2008年12月31日水曜日

かぶるのも致し方なし

やはりというべきか



市場にいったり
銭湯に行ったりしたが
半端なく人が多い



みな考えることは同じなのだ

行為がことごとく
かぶっているのである

ここでいうかぶるとは
重複するといういみである

かぶるとかたよる
均等さやバランスが崩れ
渋滞が発生するのである



車を洗ってあげようと
洗車場に行こうとしたら
チャラチャラした若者車が
健気にも行列を作っていた
あまりにも多いので
こちらは素通りした


自分の丹精込めたチャラチャラ車を
大切に洗ってあげようと
考えているのじゃなあ
やはりこの時期にきれいに大掃除を
したいらしい


お隣の人も同じなのだと考え
社会への発散を
もうすこしそぎ落ちしてくれたら
もっといいのに・・・


まあむりか
若さにのみ恃む時期というものがあるのである



とはいえ
ここでも行為がかぶっている
一年のチリ芥を取り除きたいのである


さても

今日は今年の最後の日
大晦日である


掃除もいいが
無理をせず
一年のつもり積った疲れをとることが一番

ゆっくりと来し方に
想いを馳せながら


年の瀬を過ごすことにしよう

2008年12月30日火曜日

みそかみそか

個々人の性格にもよるが
雰囲気に意識してのまれることも時としていい

年末の空気感のことである

一部のサービス産業に従事している人たちを除くと
大方の人々は
今日あたりからしばしの休日に突入する

TVでは帰省ラッシュの激しさを
何とはなしに人の不幸を
喜ばんとでも言わんばかりのニュアンスで
伝える

それもいい

何とも言えずこの大晦日の時間がいとおしい

日頃は買い物なぞ行きもしない
おっさんが、さも食材に対しては
厳しい目利きでもあるがごとく
さえないジャンパーに手を突っ込みながら
マグロやらカニやらに
きびしそうな目線を注ぐ
【どれもいっしょやて・・】

買い物なれしていないがために
大きな客導線の流れを知らず
意味のない渋滞をこしらえてしまい
おっさん自体がほかのおっさんから
厳しく睨まれたりもする

家では何かしら鬼の首でも
とった如く腰を入れて掃除が始まる

手持無沙汰にうろうろしていたりすると
サボりをむさぼる生臭坊主を
叱り飛ばすがごとく
厳しい目線が注がれたりもする

そんないろいろなことが
行われているさなか
日の暮れるのはとても速い

時間が刻一刻と
間断なく刻まれて
いつしか大晦日のよるは
最後の最後まで追いつめられる

紅白歌合戦なぞというものは
そんなに興味もない

ただ雰囲気を楽しみたいがために
大方の人々は
それこそ
あるいみ仕方なしにそのチャンネルを
見学しているにすぎないのかもしれない
少なくとも私の場合は
限りなくそれに近い


一番気の置けない親しい人と
炬燵に入りながら
酒を酌み交わして
紅白を観る

そして静かに年の瀬を迎える

というのが
日本が形作ってきた
年末の一つの文化である

くるまれて心地いいものである

昔からそうである

TVなぞがない時分は
紅白なんぞというものこそ
なかったであろうが

こたつの中に入りながら
鍋なぞをつついて
親しい人と笑顔で
静かに新年をむかえるという空気感は
今の日本の人々に連綿とつながっている

時間が旧年から新年に移行した瞬間
【本年もよろしくお願いいたします】
なぞと急にイヅマイをただし
あいさつをしていたりする
急にあらたまるのである


さても今年も本当にあと少しだ

私も買い出しにいっどと
せっつかされている

うちは人数は二人しかいない!
そない買うものもないと言えばない
とはいえ
いつものスーパーの買いものだと
やはり味気ない


年末年始は
一つの義務感として
すこし大盤振る舞いせねばなるまい

それが新年への
英気のもととなる

買い出しにいって大掃除をして
風呂に入る

これが私の年末の姿である


それが空気感にそった
かけがえのない時間をつかまんとする
ささやかな抵抗だったりもする

なむなむ

2008年12月28日日曜日

普通のリラックス

おいしい夕食をいただたあと
しばしテレビを見て風呂に入る

風呂にその時の思いつきで
本を何冊か持ってゆく

系統だった本ではない

目にとまった本である

小さな浴槽に
身をちぢこませながら
しばし本の世界を逍遥する

汗をかいて
水を飲む

そんな夜が過ぎて
あとはゆっくり眠るだけだ

そんな積み重ねでいい

やっぱり謙虚にしくはなし

目の前のカレンダーを見ると
当然のことながら
本日は12月28日である

ということはこれまた当然のことながら
2008年という今生に一度しかない年も
あと3日を残すのみということになる

平成という日本独自の年号で言うと
今年は平成20年である

ということは今の天皇になって
はや20年の歳月が経たということになる

何とも時間というものは

人間がこざかしく
時に、時の重さをひしひしと感じたり
といって
切所の仕事に没頭している時なぞ
時の移ろうことなぞ
頭の中からすっぽりと忘れているときでさえ

愚直にひとつづつひとつづつ
刻み続けているのである
刻みつづけているのであるなあ~

人間も一つの消耗品だとすると
年限の経過とともに
いろいろな所にガタがくるのは
いたしかたないのかもしれない

人間の幸せの条件

そんなものは
それぞれ人の数だけあるように思うが
本日眺めていた本の中で

第一 自分の生活の基準となる思想
第二 良い家族と友達
第三 意義のある仕事
第四 閑を持つこと

というのがあった

発言者は
戦前の英国の外務大臣
エドワード・グレイ

なぜこんなおっさんの発言などがわかるのかというと
当時の日本人の一部が触発されていたらしい

慶応の元塾長小泉信三が
戦後の自著「読書雑記」に書いている


確かにそうかもしれんなあ

とはいっても自分のつたない考え方を
もわもわとひろげてゆくと

実は
羨むべきまた尊敬すべき人間なんて言うものは
そんなにいるはずもないように思ったりする

なぜといえば

人間の生命を無残にも消し飛ばしてゆく
戦争は間違いなく正しくない行為である

クラウゼビッツが
戦争は政治の延長線上の一行為である
なぞと定義しているといってもである

そんな愚劣な戦争行為は
人間の歴史の言い換えともなるほど
絶え間なく続いている

たとえば
往時から幸せ楽しみの象徴だったはずの
夢の国ディズニーランドを生んだアメリカ

そんなハッピーなディズニーランドの国が
同時に人間を消滅させる兵器を研究製造している

なんともおぞましく
矛盾だらけの人間であることか

この社会には絶対というものはあるはずがないのである
すべては相対の世の中である

ということは何が正しく何が間違いというものは
実はだれにもわからないということである

その時々のいろいろな事情の
刹那の理由にすぎないのである

ディズニーの世界に人にとっては
善なる戦争も
その対者にとっては
不条理極まりない侵略である


経済情勢にしてもそうである

当時は良かれと思って
サブプライムローンを実施したはずである

それがいまでは
諸悪の根源となっているではないか

単なるその時の思いつきと
連綿と増殖する人間の欲望とがかけあわされると
予測不可能な大変なことが起こる典型的な実例である

となると
日日の仕事で直面する
あらゆる判断も
ベストな判断などというものはそもそもなく

まあうまくいったところで
その時点でのベターにすぎないのである

それも万人には正しくなく
その当時の数少ない関係者にのみ
ベターな判断にすぎないのである

ということで
人間は常に謙虚でないといけないと
つくづく考えさせられた

偉そうにさも
【わしの判断は絶対である ワハハ】

なぞとうそぶいている御仁を
目撃した場合は

はかなくもこっけいにして
憐むべき存在であるかな

と少しの憐憫を掛けてあげよう

かの御仁は
世の中のことは何もわかっていないのである

自分と彼の人生とは
まったくもって関係ないはずであるが
ご愁傷様と言ってあげることはしてあげよう


こちとら
世の中のことは
時間的にも空間的にも
360度相対の世の中であり

無常の世ということを
常に想念の中に控えさせ

謙虚に都度つどのことを
臆病ながらも慎重に判断し
その時々の持てる力を
精一杯発揮し
どうなるかわからぬ人の世を渡ってゆくことにしよう


それが人の世のはずである

2008年12月27日土曜日

切所での行動

日々生きていると
いろんな事象に遭遇するし
いろんな人の動きを目撃することができる

人間は生成発展する存在である

生成発展する契機は
従来の安寧からの変化であったりする

苦境である

その苦境の切所で
人は瞬時に大きな経験をするし
そこに成長の発火点が存在する

人間を識るということがある

一つの視点に
そんな切所でのその人の行動がある

苦境を正面から受け止め
逃げることなく対処する人がいる

その人はその人自身の経験として
そのことが生成発展の契機になるはずである

それに付随して信頼も勝ち取るに違いない

それに反して
ぬるぬると切所の要点を
うまくすり抜ける人もある

要は逃げる人である

そんな人はその人の成長にも
ならないし
周りの人の信頼も勝ち得ない

常日頃尊大に口にしていることと
実際の行動が違う場合
信頼を失う

結局本人の損失大なのである

人のふり見て
わがふり直せ
という言葉がある

切所は苦痛である
できればヌルリと逃げたいものである

しかし
人間として自ら
火中の栗を拾うことで
自らの成長の機会としたいと思ったりする

なかなか難しい

ゆえに人間なのかな
と想ったりする


これも雑感である

将たる者

組織の大小にかかわらず


「大将というものは、ほうびをあたえる者を言うのだ」

と元親は明快に定義した

それ以外に大将の機能はない、とさえいえる
良き大将は、価値の良き判断者である
将士の働きを計量し、それがどれほどの恩賞に
値するものかを判断し、それを与える

名将のばあい、そこに知恵と公平さが作用するから
配下の者は安心して励むのである

配下が将に期待するのはそれしかない


司馬遼太郎の「夏草の賦」の引用である


どんな規模でも
人間が複数集まって
何らかの目的に向かって行動を起こそうとするとき
組織を作る

チームである

何の因果か
そのチームを統御する存在がある
チームリーダーである

何の理由でなるか
本来の理由は
上記にあるように価値の良き判断者たるものが
なるべきである

サラリーマンの場合は
給料をもらはねばならぬという
最大の理由で首根っこをつかまれているから
兵卒は
その上司に従うのである
それだけの理由である


そこに人間としての尊敬が加われば
その組織に所属するものは
幸せである

そこのチームリーダーが
価値の良き判断者である組織は
目的を達成すること
破竹の勢いであるはずである

ただそんな場合はほとんどないのかもしれない

とすれば
その場合はどうするか

自分の役割を粛々とこなすことである
ただ自らの信ずる道を往くだけである


とはいえ将といえるほどの者は
現代のサラリーマンには
ほとんどいない

そんなに大仰なものでもないのである




白髪衰顔 意とするところにあらず
壮心剣を横たえて勲無きを愧ず
百千の窮鬼吾何ぞ畏れん
脱出せん人間孤豹の群

2008年12月23日火曜日

本日はお休み

本日は天皇誕生日ということで
日本は公式的に祭日である

祭日というものは
他意はなしに良いものだ

人間というものは
そもそも動物であるから
そんなに高尚な生き物でもない

自然の一部である

ゆえに季節の流れには
あまり逆らわないほうがいい

というのは
休みの時は
速やかに休みましょうということである

そしてやはり季節季節の行事には
率先する必要はないにしても
変に斜に構えることなく
それなりに参加したほうがいい
とも考えている

12月は忙しい

久々に買い物に近所のスーパーに行くと
季節感が全面に出ている

クリスマスのシーズンであるだけに
BGMはクリスマスソングである

お母さんと買い物にきていた
女の子が

【シャンメリー安いよ!!】
なぞといってお母さんにもっていっている

「シャンメリーってなんやねん!」
「何をなまいきに!」
「クリスマスのなんたるかも知りもせずに!!」
なぞとおこってはいけない

私もクリスマスってなんですかと
改まって問われると
答えようもない

女の子のように
その空気感にそっていけばいいのだ

シャンメリーも飲めばよい
チキンの照り焼きも食べるべきだろう

当然のこととして
クリスマスケーキも必需品である

そして野菜も忘れずに行こう!!

そんなことをしながら
季節に逆らうことなく
楽しく生きていけば
何の不都合もない

変に流れに逆らおうとすると
必ず何らかの歪みが生じることだろう

何事も自然体で行けばいい

そこには何の矛盾もなく
ついには破壊へと連なる
歪みなぞない

ということで
冬は太って当たり前なのである

クリスマスがあって
間髪入れず
年末の忘年会があって
そして新年の祝賀会が来るのである

会の規模ではない

自分がその流れに乗って
日々気持ちを新たにして
元気よく過ごしてゆけるかにある

そうなると
やはり
太らずにはいられまい・・・

まったくの雑感

そうはいっても
シェークスピアばかり読んでいるわけでもない

そもそも
読書というものは
かなり能動的な作業で
自分の恣意にかなり依存している

ぼーっと自分の本棚を眺めて
本のほうから

【そろそろ私も相手してよ!】
というインスピレーションみたいなものを
びびっとに感じて
つい手にとって
そこから数時間の
読書旅行がはじまる
というような感じであるかもしれない


功名が辻
を久々に手に取った

主人公の伊右衛門の
少し抜けたところが
自分と重なり
何とも歯がゆさを感じながらも

千代という
いかにも理想の細君とともに
出世街道を立ち上ってくという話は
わかりきっていながらも面白い
クックと少し笑ったりしながら
珠玉の時間が過ぎてゆく


最近寒くなったり温かくなったり
何ともよくわからない日々が続いている

TVなぞのマスコミからは
これでもかこれでもかと
不況の厳しさを
極端な一場面を切り取って
庶民の不安をあおる

しかし今回の世界同時不況で
最近象徴的に報道される
赤字転落の予想をした
トヨタ

トヨタが何を悪いことをしたのか

まったく悪いことなぞしていない

粛々と自らの使命である
良い車を作るという行為に
間違いはない

勘違いしてはいけない
マスコミはその場しのぎの
興味本位で物事を切り取ることしかしない

自らの役割をしっかりと理解し
粛々と奇をてらわずに
忍んでゆく時
必ずや日本経済は息を吹き返すであろう

そんななか
ミクロの存在である自分・・・

それも全く同じ

自分の立場を俯瞰しながら
自分の与えられた役割を粛々と
静かに着実に実行してゆくだけ

そして
自分の人生に
地に足をつけて
歩いてゆくだけだと思う


今日は寒いぞ
明日は大阪出張だ

2008年12月21日日曜日

シェークスピアを読んど

シェークスピアのハムレットを
昨夜読み終えた

シェークスピアというおっさんは
1600年ぐらいの人らしいから
日本でいえば徳川家康が
江戸幕府を起こさんと躍起になる時期である


東洋の端っこの小国日本の中で
タヌキとおサルを筆頭に
悲劇と喜劇に満ちた
実際の人間活劇が
行われている同時期に


ルネサンス期を迎える
欧州の地では
舞台劇において日夜悲喜劇が演じられ

ハムレットなぞは
エリザベス朝の娯楽戯曲であったりする


その中に描かれる人物群は
ある意味普遍的な
人間の矛盾に満ちた性格を
克明に描いていて
現代の人間と何ら変わることがない


人間というのは
かくもさもしくこざかしきものであるかな
と思ったりしたし

また過の時代から
全く変わっていないのであるなとか

往時の名称でいえば
東洋の黄金の国ジパングという
当時の文明圏からしたら
海のものとも山のものとも定かならぬ
黄色人種の末裔である我らと

かの白色欧州の人間性すら
まったくいっしょやんけ、とか

いろいろ考えさせられもした


とまれ
気軽にそんなことを気づかせてくれる
そんな偉大な書物をすら
気軽にひも解くことのできる
現在の繁栄にはつくづく感謝である


さて次はどの悲劇を読むとしようか


字が読めて本当によかったと
これまた大いに感謝である

あまり暴飲暴食はひかえよう
快適さを失っては
そんな読書すら
ままならなくなってしまう

そんなことこそ
悲劇である

2008年12月14日日曜日

自分の経済について考えたこと

今年の秋から冬にかけては
世界に激越な大激震が貫いた

世界金融恐慌のことである

ことはアメリカに端を発し
良くも悪くもグローバルに連結している
現代の世界経済のなかで
瞬く間に激震は伝播していった

どうであろう
あの世界のトヨタが
どれほどの影響を受けていることだろう

日々数字が踊る
株価指数のうしろに
どれだけの人生の悲哀が
隠されているのだろう

日々の変動の大きさに
数字が悲鳴を挙げているのが
聞こえてくるようではないか

そんな日々のなか
どんなことが
個人の生活の中で
経済的な防衛になるだろうと
素朴に考えたりした

株が下がっているから
いまは買いだとか

いまの円高のさなか
ドルを買うべきだとか

投資信託はここからだとか

いろいろな情報が
個人の素人にも駆け巡る


しかし一番の財形は
健康ではないだろうかと
素朴に
ふと想った

突飛に聞こえるであろうか


健康でいるから
莫大な医療費がかからないのである


ひび少ないながらも
とだえることなく
給料をいただいているから
堅調に自分の資産が
増えているのである

健康を損ねたら
そんな基本の仕事もできなくなるし

健康を取り戻すための
莫大な医療費が発生するし

つましく保っていたガラスのような
家庭の雰囲気も歪んでいくのである


健康・・・

とても基本的で
すでに与えられている既得のことである

だからいつの間にか
そのありがたさをすっかり忘れがちである

しかし
健康ほど大切なことはないのではないか

40を目前に控え
最近切実に想ったのである

健康につましく生きていけたら
それが最大の幸福である・・・・


忘年会真っ盛りである
そんな気持ちを
忘れないでいたいものである

必ず
自分に返ってくることだからである

寒さにかんじたよしなしごと

なんとなく今年は冬らしくないなあと
単純に個人的にかんじていた

なんか寒くないのである

ところがどうであろう
本日はしっかり寒いではないか

自然というものは
人間がこざかしく心配しなくても
しっかり決められた通りの営みを
運営しているんだなあと
寒さを実感しながら厳粛に思った

日本人にとっては
冬は寒くなくてはならず
寒い中クリスマスやら師走やら
年末やら年始やらという
あわただしくもなんとなく心浮き立つのは
日本人が季節に応じて
単調な人生に彩りを加えようと
営々と培ってきた文化の所産である

その正邪はここでは
たいした
問題ではない

その縦軸の営みが
経験則となって
冬が寒くなかったら
なんとなく違和感を感じるのである


そんないかにも軽がるしい
最近の日本の文化に
どっぷりと漬かってきた
私なぞは
なにはなくても寒い冬に
クリスマスケーキであり
クリスマスパーティーであり
年末の食材の買い出しであり
大晦日の大掃除であり
除夜の鐘であり
初詣なのである


誤解を恐れずにいってみれば
そんなことは
実はどうでもいいことなのである

実際クリスチャンでもないし
神道なぞはに
どっぷりと日々の生活が
接している感覚もない


しかし実生活の中で
いきていく庶民としては
実はどうでもよくはないのである

自分たちがくるまれていて
心地いいもの
単調になりがちな生活に
彩りを与えてくれるもの
だからである

それが普遍化しようのない
文化というものなのだと思う

こんな年末年始の日本人特有の
あわただしさは
お隣とはいえ
中国とか韓国の人にさえ
理解してもらえないであろう

そんなことは理解されようもないし
そもそもだれにもその正邪を
論じられるような代物でもない


それは日本特有の文化だからである

まあこんなことを感じた師走の週末である

そろそろ今年も大詰めである

とはいえ
健康に生きていられることが
大前提で
そのことが最重要であることは
言うまでもない

やはり
感謝である

2008年12月7日日曜日

朝の富士山

寒くはあったがとてもまぶしい朝だった

ここしばらく食べてばっかりいるという
そこはかとない罪悪感があったので
しばらく布団の中で
いろいろなことを逡巡していたが
思い切って声に出して宣言した

歩いてくっど

おもむろにいつものトレーナーの上に
竹原しんじプロデュースの
サウナスーツを着込んだ

何やら久しぶりである

三度三度の飯は
一日たりとも欠かしたりはしないのに
歩くというこの単純な作業でさえ
油断するとサボってしまう

あまり使いまわしていないので
まだまだ純白のアディダスの
スニーカーを装着する

扉を開ける
光と寒気が一瞬で駆け抜ける

この一瞬の解放感は
間違いなくクオリアの瞬間である

凛とした寒さを肌で感じる

英語と言いたいところだが
お気に入りの
和製ポップをかける


川べりまであるいて
まっすぐな遊歩道にでる

富士山がこんなに見えたであろうか

朝の空気が澄み切っているせいか
雪を冠した富士山が
とても近い

すこし周りを気にしながらも
手を合わせ拝まずにはいられなかった

おはようございます!

陽光を左に受けながら
力づよく歩を進めた

それにしても空気が冷たい

サウナスーツを着込んでいるにもかかわらず
そんなに汗はかいていないようだ

ゆっくりと歩を進め
折り返し点は海の真ん前である

海と雄大な山
それを照らす太陽は
鹿児島の錦江湾越しの
桜島を彷彿とさせる

折り返した
順調だ

と、あまりにも順調だとは思った・・・

なんとなくおなかが急変しているような感じだ

ゴロゴロゴロと調整しているような
音が感じられる

小便がしたいのかな?

自分の体にお問い合わせをしてみる

確かに小便もしたい
しかし大便のほうが急務だ

という回答が着た

歩を進めて公衆便所へむかう

あそこにあるというのは
頭の中で計算済みである

着地点に便意のピークを
延長させながら
どうにかこうにか目的地に
近づく

掃除をしている!
ボランティアに違いない
おじさんやおばさんが
丁寧に水を景気よくふりまきながら
ごしごしと本腰をいれた
掃除を実施している

通過するか駆け込むか逡巡した

結局何食わぬ顔で
おはようございますと小声であいさつ

同時に頭の中では
第二ポイントの検索を始める

歩を進めたいが
意のままにならぬ

久しぶりに青い汗をかいた

そこにあるはずだと思う
私にとっての楽園はなかなか近づかない

さながらカフカの城のような様相である

私の視界は極度に狭まった
トイレしか見ていない
極度の視野狭窄である ・・・


そして

ついに確保

ついに着地した
天にも昇る気持ちとはこのことだろうか


私は自分にうち勝ったのだ!


気持ちよく体内のものを
放出したあとは
先ほどの痛みはどこに行ったのだろう

それにしても
ここのトイレは私にとって
かけがえのない存在となった

ここの公衆便所さん
本当に心からありがとう・・・

トイレの扉をあけて
外に出た瞬間
やわらかい太陽が心地いい
これもたしかなクオリア


そんな朝の散歩はかれこれ二時間

朝食兼昼食はしっかりチャーハンを摂取

軽く買い物に行き
晩酌を少し飲る・・・


本日は
そんな軽い日曜日だった



答えが見つかるまで考え抜く技術
表三郎

人間通になる読書術・実践編
矢沢永一

人間の品格
下村澄

シェイクスピアの面白さ
中野好夫

2008年12月6日土曜日

久々の皿うどん

恒例につき一週間の疲れを洗い流すべく
いつものスーパー銭湯におもむいた

大きな露天風呂に
たおやかに体を投げ出す

心地よい温度の湯が
疲れ果てた我の体を
包み込む

体を湯に預けながら
澄み切った青空を
見上げる

心に積りつつあった
マイナスのオリのような感情が
湯けむりとともに
青空に立ち上って消えてゆく

低温サウナにおもむく
湿度のある空間が
瞬間に体を包み込む

身体的な疲れやら
変な気やら念やら
マイナス思考の感情やらが
エクトプラズムのごとく
体のいたるところから
体外に放射されるイメージを抱く


周りには
加齢臭芬々のオジサンたちが
いるがそんなことは
気にもしない


露天に出る
やわらかな陽光が
我の裸体を惜しげもなく
照らし出す

太陽から全面に
陽気を受け取る

疲れも汚れもすべて洗い流す


きれいにみそぎは済んだ

久しぶりに蓬莱におもむく

皿うどんとちゃんぽんを発注する


いつもながらの味である
いつもながらの質感である

うまい!

いつもいいことばかり起こるとは限らない
仕事に従事しているということは
報酬をいただくことでもあるから
自分の本意どおりになるとは限らない

そんな心身の疲れを抱きながらも
日々は確実に過ぎていく

単純なことながら
自分なりの決まった浄化の方法を
持っているということは
とても大切なことだと思う


私の場合はふろとめしである
すこぶる簡単だし
形而下の最たるものと揶揄されても
そんなことは構わない


自分なりの再構築ができれば
その方法はどんな道筋でもいい


いつもの土曜日
いつもの再構築である

はらもたつわい

不景気という言葉が耳慣れてしまっているが
この時期になるとサラリーマンはやはりうれしい

ボーナス ナスボーのことである

日々の有形無形の努力への
報酬が形となって表現されるからである

できれば金額が多いほうにこしたことはない

まあそれは個々人の能力と努力の問題で
そんなことはここでは重要ではない

お国に献上する税金のことである

また自らの人生設計のためというのが
大前提の年金や健康保険のことである

具体的に控除されている金額をみながら
昨今のニュースを想起すると
やはり腹が立ってくる

こんな税金や年金は
いちど一人一人手渡しで徴収してみればいい

徴収される人が
羊のような人ばかりではないはずだ

しっかりした根拠がないと
お金を無根拠に差し出すお人よしなぞ
このご時世にいるはずがない

ひとりひとり徴収するとき
その大切な血税は
これこれこのように有効に使わせていただきます

またお客様のこの大切なお金は
将来の人生設計のために
確実に備蓄させていただきます

と必死になって説明するだろうし
その言ったことを実現するために
最大限の努力をするはずである

しかし
莫大な人々から莫大な金額を瞬時に
吸い上げるには効率化が必要である

そのために勝手に引かれるのである

日本人は基本的には
お上に従順である

自らの努力の結晶である血税を
しっかりおさめていて
その運用者にたいして
あまりにも寛大である

やはり意識するべきであると感じた

政治家は国民の代表であるが
権力者ではないはずである

主権は国民にあるはずである

もっと厳しく監視されなくてはならない

公僕も同様である
名の通り国民全体の
利益に奉仕するものであるはずである
自らの利益だけに汲々とするのは
公僕でも何でもない
獣である

勘違いはなはだしい輩が多すぎる

政治家や公務員は国民に奉仕すべき
存在であり
それ以外の立場ではないのである


ナスボー明細を見て
そんなことを思った

まあ私なぞは雀のなみだではある


だけど大切な大切なお金である


うーん 一度徴収に実際に来てほしいものである

そんときはかみついてやる!

私も普段は羊であるが

ときには皮を脱いで狼にもなる
怒るべき時は怒るべきである

ナスボーはいろいろ考えさせられるのである・・・

みみより情報

最近のITの進化は日常生活のレベルも
少しずつ変えつつあるようである

といってもじつはそんなに大げさな話ではない

ただ音楽や英語やニュースなど
少し前までは
ささやかなことをすることに対しても
目に見えたコストがその場で発生していたが
今はそれがとても安価になってきている

http://www.apple.com/jp/itunes/whatson/podcasts/


アップルのpodcastsというサービスがある

先日何気なく見ていたがいい

英語や音楽 経済ほか各種情報が満載である
それも無料である

クラシック音楽もよい
英語シャワーも心地いい

一度お試しいただきたい

たのしいはずです