2009年11月15日日曜日

沈まぬ太陽 映画

小説の余韻がまだ冷めないまま
沈まぬ太陽の映画を観た

久しぶりに映画を映画館で観たが
内容もさることながら
まずはその雰囲気が久しぶりで
とてもよかった

最近は何をするにも
とても便利になっているから
楽しむ前の何らかの障壁みたいなものが
どんどん取り去られている

映画を見るという楽しい一時にしても
DVDを借りてきて
家で楽しめる

内容は一緒だし
家という個人的に最高にくつろげる空間で
観賞できるということは
まさにいいことづくめのようである

といえど先日映画館に足を運んだ時
家で鑑賞するのとは違う
大いなる感動があった

シーンと静まり返って
劇場が始まる

3時間半ほどの長い映画であったが
その間は
すべての感覚が映画の内容と同化していた


内容は小説を忠実に再現しており
それを演じる俳優陣も
今の日本を代表する演技派が
心血こめて演じているのが伝わってきて
とてもよかった



非常に大切なことで
みな知っておかねばならぬことだが
人間の愚劣さみたいなものが
克明に表現されており
観終わった後は
何とも言えず下を向いてしまった


元気さを取り戻したいが
気分が陰に向かっており

間髪いれず
いまは
不毛地帯に没入している

2009年11月8日日曜日

ある程度の距離感

歩いている途中で耳にする
鳥のさえずりには心いやされる

何とも自然のなかに逍遥する自分を
しっかりとじかくできて気持ちがいい

しかし
そんな鳥のさえずりも
彼らの生の姿を間近で目の当たりにすると
それまでやさしく心地よかったさえずりが
何時しか心持おぞましくなり
恐ろしくさえ感じたりする

自然に生きるものはすべて
生の実態は恐ろしく生々しいものであり
美しいばかりではない

何事も
ある程度の距離感というものが必要なように感じた

必要というよりも
美しいままで接していたければ
それなりの距離感が必要であろうと
感じたということである

それはいろんな関係に通じるようだ

といえど
別に距離感を保たねばならないということではない
それはこちらの目的に応じて恣意的である

散歩散歩

いつもの通り
日曜日の英語のテストの後は
ゆっくりと散歩をして家へ向かう

新橋を通り抜け
銀座8丁目に出ると
日曜日恒例の歩行者天国である

大きな道の真ん中で
いろいろな人が楽しそうに歩いている

最近目につくのは
そんな日本の典型的な観光地での
中国人の集団である

何とも大きな声を出して
なんやかんやお互いに吠えあっている

金に任せて
いろいろな物品を買い散らかしているようで
何ともみっともない

おそらく彼らより
私なぞはお金は持っていないが
それでも彼らのことを
うらやましいとは
露とも思わない

そうとなれば
少し前
ヨーロッパのブランド店の
本家本元で
日本人の集団が
金に任せて一流品を買い散らかしていたのと
まったく一緒だろう

おそらくヨーロッパの現地の人々は
金をもつお客様故
表面上はぎこちない笑顔で対応したであろうが
心の底では
まったく軽蔑していただあろう

そんな不遜な態度に対して
金にまみれた黄色人群は
なんやあの態度は
なぞと毒つくという場面もあったであろう

まったく同じである
我々は中国人を軽蔑し
ヨーロッパ人は日本人を軽蔑する

何とも人間の底の底には
レイシズムが厳然として
避けがたくキャラクターのいちファクターとして
存在しているのであろう

平等が好きな社会主義でも
差別はするし
同じ黄色アジアのなかでも
差別はするし

区別は必要である
しかし
悲しいかな
差別も必要なのであろうか


そんなことを
ふと考えながら
この上なく美しい
人工的なきらびやかな銀座の街を歩き過ぎゆく


そんなこんなで
昨日今日でけっこう歩いた

歩くと前向きな思考が生まれ出る
そして健康にも良い

ttp://www.mapion.co.jp/route/

2009年11月7日土曜日

朝の子供の笑顔

朝 散歩をしていると
私より若い女性が自転車でゆっくりと走ってくる

後ろには3歳ぐらいの女の子が
ちょこんと座っていた

何が嬉しいのか
しきりに笑っている

秋の朝、風にそよぐ
都度変わる街の風景が
その子にとって喜びの連続なのだろうか

お母さんという絶対安心の存在に
しっかりと守られているという
確信に似た安心感と
自転車の後部座席から見る
美しい風景に対する共感が
笑顔という形で発露していたのだろうか

もしかしたら
私には聴こえなかったが
お母さんが面白いことを
話していたのかもしれない

もしかしたら
発見した感動を
笑顔とともにお母さんの背中に
一生懸命に伝えていたのかもしれない

そんな光景をみて
脳裏に一葉の写真が思い出された

一番下の弟は
生まれて間もなくぜんそくを患い
それにアトピーという
皮膚の病気も重なっていた

それでも兄二人が所属していた
サッカークラブに
彼も自然に入団した

新品のユニフォームを着て
母親の前で
はにかんだ笑顔で写っている一枚の写真

その写真は少し色あせているが
その笑顔はまったく色あせてなんかいなかった

これから自分もサッカーをやるという
少年なりの覚悟と
自分がユニフォームという
初めての公的な衣服を身にまとった
何ともいえぬ感慨

そして信頼できる母親

そんなことを実感している弟の笑顔

散歩しながら
懐かしい感懐に柔らかく包まれ
秋の朝の肌寒い散歩の途中
ふと目頭が熱くなった

2009年11月5日木曜日

沈まぬ太陽の余韻

最近 沈まぬ太陽という何ともいえず
重苦しい小説にはまりこみ
個人的にすっきりとしない日々が続いている

御巣鷹山の日航事故というのは
一つの社会的な大惨事というニュースとして
なんとなく知ってはいた

昨年その出来事を取り上げた
テレビドラマを見て
山崎豊子の沈まぬ太陽という小説が
このことを詳しく取り上げている内容になっていると聞いていた

何の気なしに手に取り
何気なく入り込んだ世界は
何とも、人間、
というよりも
戦前戦後から続く
日本人のできそこないの典型を
強烈に突きつけられ
何ともひとしきり立ち上がることができなくなり
その感覚が今も少しく尾を引いている

時あたかも
日航の実質国有化までいってしまう
末期的な経営状態が
新聞に醜く露呈され
いくらJALが
この小説に対して事実無根と突き放したところで
何とも恥の上塗りのように感じられるし
日常の交通手段として
頻繁に使用するいちユーザーとして
何とも言葉にならない
恐怖感とも無力感とも言えず
複雑な感懐に包まれている

一企業の醜聞と
一蹴することもできなくもないが
事はそれほど単純でないように感じられ
実は戦後日本が
経済大国にのし上がる影の部分に
似たような事例があまたあるようだと
確信にちかい予感にさいなまれ
何とも気分の良くない日々が続いている

しかもタイミングよく
司馬遼太郎が
近代日本の愚劣極まりない行いに対し
何とも不思議な魔法にかけられたようだと
激しく怒りをぶつける
昭和初期の日本官僚群の
統帥権の呪縛的行為を
最近読み返していた

先の日航の醜分と
表裏一体のような気もするし
自分の日々務めている事業体のなかにも
もしやなぞと怖れに似た疑心にさいなまれる

むろん清濁併せ飲まねば
何事もなしえないということは
感覚としてはわかるつもりだが
さりとて
今の日本でもそのような陰な部分も
整然とこなし得られねば
社会的な上位者になれない社会であるとするならば
自ら喜んで辞退するしか
心のよりどころのようなものを
見つけられそうにない

そんな感じで
実は独り陰に入り込んでいる秋のひと時

まあそれも
平和な中での読書体験である

ということで
最近この稿への記載も少なくなっていた