなあ
楽器がおおい
白人ヘビメタの音が
日曜の朝にはキビシイ

懐かしいお茶の水をこえ
湯島のほうへ

湯島から根津にきれて
歩きぬけると目的地である上野

上野かっぱずしは昼間半額である

思わずビール1本を発注し
あとは好きな寿司をおのおのくらう

上野から大江戸線にて門前仲町へ

門前仲町で降りて
木場までひと駅はあるく

プールに突入
しばし歩きしばし泳いで軽く二時間

こんな過ごし方で
実は1週間のすさんだ疲れを払しょくしているつもりである


夜は鉄板で
あるものを焼き塩コショウで味付け

レモンのきいたハイボールで
しばし至福の時間

そんな感じで日は暮れて
また明日から月曜日


最近の読書

二つの祖国
1,2,3,4巻
山崎豊子

日系二世の主人公を通しての
戦前戦後の日米の状況がリアルに映し出される

アメリカプロパガンダで
日本人にはその真相がほとんど
伝えられず、おそろしく日本悪者イメージで
塗り固められた東京裁判

その内容が小説という形を通して
伝えられる

夜寝る前に読むと
あまり寝つきがよくないが
やはり読まねばならぬ日本の来し方


そんな感じ
さてこれから読書に入ろうか


明日からまた適度に過ごそう

2011年5月14日土曜日

休み明けのリズム

休み明けの仕事はやはりいそがしい

ゆっくり過ごした本来の動物的なリズムから
管理された不自由なリズムになじむまで
時間がかかるらしい

仕事がいやだとかめんどくさいと思う心は
いくつになっても喚起される
人間普遍の心理に違いない

といえど
いつまでも仕事なく
誰からも一切管理されない時間が
ある一定以上に続くと
今度はそのこと自体が苦痛の種になり
なんとも人間というものは
ままならぬ生き物である

そんなままならない人間が
少しくストレス発散する手段の一つが
飲酒であるが
それとて
ある一定の度を過ごすと
今度は真夜中に雄たけびをあげるとか
あることないことくちにするとか
これまた厄介である

口は災いのもとなりとは
よくいったものである

といえど
そのような無駄なことどもの集積が
じつのところ人生の面白みでもあるし
機械でない生身の人間の
おろかしさであるとともに
暖かさでもあるに違いない

さて
連休明けて一週間がすぎた

重くのしかかるしごとを
右から左に次から次に処理し
早いようで長い一週間であった

といえどこんな感じで
歳をとってゆくのである

仕事をしながら
途中休憩をはさみ
ときに軽い過ちをしでかしながら

読書によって人間の英知を学び
この己のか弱き肉体とともに
日々をかさねてゆく

ああ本日はよく寝た

よく休息がとれた

そして
これからまた至福の睡眠がとれる

これまた機械にはない
生き物にのみ与えられし
幸せのひとつ

よき酒よき友

気の合うものどうしで
酌みあう酒は
何にもまして
いいものである

こちらが歳をとっても
先方も同様に歳をとっているので
話題の齟齬がおこらない

はたから見たら
何の変哲もない凡夫の語らいも
当人同士にとっては
何にもましてうまい酒の肴である

そんな少数のオジサンどおしの語らいには
やはりうまいものが必要となる

そこで小料理屋である

最近小料理屋の良さが少しずつ分かり始めた

良いからあるのである
需要があるのである

少しずつおじさんの趣向に
舵をとっているのだろうなと
恐る恐る自分の好みを検分する

だいぶん若い時分の趣向とは
変質している

昔は見向きもしなかった物どもに
興味をそそられるようになっている



人は誰しも歳をとる
できうれば楽しくきれいに歳をとってゆきたい

片に自己を主張する
ろうがいだけにはなるまい
うっとおしいだけである

そんな雑感
二日酔いの昼下がり

2011年5月8日日曜日

休日の健康

日本橋をおりて
大手町方面に向かう

目的は二重橋をみること

土曜日の皇居周辺は
マラソンランナーが群居してる
みな健康志向なのだなあ

庶民があまりに健康志向にむかうとき
その国家は衰亡に向かうと
ローマ帝国の関連のなにかしらの書物で読んだような・・・

小雨まじりの中
内堀通りを横切ると
眼鏡橋が出てきました

その奥に鉄橋のごとき二重橋

粋に写真をとる
笑顔で撮る

そのあと桜田門にむかい
楠公を拝む


そろそろ腹が減ったので
有楽町方面へ

キリンシティーで
昼からビール
揚げ物とビールは最強のオトモダチだ

有楽町から
元気も復活

日本橋へ向かい
茅場町を横切り
門前仲町まできたら
木場まですぐそこ

そこから
ジムで筋力トレーニングして
間髪いれずプールで泳ぐ

なんとも我自体が健康オタクではないか


それだと国家衰亡にキヨしてしまいそうで
よるは
自宅でチジミでビール

隣国の料理だが
うまいものには国境はない

そんな休日

2011年5月6日金曜日

わが来し方雑感

それにしても若い時は己が体をいじめたものだなあ

酒の量をきそってみたり
たばこをいきがってふかしてみたり

部屋がきたないことに
なにがしかのかっこよさのようなものをみいだし
私生活が汚れすさんでいることすら
わけもなくときとしていきなものなどと
かってにきめこんで
せっせとそんな自堕落な生活を漫然とすごしていた

親が与えてくれたこの五体満足な肉体は
そのような自堕落な生活にも
しっかりとリカバリーしてくれたし
どうにかこうにか大病もせずにこれまですごしてこれた

このことは
神様仏様に感謝せずばならぬ僥倖にほかならない


ときに人間は
乱れたことにひき寄せられたりもするが
それが人間の限界
というよりも瑣末な衆生としての
自分の限界なのかもしれないなあ

ポテトチップを食い荒らし
ビールやコーラをあおりたて
なにやら意味もない愚劣なテレビを垂れ流し
ズんチャかずんちゃか
騒音のような音楽を大きな音量で
これでもかと耳に投げ入れてゆく

そんな自堕落な時間を過ごして
何時までも自分は堅牢であると
若さにのみしか恃むことがない
か弱き無様な青春時代

そんな自分も否応なく時が過ぎれば
体は劣化してくる

アレレと気づいたら
さすがに四十も過ぎている

四十の関所をどうにかこうにか越させていただいた

さてさてこの己が有限の人生

これから感謝の意をあらわすよすがとして
何をなして生きてゆくべきか

ここが思案のしどころであろうかなあ

2011年5月5日木曜日

5月3日の過ごし方

5月3日は憲法記念日である

その日にあたり
憲法のことを考える

となるとどうしても終戦時のことを
詳しくしりたくなる

知れば知るほど
なんと愚劣な戦後の時間が流れているのかと
感じる

といえど
今の溶解寸前のただれた平和を享受しているという事実は
紛うことなき事実だし
何とも日々考えさせられる日々が続く

そんな
5月3日

かみさんとふたり
朝早く電車に乗り
明治神宮にむかう

原宿前の喧騒を抜け
ひとたび大きな鳥居をくぐると
神韻とした荘厳な空気に包まれる

神宮の杜というが
実はこの杜は大正時代に人の手で造られた人工の杜だという

明治帝が崩御せられ
そのお墓は京都にと決まっていたという
といえど
ぜひ東の京にその御霊は鎮めまいらせてほしいという
往時の人々の熱い想いが
明治神宮を作らせた

いまはおしゃれな原宿表参道は
当時はその名の通りその大きな参道から
明治神宮へいたる神聖な路だった

ということで
明治神宮は
明治天皇と昭憲皇太后が祀られている

「よもの海みなはらからとおもう世に
  など波風のたちさわぐらむ」


明治帝に手を合わせ

明治神宮から表参道を歩く

おしゃれな街並みが続いている

休日の朝は時間が緩やかである

青山通りを横切ると
青山墓地である

幾多の御霊が心安らかに眠っているのであろう
線香の香りに心休まる

乃木坂をこえ
ようやく赤坂である

ここで昼の時間になったし
雨もちらついてきた

かみさんとふたり小休止
赤坂で昼飯としゃれこんだ


午後はかみさんは美容院にいくというので
大手町でわかれた

自分はどうしても英霊に手を合わせたくて
大手町から九段下へ

靖国神社に向かう

憲法記念日とあって
おおかた予測していたが
駐車場には仰々しい右翼街宣車が何台も駐車してある


皇国の一戦なんとやらと
達筆な毛筆で記載してある

なんともなんとも


ひとり境内はいり
鳥居をくぐると

右翼の連中がいる

それぞれの構成員の面構えは
何ともたるんでいるし
ピアスをしていたり髪は下品なチャパツである
オメシものはカーキ色の
不良のトッコー服のようなものである
なんとも英霊に申し訳ないし
見ているとうっとおしい

自分らの行為の目的がなんであるか
まったくわかっていないらしい
少しは勉強しろと言いたい

自分の考えを
強引にみぎひだりに大別するならば
右寄りかもしれない

といえど彼奴等の行為にはまったく共感を覚えない


ちゃんとした庶民の方ほど
よっぽど自分の国のことを想っているはずである


拝殿にのぞみ
二拝 二拍手 一拝
で手を合わせる


九段下から坂をくだると
神保町である

古書店をあるき
駿河台にいたる

この辺の街並みは好きである

自分の青春時代の思い出がかすかにあるからである

雨が降り出した

雨が降れが傘を差せばいい

雨がやめばまたたためばいいのである

どしゃ降りの中
かさをさして濡れることもなく
大手町までひとりあるく

そんな感じで
5月3日の休日がすぎた

20000歩をあるいた

すこしうれしい
夜のビールも進むはずである

ゆっくりと過ぎゆく休日

2011年3月11日を
どのように受け止めるかは誰しもの受け止め方がある

そもそもそあの転換点から
冷静に往時を見つめられるほど時間もたってはいないし
まだまだその渦中にある

3月11日以降
日本のことを否応なく考えさせられたし
この国はかの隣国などとはちがい
紛うことなきわが祖国であり、日本国なのだと痛烈に感じられた

わが祖国をより感じたくて
天皇について自分なりに考察したいとおもった

われわれが非常に恵まれているのは
そのようなことにしかりと答えてくれる
努力してくれている人がいることである

小林よしのり
「天皇論」
「新天皇論」
「昭和天皇論」

この三部作を読んだ

この神国日本に生まれた幸せを感じ得たし
この国の安寧を祈りつづけておられる天皇という存在が
我々とともに在られるということに大いなる幸せを痛感させられた

この春の連休は
あえて遠出などせず
家の近所で家族二人で静かに過ごすことにきめた

久しぶりの自分の時間を
いろいろなことを見つめる読書にあてた

震災以降、天災から人災への移行を
我々は否応なしに投げつけられた

人は何事かをなすにあたり
組織を運営せねばならない

当然
ひとは物事をいまの状況からよりよき環境に移行せんが為
日々懸命に立ち働く
そしてその動きをダイナミックたらしめるために
一人ひとり己が役割を遂行し
全体として組織をなし、そして運営する
その最適な効果を発揮するための方法がマネジメントである

といえどその組織運営が
成功ばかりするとは限らず

その典型的な悪しき事例として
日本政府の愚劣きわまる組織運営がひび人災をまき散らしている
その組織の行動結果が意に反して悪い結果を出しているのは
その構成員というよりも
その組織を運営しているマネジメントする立場の人々である
それが民主党をはじめとする政府幹部であり
官僚幹部であり
東電幹部である


そんな組織のことを
改めて学んでみたくて
ドラッカーを再読してみてもいる

「マネジメント」
「プロフェッショナルの条件」
「チェンジリーダーの条件」
「経営者の条件」


まったくこの連休は自分ら家族にとっては
平和な時間が流れている

「吾輩は猫である」
 夏目漱石
 あらためてよむと非常になつかしいしうれしい。
日本のかつてあった時間が緩やかに流れているし
明治の時代、近代にひた走らんとする時間の渦中にいた人々の
動きがそこには息づいている

ユーモアを感じる焦点なども
いまの我々と違うことなどないし
やはり連綿と続く日本人なんだと
うれしくなる

漱石がいてくれてよかったと実感する。


以下目を通している本列記

「仏教のこころ」
 五木寛之

「老いの才覚」
 曽野綾子

「君が代肯定論」
 長部日出夫

「1984年」
 ジョージ・オーウェル

「ビジョナリーカンパニー2 飛躍の法則」
 ジェームズCコリンズ

「論語に学ぶ」
 安岡正篤

「ドラッカー自伝」
 ピーターFドラッカー

「パール真論」
 小林よしのり

2011年4月17日日曜日

ときは癒やす力なり

たわわにみのって
こぼれおちそうだった桜の花びらも
いつのまにかみどりに色づきはじめ
葉桜へと移行しようとしている

待ちに待った桜の満開を
心から堪能する間のないことに
手のひらからこぼれおちる砂粒のごとく
自分のなかでしっかりと獲得できぬ
さびしさとも切なさともいいようない
寂寞とした感を抱かずにはおれない

といえど
そのことは
ときが確実にながれ過ぎてゆくことの
確たる証左だし
悲しみを癒やしてくれるのが時だとしたら
この日本全土を襲ったおおいなる悲しさは
確実に快方へと向かいつつあるともいえる

今回の大惨事で
日本人同士の連帯感は確実に強まったし
立場上いろいろな役割に従事しているが
根っこのところではお互いかけがえのない絆でつながっている
同じ日本人だということを感じえた

たまたま立場が
華やかな場所で活躍する
芸能人であったりスポーツ選手であったりもするが
神ともいえる自然の前では
スターも庶民も皆が皆
ひとしくか弱く可憐で
それでいて堅固なる理性や勇気、他人を思いやる惻隠の情をも
しっかりと持ち得ている日本人同士であることがわかった


今回の件で
日本は一時的に大きく後退するはずである。

ギリギリの状態まで
テンションを張り詰めた国際競争間のパワーゲームで
確実に一歩後退する

事実は事実である

といえど
今回のことから
いろいろ学ぶ力を我々はもっているはずである

一度リセットして深呼吸して
いろいろなことを
再構築するのである


春の風が涼やかに感じられる季節になった

葉桜がすっかりみどりにかわると

深緑が萌える春の訪れである

今回の深緑の春は
いろいろなことを
いつもとは違う形で再構築してゆく季節になるはずである

風にたゆたう緑の中で
すっかり深呼吸してやる


思いっきり春の空気を吸い込んで
しかと地面を踏みしめてやるのだ

2011年4月14日木曜日

春のひととき

春のともしびは靄気に滲んで輪郭がぼやけている


遠くにゆらめくほのかな春のともしびは
そこにひとが息づいている証でもある

地下鉄の列車の音も
靄に包まれたように優しく過ぎ去る

幾多の人の人生を乗せて
まっすぐにレールを走ってゆく

何気ない日常の姿が
とても貴重に思える

普通のことの集積が人生である

その中にその人なりのトピックもある

それでも大半は何気ない日常の連続である

それが積もり積もって人生の山を築く

春が来ている

霞にぼやけて緩慢な感じも
春の優しさである

2011年4月13日水曜日

本日は晴れ

きょうはいい天気だ

いい天気になると気分もいい
人間も動物だからだ

人間生きているとやらねばならないことが
幾多もなる

その幾多のことも
普遍に大切なものだけではない

といえど
自分いっこの人間としては
やらねばならない大切なことどもである

一つ一つの単調なことは
劇的で刺激に富んだものばかりではない


といえどそのような個々の必要なことどもを
粛々とこなし得た集積が
人生の連続でもある

あさだ
いつものようにひげをそり顔を洗って
仕事場に赴くことにしよう

2011年4月5日火曜日

いきがる奴も所詮よわい

人間いくら強がってみたところで

ひとたび自然に対峙したら
誰しもひとしく弱きものということが
改めて露呈した

ポルシェでサングラスをかけて
やたら飛ばしている
居丈高な仁も
つい先日はつましくガソリンSSに
お行儀よく並んでいたし
燃料がない車など
何の役にも立ちやしない

いくらいきがったところで
この世知辛い世の中を
どうにか生きてゆくためには
隣人の世話にならねばどうしようもない

みためだけふんぞりかえったポルシェ野郎も
お水一つとってみても
きれいなお水生産に従事する人の
真摯な行為がなければ
一日足りとて生きてゆくことは出来もせぬ

弱いが故に互いに共生し
人間は生きてゆくのだ

粋がっている彼奴ほど
実は一番の弱者なのだ

都知事選ちかし

東京都知事選挙の政見放送など
当然のことながら
東京でしか放映せぬし
東京でしか役になたないものだが

くだらな過ぎておもしろい
というかおぞましい

こんなあほな奴らも
民主主義のもと選挙権だけは有している


石原氏が出馬していなかったら
ほんま
どえらいことになっていた

あなおそろしや

今時分小説なんて

事実は小説よりも奇なり

最近起こる身の回りの出来事は
平凡な人間の予想をはるかに超えており

陳腐な小説など
手にしてはみるものの
すぐに投げ出してしまう

それほど
今の世の中は生半可な気持ちでは
太刀打ちできない

2011年3月27日日曜日

日曜日の散歩

春がそこまで来ている

いろいろなことに自粛ムードが漂っているが
朝の春の日差しにこうべを垂れていると
春の風に当たりたくなった

かみさんとふたり
朝から地下鉄に乗り
浅草へと向かった

浅草寺で芳しい線香の香にこころ落ち着かせ
本殿に手を合わせた

朝が早いからか
この時節がらなのか

仲見世通りは比較的人がいたが
伝法院通りなどはひとはまばらである

なじみの靴屋を覗いて
てごろな靴を購入

朝の光に照りあえるアサヒビールのビルの横に
新しい東京のシンボルであるスカイツリーの雄姿が美しい

ゆっくりとたゆたう隅田川の水も
近くに臨むと津波の映像と重なり
少しく腰が引けた

大きな隅田川沿いを
川に伝って散歩する

風は冷たいが
確実に春の兆しがある

ここに満開の桜が咲くころ
日本人は少しは自信を取り戻すことができているだろうか


しばし春の陽光に背中を押されながら
いつの間にか日本橋まで歩いた


ひとやすみに
サイゼリアにはいる

みなが一様に日曜日の昼の平和な時間を過ごしている

我々もすごした

こんな時間でいいのだ
日曜日は静かに流れなければならないのだ


いろんなことを想いながら
日曜の散歩で
心地よい疲れが残った

都知事選

東京は日本の首都である

幾多の歴史を刻んできた都市であり
世界に誇りうる
日本の中枢都市である

その長である都知事は
どんなことがあっても人選を間違ってはならない

自分の故郷を
中途半端で投げ出し
その故郷が受けている試練からも途中で逃げ出し

たかだか日本のテレビで少しだけ
顔が映っただけのつまらぬ男に間違っても当選させてはならぬ

かってな思い込みに過ぎないが
かの奴の顔が私は嫌いである

非常に恣意的であるが
生理的に受け付けないのである


居酒屋も当選させてはならぬ

自分が創業者かもしれぬが
いったん会社となったからには
社会における公的な存在である

そんな公的な存在に
自分の名前を付けるなど
恐ろしく自己顕示欲の強いこと
うっとおしいかぎりである

立候補に当たって
退路すら絶たず

金に任せて介護などの
社会事業を金銭の食いものにしている

詳しくは知らぬし
知りたくもないが

そんな男にもどうしても東京の都政をも任せてはならぬ

もちろん現職の石原氏にもいいところ悪い所ある

といえど
格が違いすぎる

軽すぎる男に任せたなれの果ては
今の国政を見ればうんざりするほどわかるはずである

選挙は民主主義の制度である

つけは必ず自分にまわってくるのである

安易に一度だけだからと
詰まらぬ男に票を投じてはならぬ

大変なことになる

2011年3月26日土曜日

いろんな醜い光景

世間というものはかくももろく
かくも自分だけの利益しか考えていないものなのかと
愕然とする。

地震が起こっていらい
未曾有の出来事が次々と起こり
その政治的主導的立場が
安易な判断のもと
何の定見もない発信を連発している。

それに国民はその都度右往左往させられる。


ガソリンがないとなると
ガソリンスタンドに長蛇の列ができる

出勤時の日比谷通りは
普段は皇居に面して
朝はことのほか穏やかである

それがこの騒ぎのさなか
朝っぱらから道路のひと車線は
車の長い列である

並んでいる車も
場所柄であろうか
レクサスやベンツが多い

助手席シートが
大きく前に倒されているところを観ると
誰ぞエライひとの黒塗りに違いない

高級車がずらりと並び
並んでいるところに
隙間があいたとたん
どこぞからベンツなどがスルリとよこから入り込んできて
まじめに並んでいた後続車などが
大きくクラクションを鳴らして怒りを表現している。

車内からはにらみを利かせながら
前方の運転席を一点凝視している


何とも殺伐とした光景で
といえどみな自分さえよければの醜い行動の一つの形であって

朝はやくから何ともうんざりさせられた

動物といっしょではないか・・・


たとえば
原子力漏れの問題にしてみても

いつもは潤沢にあるコンビニの水が
一切なくなっている

だれがいつかっていったのか

そうといえば
ホウレンソウが山積み
うれもしない


一時はなくなった
米がもう並んでいる。
ガソリンスタンドも平穏なものである

人間の弱さはもろに露呈する

自分が孤高に立って
偉いと言っているのではない

なんか悲しくなっているのである

いろんなことを冷静に見ていかねばならない


いろんなものがいろんな形で変容している


基準のようなものを見つけねばならない

たとえば武士道のような
高度に美や礼節を重んじる
日本独自の倫理観などである

針鼠の概念と三つの円

偉大な実績に飛躍した企業と比較対象企業との間には、
戦略に二つの基本的な点で決定的な違いがある。

第一に、飛躍した企業では、戦略の策定の基礎として
三つの主要な側面を深く理解している。

これらの側面を我々は「三つの円」と呼ぶようになった。

第二に、飛躍した企業では、この深い理解を単純で明快な概念にまとめ
この概念をすべての活動の指針にしている。
これが「針鼠の概念」である。

つまり、針鼠の概念は単純で明快な概念であり、以下の三つの円が
重なる部分に深い理解から導き出される。

1.自社が世界一になれる部分はどこか。
  これはコアコンピタンスがどこにあるかよりはるかに厳しい。
  コアコンピタンスがあってもその部分で世界一になれるとは限らない。
  逆に、世界一になれる部分は、その時点で従事していない事業かもしれない。

2.経済的原動力になれるのか

3.情熱をもって取り組めるか。

ストックデ-ルの逆説

ベトナム戦争の最盛期
「ハノイ・ヒル」と呼ばれた捕虜収容所で
最高位の軍人だったアメリカの人物。

ジム・ストックデ-ル



私は耐えられた
それは
「私は結末について確信をうしなうことは決してなかった。
 ここからでられるだけでなく、最後には必ず勝利を収めて、この経験を人生の決定的な出来事にし
 、あれほど貴重な経験はなかっといえるようにすると。」

では耐えられなかった人はどのようなひとか
「楽観主義者だ」

「そう、楽観主義者だ。クリスマスまでには出られると考える人たちだ
 クリスマスが近づき、終わる。そうすると復活祭までには出られると考える。
 そして復活祭が近づき、終わる。つぎは感謝祭、そしてつぎはまたクリスマス。
 失望が重なって死んでゆく」

「これはきわめて重要な教訓だ。最後には必ず勝つという確信、これを失ってはいけない。
 だがこの確信と、それがどんなものであれ、自分がおかれている現実のなかでもっとも
 厳しい現実を直視する規律とを混同してはいけない」

2011年3月24日木曜日

運不運は天に在り

生死を含めて人間の運不運は天のみぞ知ること

さすれば
我々は何故にこの世に生を得たのかを
自分なりに考え

その考えが自分のなかで
結実したならば

あとはただその実現のために熱意をもって
集中すればいい


運は天に任す
我はただその与えられたる力を
思う存分発揮する努力をすればいい

この現実をみよ

それにしても日常が大きく変わった

日常に対する個人的な心構えが変わった

朝起きるとすべてが夢であったらと思う
しかし徐々に覚醒してゆき
そしてこのことがやはり現実であるのだと
自覚する

ツイッターをのぞいていると
常にいろいろなところで
いろいろな人々が
いろいろな立場でつぶやいている

こんなことも
ついぞ30年前には予想だにできない光景だ

新しいコミュニケーションの輪で
顔を知らぬ者どうしが
自由気ままに意見をオープンにしあっている
この新しい現実のなかで
実光景が65年前の敗戦後を彷彿とさせるような
何もない荒廃の姿

これほどおぞましく滑稽な光景があるだろうか

こんなことをシュールとでもいうのだろうか

いろんなものが崩壊した

第一次の自然災害から
追随するもろもろの災害は実のところ人災の部分も多分に在る

現代社会は知識社会で
知識社会は否応なしに組織を必要とし
幾多の組織の行いによって社会が運営されている

組織はその統御が必要である

マネジメントである

そのマネジメントを戦後日本は
必死になって学びそして成功させてきたはずであった

しかしその成功は
前時代の厳しい環境で育ってきた
人たちの業績であり
実は現代日本人の
偉いといわれている人たちは
そのマネジメントを
しっかりと遂行できないということが
露呈した

露呈しただけならいい

そのひどい体たらくがひとの命を脅かし
ひとの生活に大きな支障を起こせしめ
加工貿易国である日本の製造業をも危機にさらしめ
第一次産業を生業とする人々の生活の糧を奪うに至っている

今の日本政府と東電には
それなりの責任を取ってもらわねばならない

何ともやりきれない怒りがこみ上げてくる

そんな中でも
粛々と生きる日本人を誇りに思うし
護ってゆかなければならないとも思う

今のエライと称し称され
ふんぞり返っていた一部のくずのような群れは
その身分もはく奪せねばならぬし
そのやってしまっている現在進行形の甚大な過ちは
責め苦を負ってつぐなってもらわねばならぬ

しっかりと責め苦を負ってつぐなってもらわねばならない

こんな日本に我々は立っている

2011年3月21日月曜日

弱いいきもの

人間がいかに弱い存在であるかがまざまざとわかった

自然が本気になれば
日本本土さえもひとのみにできうることが
まざまざとわかった

家も車もビルも列車も
堅牢と思われていたものが
かくももろく崩れ去った

人間個々も
ひとしく弱い存在だと
つくづくとわかった

自然は神のごとき強い存在である

人間はその中で
生きてゆかねばならない

負けるわけにはいかない

民族の大変革が起こりそうだ

神ともいえる自然が
溶解寸前の現代日本人に大鉄槌をくらわせた

なめたらいかんぜよとばかりに
本気の怒気をあらわにした

この怒気に気づき
歪曲されていた日本人の道を修正せねばならない

この美しい日本を
再起させねばならない

こんな気持ちも風土も美しい国土民族が
世界中に二つとあるだろうか

負けるわけにはいかないのだ


どうしても負けるわけにはいかないのだ

民放のTVCM

ACの広告はいい加減にしてほしい

まつかたひろきと娘が
骨格が太く
太りやすそうで
まつかたに瓜二つということは
もうわかった

偽善のシーンももういい

ときに洗脳のようにも思う

それに抵抗するのは
その時にもよおす
嘔吐感ににたつよい嫌悪感にちがいない

2011年3月20日日曜日

記憶せねばならない

記憶せねばならない


この惨状を記憶せねばならない


先日靖国神社にいった


その折、この国を護ってくださいと祈った


鳥居をでて
振り返ってはっと気付いた

護ってくださいではなく
我々が護ってゆきますと報告せねばならないはずではないかと

しばし遠目に本殿を望みながら
胸込み上げるものがあり
しばし立ちつくした

この国は彼らが命を賭して護ってきた日本である
それは確実に我々に引き継がれているし
それを次世代に大切に引き継がねばならない


そう想い靖国を後にした


後日この惨劇が起こった


何が起こったのか
この国の崩壊が始まったのか


自分はその時宇都宮にいた

その刻限には移動しようと
地上を歩いていた

ガタガタと騒音が鳴った

近くで何かしら大規模工事でもしているのかと思った
風が吹き抜け
シャッターがひしめいているのかとも思った

地面が激しく揺れた
しばらくは何時もの軽度の地震かと軽く考えた

大規模工事の騒音と勘違いした音が
建物の構造物が崩壊し、落下する音とわかった

振動は徐々に大きくなり
始めて恐怖を感じた


靖国で祈った国を護るということが
想いだされた

何が起こったのか
これは夢ではない

すべての今までのぬるい秩序が崩落した

護れるのか、
祈った。護ってくださいと


この惨劇は記憶せねばならない

日々できることをせねばならない

一人ひとりが日本人として
克明に自覚し
行動せねばならない

いま緊急物資の輸送が急務である

吾もその業務にいまは忙殺されている

この国を護りぬかねばならない

2011年2月27日日曜日

2月もよかった

今月のスポーツジム実績は
4かいごあした。

6かい会員の月謝をしはらっているゆえ
いますこし気張らねばならぬ

うまいもんはよういただいた。

血圧の薬うけとりに診察にも行った
散髪も4カ月ぶりにいき
おとこまえっぷりも上がった

よい2月でごあいした

北の旅人 旅程1

2月ももう終わりである

何とも歳月の過ぎゆくのは早いものである

つい先日2010年度が過ぎゆき
新しい年度をむかえて
とてもはしゃいでいたのに
もう2カ月もすぐゆきてしもた

2月は意識して
東北を歩いた

まず最初に赴いたのは
福島である

過去
といってもそう遠くない過去
この場所は強烈な佐幕の地であった

歴史が大きく転換するとき
西南の地から
その改革のうねりが巻き起こり
そのエネルギーは
日本列島を西から東へ縦断した

その折
悲劇は起こった

かの地の歴史に忠実な人で
薩長と聞くとその血が逆流する者がいても不思議ではない

そんな福島の地では
2~3時間時を過ごしただけで
さっさと東へ移動する

何をされるかわからないではないか
安全志向なのである


仙台で一度降り立ち
腹が減ったので
牛タン弁当を仕入れ
すぐに秋田新幹線に乗り込む

秋田に移動する日は
折悪しく吹雪激しく
秋田の街に入線したのは夜の9時に近づこうとする刻限である

ホテルにどうにかチェックインし
とにかく秋田の味を求めてさまよい出る


何気に見つけた
秋田地酒の店

焼酎は飲めるドン
地酒は苦手な私である

といえど
とりあえず寒いので暖簾をくぐる

月曜日でもあり
客はまばら

炉端焼きのカウンターでは
客は私一人で
焼き役の若い女の子も独り

彼女は生粋の秋田っこで
料理から酒から
すべておすすめをいただく

秋田らしい味で
とても満足

よかよか


翌日は秋田で仕事をし
その夜は青森へ移動

青森に着いたのも
夜遅い

青森新幹線に乗り込み
夕食は駅前の食堂で
軽くすませる

翌日は
青森から札幌である

青函トンネルを潜り抜け
函館から札幌までは空を羽ばたく

パンパシでバイキング

2月22日はかみさんの誕生日である。

今年の22日は火曜日で平日だったため
昨日ささやかな誕生の宴を2人ひそやかに挙行した

横浜のパンパシフィックホテルで
ディナーである。

ディナーといえど
実はバイキングである。

といえど
バイキングの中でも群を抜いてうまいところである。

夜はたくさん食べると決めていたので
朝起きて部屋の掃除をして
その足で
スポーツジムへいった

夜の楽しみなことを胸に
プールにておのが肉体に負荷を加える

夕刻5時からの誕生会

料理は予想に違わずうまい。

ノンアルコールビールと
横浜の夜景が
食事の雰囲気をバックアップしてくれる

たしかにうまい。

そんな感じでいい

庶民の生活は
個々のささやかな行動に自分なりの幸せを見つけることだと思う

幸せとは多分に恣意的で
その本人が幸せと感じることが
その人にとってまがうことなき幸せのはずである


そんな積み重ねで
人生を積んでいきたい

人間は確実に歳をとって
人生を死に向かって
進んでいくのである

その道程は楽しくあってしかるべきだし
その方途はこちらにゆだねられている

駿台中山学生寮

東京に初めて出てきたのは
18歳のときである

人生で初めての大学入学試験で
望む大学の試験に見事敗退して
その年に間髪いれず駿台予備校に通うことを決めた

親戚の勧めでの駿台予備校。
その名すら知らなかったが
鹿児島から3月に上京。予備校の入学試験を受けることに決めた。

東京というと
鹿児島からはかなりの遠方で
鹿児島人以外の人との出会いは生まれてこのかたテレビ以外では初めてであり
不思議なことに当時、彼らが日本語を話して歩いていることを奇妙に思ったりした。
それほどの田舎ものだったのである。

東京のほうからしたら
鹿児島の方こそ異国に近いはずであり
今思えば彼らの吾を見る目も
一種異人を観るがごとくだったようにも思える


駿台予備校に入学できることになり
一年間のすみかは
駿台の寮ときまった。

千葉の下総中山という駅の近くに
駿台中山学生寮があった。

そこの入寮にも試験があったように思える

かの寮は歴史も古く
以後知りあった予備校の友人から
過去この寮には
芸能人の中村雅俊がいたとか
そのむかし浪人生活の苦労故自殺者がいたとか
そんな話を聞いた

寮の部屋は2人部屋で
私の同部屋の人は群馬から来たということであった

寮の部屋は
ドアを入ると両方に2段ベッドがあり
唯一のプライベートは
ベッドについているカーテン一枚で
その布切れ一枚で自分の時間を守るのである

同部屋のかれは群馬の前橋高校出身ということだった

群馬とは言えその発音は流暢な標準語で
それだけで自分の中に何かしら引け目のようなものが芽生えつつあった。

しかしながら今にして思えば
彼自身には私を上から見るなどという意地悪なものは微塵もなく
どうにか友好な関係を築こうと
なんどもこちらに手を差し伸べようとしていたように思える。
非常に優しい男だった。

こちらがわのかってな被害妄想なのである。

同部屋で同じ予備校で同じ教室となると
どうしても一緒に行動したくなくて
こちらは自然に外に友人を求めた。

かれは内向的な性格で
ベッドにカーテンをしめて
独り静かにラジオを聴きながら
少女マンガを読んでいた。

ときにラジオが面白いのか
マンガが面白いのか
深夜暗闇の中
こちらに気を使ってか、
音を絞って彼が独り笑うその声に
必要以上に憎しみを覚え
それ以来ほとんど彼とは話をしなくなり
ときに存在すら無視するような行動をとった。

今思いかえしてみると
彼は何時もひとりで
振り返ると何時もこちらを見つめていたし
その顔は頼りなげなそれでいて希うような
かぼそくやさしい笑顔であった。

食堂でも一人だったし
教室でも一人だった


そんな気の優しい群馬の孤独な男を
自分は徹底的に無視したし
新しくできた友人などに
自分の同部屋の人間が少女マンガを読むような
おかまのような奴であり

そんな不運なやつと同部屋に当たってしまった自分が
いかにかわいそうであり
それゆえ自分を同情してくれよというような不遜な行動をとった。


20年の歳月がたって
最近無性に彼のことが思い出される。

一年間一緒の部屋ですごしたくせに
かれがどのような進路に自分の未来の選択をしたのかも
わからない。

かれが何に悩み、何を夢に頑張っていたのかもわからない。

ききもしなかったのか、きいたのに忘れてしまったのか。


自分が鹿児島に帰ることも
彼に伝えただろうか。
かれはその時もやさしく微笑んでくれたのだろうか。


いま思えば
若さ故とはいえ、彼をしてとても傷付けてしまったように思う。

どうであろう。
かれはどう思っていただろう。
またやさしく微笑んで
そんなことはないよ、といってくれるだろうか。

一度かれに再会して
久闊を叙したい。

といえど
今になってしまえば
彼の名字すら忘れてしまったし

思い出すのは
自分の脳裏の中だけで微笑むかれの優しげでそれでいて孤独な表情と
直人という名前だけである。


再び会うことなどできはしないだろう。

青春のほろ苦い思い出である。

人は誰しもいつかは死ぬ

人はだれしもいつかは死ぬ

人は誰しも日に日に歳月を経て
年齢を重ね
歳をとる

これだけは何物にもあらがうことのできぬことである

人は誰しもいつかは必ず死ぬのである
その生き死には天のみぞ知るところである

2011年2月25日金曜日

最近目を通した本

最近目を通した本

やればできる
 勝間和代

空気を読むな本を読め
 小飼弾

正岡子規
 多湖輝

成功のコンセプト
 三木谷浩史

1分間勉強法
 石井貴志

禁煙セラピー
 アレンカー

ダイエットセラピー
 アレンカー

敬天愛人 西郷隆盛1
 海音寺潮五郎

坂の上の雲 1~8
 司馬遼太郎

仰臥慢録
 正岡子規

病床六尺
 正岡子規

尾崎放哉句集
 尾崎放哉

翔ぶがごとく1~3
 司馬遼太郎

やはり書き手に力量の差が非常に大きく
読んでいて気持ちのいいのは
堅牢な文章力の著者のものである

正岡子規の2冊は必見である
かれの人間性が非常に現れている

個人的には
仰臥慢録がいい


非常に個人的な文章で個性が迸り出ている
かれはいまのツイッターなどの
元祖かなとも思う



 

2011年2月24日木曜日

ダイエットセラピー

禁煙セラピーというベストセラーがある

自分はたばこをやめてひさしいが
最近この本を読んで
禁煙に励んでおるという仁の話をきいた

そんなおりから
同じ著者で
【ダイエットセラピー】という本がある
古本屋で何気なく物色していたとき
かの本が
私はここだよ~と声をかけてきたような気がした

頭に
読むだけで絶対やせられるとある

何とも
うるさい


かの本のエッセンスはその11カ条にある

この本では
イージーウェイという表現をしている
ウェイトとウェイ【道のり】をかけているのである

1.イージーウェイ11カ条に必ず従うこと
2.心を開いて
3.わくわくした気分で始めよう
4.自然の法則に逆らうようなアドバイスはすべて無視すること
5.目標体重は設定しないこと
6.おなかがすいていなければ食べないこと
  食事は空腹時に食べるからおいしいのだ
7.味覚の奴隷になるな!
8.ジャンクフードに注意
9.本物の食べ物で空腹感を満たすように心がけよう
  ジャンクフードでは空腹感は癒やされない
10.とにかくやってみよう
11.あせらないで!

ということである。

それに加えてポイントは
●一番いい食べ物はフルーツである
 そのフルーツを朝食で取るのがベストである

●肉 乳製品はだめ

●ジャンクフードは
 肉 乳製品 チョコレート 砂糖などのこと

ということである

私は
ジャンクフードはだい好きだし
肉も大好きである
チョコレートも捨てがたい


すこし考えてみることにする

 

2011年2月20日日曜日

みきたにごろう

ベンチャー企業の雄といえば
やはりホリエモンではなく
ミキタニゴローだろ!

やはり10年間であれだけの
インターネット仮想空間をビジネスとして
立ち上げる度量は
さすがだよね~!

となにかの酒の席で
適当に語らっていたとき

みきたにごろうかなあ
といぶかしむ仁あり

たしかミキタニゴロウだろ
と酒のせいもあり吾らにとってそれほど重要な話題でもなく
適当に過ぎゆきていったが
なにかしら奥歯につまっているようで
ピリッ!とこない

みきたにみきたに
とつぶやきつつ
後日調べてみたら

三木谷浩史さんでした

としたら
ミキタニゴロウとは
誰じゃと自分の中でしばし葛藤があり

そうかと得心した

大河ドラマ 江を
観ていたら
猿の素晴らしい演技をするヨカニセが
画面いっぱいに我が物顔でオドッテおるではないか

岸谷五郎さんが・・・

おおそうかい

三木谷さんと岸谷さんが
何時しかかってにわが脳裏にて融合して
ミキタニゴロウさんとなってしまっていたのだ

いずれにしても
吾らには縁薄い高い世界に人たちのことゆえ
といえど
すみませぬ

ゆるしてたもんせ

そんなことがあったのである

2011年2月7日月曜日

今週これから

今週は本日より東北行脚の出張である

初回は因縁ありの会津福島

福島を終えて秋田に北上
青森へ横断し

エンディングは札幌である

生まれ育った土地とはま逆の
北のとちへ
久々に行脚する

その土地の匂いは
しっかりと汲み取ってこよう


それにしても寒そうだ

2011年2月1日火曜日

霧島の新燃岳

霧島の新燃岳の噴火が気になる

自然の猛威の前には
人間は非力だ

大丈夫であってほしい

最近、宮崎・鹿児島には
うれしくないニュースが多い

鳥インフルエンザや
この自然の猛威である

手を合わせて
祈るばかりだ

2011年1月30日日曜日

森山良子

森山良子の歌声はいい

先週の土曜日
始めてかの人のコンサートに出向いた

客層は予想していたが
非常に高齢で
我々夫婦はその中においては
かなりの若年である

歌を歌いだして
45年というその歴史は
そのまま
戦後日本の経済復興の歴史と時間を共有しており
そこにイデオロギーを入れない限り
昭和生まれの端っこにいる私どもにも
その歌声は心地よくひびいてくる

お客にやさしい構成で
コンサートは二部構成である

おしっこも済ませ
準備万端
座席についてよーっしと期待していると
期待通り!

後半のスタートは
【さとうきび畑】である。

コンサートに赴く前の
ほのかな期待としては
生の【ざわわ】がきけるということで
同僚にもそのように吹聴していたのだ

コンサート会場に
漆黒の闇が広がり
ステージ一点に光が照射される

そこにギターを肩にかけた
森山良子が
前奏なしに突然に

【ざわわ♪~】と始めるのである


シーンと静まりかえった
ホール内に
彼女の清涼感あふれる声音で
かの瞬の悲しい思い出が静かに紡ぎだされる

それを聴きいる
われわれの心にも往時の悲しい情景がしずかに
起想せしめられる


その刹那
左前方で
「ブーンっ」という静かではあるが嫌悪感のあるノイズが耳に障った

まさかあのいまわしきB29の襲来か!
といぶかしんでいると
私どもの一つ前の席のオヤジが
その前のオヤジの後頭部をゆびさし
【ノイズの音源はこいつだよ】とばかりに
横の奥さんに注意を促している

その瞬間に
私には事の真相がつまびらかに理解できた

私から2列先のおじさんの
後頭部がざわわの切ないメロディーのなか
薄闇の中浮かび上がる。
ふわふわと左右に振り子のごとくたゆたっている。

かのおっさんの頭部は
モノをかざせばきれそうな
美しい角刈であった

角刈というヘアースタイルの醍醐味は
直方体を想わせるその形状に
人間の感覚に中に
美しき節度を起草せしめる

角刈の醍醐味は
その天面が天空と平行をなして
その延長線上は
どこまでいっても交わらないという
とこしえの自然界のきびしい摂理にも認められる

角刈は凛として
天空と対等に対峙しておかなければならないのである

そんな直方体が
後方の私から見ると
北西の角度にゆがんでいた

直線をなす頭頂部が
天空と平行をなすことなく
左上方に傾いているのである


ようは角刈のそのおっさんは
あろうことか
ざわわの神韻の静けさの中
その心地よさにうつらうつら舟をこいでいたのだ

しずかなざわわの旋律のなか
あろうことか
いびきをエンジン音にしてその稚拙な小舟をこぎ、
その忌まわしいノイズは
戦時におけるあのB29を起草せしめ
観客席にいるうつくしい心の持ち主になろうとしている人たちの
心の中に憎しみを生起せしめた

おっさんの風にたゆたう角刈の頭頂部は
幾多の人々のにらみを浴びたはずである

その攻撃の中に私の目も入っていた・・・・・


そうとはいえ
なまのざわわは限りなくよかった

コンサートの帰りは
お決まりの反省会である

会場が江東区であったため
かみさんとふたり
まずは焼き鳥屋に顔を出し

間髪いれず
その焼鳥屋の隣にいちする
だるまに赴いた

久々の大阪風の串焼きは
コンサートの余韻にピッタリで
何ともここちいい寒い夜となった

2011年1月26日水曜日

本日のこと

本日は朝から仙台へ出張

さすがに寒い

帰宅時刻が嫁とかさなり
自宅近所の
焼き鳥屋で少し小休止

ときには息抜きも必要

2011年1月16日日曜日

大河ドラマ

NHK 大河ドラマ 江をみる。

戦国ものもいい

それよりも
最近はほんに涙もろくなった

少々感動的なシーンが来ると
ジーンとくる

ただ
安きドラマでは
それすらも抑制せねばと思ったりもする

踊らされるわけには
行かないのである

つくりもので
お仕着せの感動はいらないのである

ただ
その点
NHKはいい

むろん自分の勝手な位置づけである

2011年1月15日土曜日

うえをむいてあるこう

人間というものも当然のことながら
地球上の生物の一種であるから
自然の環境に影響されるのは当然である

生物としてうけとる
寒さというものは
やはり何かしら陰で内な感覚である

日本文学史上で
太宰が東北の地から生まれ出たのも
偶然とばかりはいいえず
おそらく東北の
見通しのきかない鉛色の寒さが
その精神を自分の内面に向かわしめ
彼をして何とも感情的に内向きな
精神文学を書かしめたに違いないと漠然と思ったりする

寒さは人をして
その精神を
内向きに向かわしめる

そのことが別に悪いということではなく
季節におおじて
いろいろと対応させられる
日本人が幸せであると言いたいのである


北海道の雪に接した後
東京の地を踏み
日本列島の多様さを改めて体感した



実は日本人は
その歴史の中で
小さいとはいえ
南北にひょろ長く
春夏秋冬の四季が明確で
それゆえに世界中で最高に芳醇な土地に住み続ける中で
いつの間にか
人間としての多様さを
自然と持ち得ている

多様さというのは言いようもなく強みである

日本民族は
他国人からはなににもまして
不可思議な存在と映るのかもしれぬが
実は日本人にとっては
至極当然の仕儀なのである
多様さを歴史的にも培ってきているのである

とはいえ
最近の日本人の溶解ぶりは
何ともひどいとしかいいえず
そのことを考え始めると
陰鬱として下を向きたくもなる

といえど
寒いながらも
上を向いてあるこう

その方が楽しいし心地いいはずだからである

本と整理

油断をすると本というものはどんどん増えてゆく

自分の周りを清潔に保とうとすることと
本が増えるということは
相反する

やはりそこには自分のなかに
執着があり
まだとっておこうとするいやしさがある

とはいえ
一度読んだだけで
その本をすべて習得することも
できるものでもなく

このもんだいは
しばらく付き合わねばならぬ
懸案である

ただ思い切って捨てた後は
何事においても
すっきりするのは事実で
すっきりしないと
何事もよいパフォーマンスは発揮できない

やれやれ
まあ贅沢な悩みでもある

北海道出張

年始最初の出張が北海道とは
今年も気ぜわしい

オフシーズンの北海道は
宿が安い

温泉付きの朝食付きで
3900円ははげしくお得である

12日の夕刻
北海道に向かう飛行機に乗るも
【大雪の場合羽田に引き返すこともあります】
【あしからずご了承ください】

という条件付きである。

ご了承くださいと言われたかて
一般平民は
はいそうですかとひきさがざるを得ない

予想通り
札幌千歳の滑走路凍結のため
上空にて旋回
溶かす作業待ちで
不安なフライトも無事に着陸

お外に出た刹那
予想していたとはいえ暴力的な寒さである

マイナス9度

本格シーズンに本格の雪が見れて
部外者にとっては
物珍しくうれしい

耳を切れそうにしながら
狸小路の中のホテルにチャックインして
2軒隣の【魚平】に出陣

この店は前回偶然見つけた店なれど
独りのときはちょうどいい

サッポロビール飲み放題で
880円
60分と書いてあるが実はなし崩し的である

おまけにあら汁が飲み放題で
暖をとるのにいい

安いあてをかるく発注し
ひとり札幌の夜をたのしむ

となりでは
地元のサラリーマンが
人事仕事論争に花盛りである

【前田くんよ きみはあまいよ】
【部長のかんがえはそこよりもっとさきをいっているのだよ!!】

などとやせた係長らしきおっさんが
熱燗をかかえて
若手の前田君にくどくどと説いていた


外は大雪である

平和な感覚でいい

隣で私はせっせとデジカメで料理を撮影

配ぜんの優しそうなおばさんの
笑顔もいい

冬は寒いに決まっている

そんな感じで1月スタートである

2011年1月11日火曜日

楽しくいきる

正月休みもようやく終了。

本日より通常モードである。
少しずつ本年の自分の目指す姿を模索してゆこう。

まずは
やはり体調である。

久しくつけてなかった万歩計をつけるようにしよう。
やはり基本は歩くことである。

朝夕の何気ない時間を
できるだけ歩くことにしよう。

そして
自分に素直になるようにしよう。

単純でもあろう。

何が目標かといえば
いたって簡単で
楽しいか否かということにつきぬけてゆくかも知れない。

苦痛より楽しいほうがいい
悲しいより楽しいほうがいい
悔しいよりたのしいほうがいい


そう思って
生きたのが子規であるなら

自分もそうありたいと願ってみよう

虚飾などどうだってよく
ようは楽しいかどうかである

他国にいやしめられるのは楽しくない
となれば楽しいようにすべきである

そのためには独立である

自分の力をつけて
自分の力で何事もなし得て
楽しいということになるだろう

他人のお仕着せのモノなども
本当に突き詰めてゆくと
楽しいとはいえないかもしれない

だったら遠慮せずに
排除してゆけばいい

ことしは
コミュニケーションの過渡期から改革への元年になりそうな
予感がしないでもない

ブログやツイッターの
爆発的な進化と普及がおこりそうだし
ウィキリークスという
今までにないフラットな情報の共有媒体が生まれてきた

そんなものとも
自分なりに楽しいという切り口で付き合ってゆければいい

楽しく生きる

そこにつきるかもしれない

そういう感じでスタートしてみようか

槇原君の今回の歌

JR東日本の青森への新幹線開通

そのTVCMに使用されている
槇原君の今回のうたはいい

個人的に久々にこころに浸透するような
かんじがして

なにかしらなつかしくやさしい気持ちになる

できればそんなささいな断片を
自分も
やさしく表現できればと思う

2011年1月10日月曜日

いろいろな情報のかたち

情報の伝達ということからすると

文字というものは
便利ではあるが限界はある

たとえばおいしい料理を紹介するのに
文字をいくら並べ立てたところで
その画像で直截に見せた方が
限りなくそのおいしさが伝わることがある

そんなことからすると

画像を画像のまま
情報を受け取ることも
重要なことだと思う

そんな意味で
読書だけが
研鑽の手段ではない

いろいろな器官を駆使して
この楽しい世の中と対峙できたらと思う

休日のよこはま








えーけーびー

これのネーミングが腹立たしいねえ

AKB48だって

エ~ケ~ビ~フォーティ~エイト

だって
秋葉原を表現しているらしいが
何ともうっとしい

マスコミによると
国民的アイドルグループという

なんで国民的なんや

個人的には
うっとおしいだけである

ファンが大勢いるだろうから
批難はこれくらいにしておこうかな

2011年1月9日日曜日

かんぺい

かんぺいが世界をはしってるかしらぬが
そんなもん
自分の欲望のために走っているにすぎん

なにゆえ
かれにたいして
あたたかな声援などを
おくらねばならぬのか

メディアの押し付けに
同調してしまう
知的に弱き聴衆は
そのようなものかと
しりもしないかんぺいさんへ
あたたかいおうえんをするであろう

なんで
かってに自分の好きなことを
している男を
そないにもりあげる

あな あさまし

2011年1月8日土曜日

ホルモン

予想通りというか
ほぼ確信的であるが

今夜はホルモンにいくと決めていた

久々にいった
七輪の煙もゆる場所である

まずは
生レバーと生ビールで
あいさつし

そのあと
ホルモン
てっちゃん
まるちょう
はらみ
とんとろ
なんこつ
と攻めゆき

ナムル
ねぎなむる
ではしやすめ

そんなおいしすぎる仲間たちと
生ビールで邂逅し

ホッピーで巡航し

軽く二時間の航海である

米を食わずに
腹がいっぱいになった


家に帰ってきて
ナイシトールを服用した


確信的な過剰なカロリー摂取である

それも人生よ

ハハハっ

知的生活

【知的生活の方法】

 渡部昇一

この本も一種古典のようなものになるつつあるが
さりとて
生きる上で知的な生活が
如何にいいものかが改めてわかる良書である。

静かな環境で
人類の大いなる財産である膨大な書物を
読むことのできる幸せは
おそらくは何物にも代えがたいにちがいない


日本語以外に語学ができたらいいと思う

世の中を構成する
物理学が理解できたらとおもう

無限に多様な生物の様態が分かればとも思う

人生を生きる上での
根源的な哲学おも理解できたらと思う

そんなこんなで
知的生活を送れたらと思う

そうなってくると
貧疎で空虚なテレビ番組などを
無駄に視聴することなど
ほぼ自殺行為とすら思えてくる

ああ
知的でありたし

2011年1月7日金曜日

はまさきあゆみ

ファッションの要諦などは
トンと知らぬが
その一つの要素に模倣があるには相違ない

ファッションに最も時間と金銭をかけているのは
芸能人であるのもあながち間違いではあるまい

芸能人は観られるのが仕事だし
自分自身が商品であるため
自分自身よりも
それに携わり
儲けにありつけようと
本人よりもその関係者が真剣に
その商品の飾り付けをするはずである

それにしても模倣も時として
いかがかいなと思う時もある

最近少しだけホットな話題で
久々のショートヒットを放った感のある
浜崎あゆみ

紅白から結婚へという話題は
いくら話題に疎いおじさんを自任している私でさえ知っている

さすればまたぞろ模倣である

昨日の久々の世間では
なんちゃってはまさきを幾人も目撃した

下品なチャパツに
バッタを想わせる過剰にでかいサングラス

朝ですよまだ
サングラスなんて要りもうさん
おまけのここは電車内ですし

なんていうおじさんのいうそもそも論は
当然のことながらファッションには通じないらしい


個人の自由です
というのはそれでいい

しかしそぶりまで
その模倣に加えるのは
さてさていかがなものか

その彼女は
はまあゆにしおじりがまじっていた

ようは世間に対してすねたそぶりをすることまで
何かしら勘違いして
偶像を模倣しているつもりになっているらしい

ああ あほらしい

2011年1月6日木曜日

日記の決意

日記の効用というものについて
最近本を読み返した

【日記の魔力】
 表三郎

そのために
自分専用の日記を改めて書くことに決めた

その内容は
自分だけが書き
自分だけが読むものであるため
非常に具体的に自分の出来事を記載してゆく

瑣末な事象もその集積が人生であるし
その瑣末な事象を抜きにしては
人生がでこぼこと穴があいてしまう

自分のなすことは
善悪を抜きにして
自分自身の人生そのものである

ゆえに
あとから読み直して
愕然としようがともかく記載することにした

本日から書いている
ゆえに日々記録することが日課となった

このブログと
平行していければいいと思う

内容は
個人的なコツ故
なかなかなかなか
世間様にはお見せできぬシロモノである

続くかどうか

それも
今年の一つの決意である