2009年12月30日水曜日

掃除につきた一日

本日からようやく年末年始休暇開始
いわゆる冬休みのスタートである

休みというものはいいものだね
何歳になってもうれしい

ということは人間は基本的には
サボりたがりな習性なのかもしれませんな

まあ仕事があって
その合間の休息があって

本当にいい状態というのは
絶妙なバランスが必要である

ということで
うれしい冬休みのスタート

7時起床
何時もは見ない朝のTVにしばし

新聞にさっと目を通し
忘れていた年賀状にも着手しようか

10時くらいから
無言のうちに掃除がスタート

黙々と
わが部屋のいらぬものを選択し
雑巾とマイペットで
しっかりと拭き掃除

しばし無言で掃除に集中するという作業は
いい
改めて感じた

静かに掃除は続く

向こうの部屋では
嫁はんによる大規模な掃除がスタートしているらしい

軽くのぞくと
足の踏み場もなさそうだ
大規模に家具の配置が変更されている

しっかりとワックスがけをする

昔学校でもあったなあ
冬休み前
大規模な掃除があり
最後は教室のワックスがけ

乾くまでのひと時は
これからの休みのうれしさも相まって
決して悪い時間ではなかった


昼飯はインスタントの
つけ麺とメシ

体を動かした後の昼食は
何よりもうまい

終日掃除が続いた

眺めまわしてみるとすがすがしい

もうすぐ今年も終わる
明日は大みそかだ

2009年12月27日日曜日

今年最後の週末

年の瀬もオオヅメになってくると
やはり疲れも出るらしい

先週の金曜日に
久々の風邪をひき

金曜日 土曜日と
本年度の最後の
そして最も内容の濃くなるべき
週末にほとんど床に伏せっていた

前からなんとなくは感じていたが
やはり本番に弱いようだ

幾重にもたゆたう
時間の波を眠りまくり
腰は痛いは
もやもやと自分は臭いわで
何かしらわかりやすく払しょくしたくて
いつもの理髪店に赴いた

今年一番のカッコイイ男に仕上げてくれ

という何とも分かりずらいオーダーをして
しっかりと切りそろえてもらった

カッコいいかどうか
最後に確認すると
元がいいのでカッコいいに決まっているよ
ときた

こちらもそうですな
ありがとうと答え
よいお年を!と別れた

何とも体が万全ではないだけに
しっくりと来づらい年の瀬であるが
どちらにしても
本年最後の週末は
しっかり寝て過ごした

明日からの週は
2010年に直結しているのだ

2009年12月20日日曜日

人生はペルシャ絨毯

人生の彩りは文字通り千差万別で
どのデザインが模範解答というような人生画はないはずである

荒波にほんろうされて
ふらふらと放浪している主人公が
いつの間にか市場にさしかかった

露天商が商いしている
ペルシャ絨毯の美しさを
見るともなく眺めていた

そんな彼を見て
その露天商がニコニコと商売を始める

このペルシャ絨毯の美しさはどうです
こんなのは当代一で
今後なかなか手に入りませんぜお客さん


そんな言葉も彼にはうつろに響く

それほど彼は打ちひしがれて
疲れきっているのだ

そんな彼に商売の可能性が少ないと感じたのか
露天商はそれ以上勧めはしない

立ち去りゆく彼の背中に対して
その露天商は声をかける

【元気を出しなお客さん】
【人生はこのペルシャ絨毯のようなものですよ!】


ボーとしている彼にその言葉が
どの程度浸透したのか・・・
静かに静かに彼の心のなかに流れていった

人生はペルシャ絨毯・・・・

その模様に模範解答なぞはない

右に行っていた線画がいつの間にか
大きく弧を描き
上方向に方向転換

かと思いきや
カーッと左に旋回し
そのまま下に流れ込んでゆく

そんな一見何の脈絡もない
その動作も
一歩下がって
そのデザインを遠目に見たら
えもいわれぬ美しさであったりする


右ばかりの直線のデザインだったり
円ばかりのデザインなんどは
なんとも味気ない

絨毯の価値をその対価の金銭で図るとすれば
そんな単調なデザインの絨毯なんぞ
二束三文にもなりはしない

とすればやはり
紆余曲折
思いがけない荒波も
それもまた美しい人生の構成画の
重要なファクターなのである


先日人生のコースを
自分の意思で急旋回した男に逢った

その決断の前には
想像を絶する苦悶があったようで
私を含め彼以外の人間には
わかりたくともわかることのできない煩悶のようであった

そんな彼もよしッと自分なりの
決断をして
そのあと再会を果たした

そんな彼の表情は
これから始まる新しい船出に
大きな不安を抱えながらも
それでいて
今までの幾重にもこんがらがった
苦悩や関係性を
一先ず自分なりに整理しえたような
達成感の片鱗らしきものも感じられた


人生はペルシャ絨毯

自分も含め
これからの人生は何が起こるか
まったくわかりまテン


それでも元気に生きていくことだけである

坂を踏ん張って昇ってゆくのである
その苦行を和らげるために
家族があり
友があり
酒があり
笑いがある

何とも言いようもないが
ともかく頑張ってもらいたい

師走も師走ですな

昨日も
一週間のドロドロになった疲れを
すっかり洗い流すべく
近所のスーパー銭湯に赴いた

露天風呂でくつろいでいると
俳優のヌクミズ某に似たおっさんがいた

ヌクミズ氏特有の
スダレのような
コシのなさそうな
うらじろいまだらな特徴的な前髪が
彼を彷彿とさせた

今となれば
かのご仁が
ヌクミズ氏であったか
それとも
単にヌクミズ氏に似た普通のおっさんだったか
定かではない

といえど
どちらでもいい

たとえ
彼が正真正銘のヌクミズだったとしても
私自身になにがしかの変化は訪れそうにもないし
しまった!というような
なにがしかの後悔らしきものもないはずである

人生の途上においては
個人的に重要なものと
そうでないものは
確かに存在するという
ささやかな証左といえようか


風呂にて身も心もさっぱりした後
夫婦で
バレーボールの天皇杯を
東京体育館に応援にいった

今のVリーグにおいて
パナソニックは他のどのチームに比較しても
異彩を放っているように思われる

清水 福澤という
若さあふれる全日本メンバーの
二枚看板を筆頭に
セッター宇佐美の存在感

それにあまり知らなかったが
ジョンという若き異国人の
打点の高いスパイク

石島をもつ堺ブレイザーズに
気付いてみればストレート勝ちだった

それを受けて
本日は
TJとパナソニックとの天皇杯を目指しての決勝戦
わが嫁は本日も東京体育館で
熱き応援をしている真っ最中のはずである

といえど
日本バレーボール教会なのかどこなのか
詳しくは知らないが
何とも大会の運営の稚拙さが少なからず感じられた

こんな
いやしくも天皇杯を標榜し
バレーボールの
全日本の頂点のチームを決めんとする大会にしては
認知度はあまりにも低いし
結果もしっかりマスコミに伝達していない

その証拠に
実質的な決勝戦ともいうべき昨夜の会場における
観客の少なさときたら・・お粗末極まりない

各チームが実業団のため
会社関係者の応援団でどうにか賑わいらしき騒然さを
保ってはいたが
何とも実質的な純粋なお客さんは
あまりにも少なかったし
そんなことでは
運営上もさぞかし経営的にはマイナスなのではなかろうか・・・・
なぞとあらぬ勘ぐりをしてしまったりした

まあ
こちらには何の義務も背負ってない
素人の気安さからの
思い出し程度の印象だけで
なんら提言なぞとかしこまった内容でもないが
運営当事者にしてみたら
おそらくまっとうなそれなりの弁明があるのであろう


今年最後のTOEICの試験を受けて
帰りは何時ものごとく
冬空晴れ渡る都心を散策して帰ってきた


クリスマス直前の休日のラジオはいい
そんなラジオを聴きながら
寒く楽しい街中を歩いた

季節感あふれるトークと
あとはずーっとクリスマスにちなんだ音楽が流れている

クリスチャンでも何でもないが
何ともこの雰囲気は嫌いではない

もしかしたら私の前世は
西洋人か欧米人なのだろうか
【そんなことはないに違いない・・】


寒さは気分をきりりと引き締めてくれる

埃一つない美しい街中を歩きながら
初詣の時期には人があふれる
深川不動尊の前にさしかかる

人がまだらながら
近く訪れるはずの新春を待ち備えているようで
何かこころよく感じられた

クリスマスがあって
年末があって
正月が来る

みんなが少しだけ楽しみを心に秘めて
日々忙しく乗り越えていく空気感に
同じ日本人としての連帯感のようなものを感じるし
一緒に頑張ろうなとこころひそかに
唱えたりしている


そんな師走の最後半を
明日から迎えるのである

2009年12月14日月曜日

坂の上の雲

青春はいつの時代もすがすがしいものらしい

坂の上の雲のドラマが始まった

今年は第一部で
主人公の青春時代が主な主題になっている

その中の一人の
正岡子規をこの平成の時代に
ここまで身近な存在として
よみがえらせたのは
ひとえに司馬遼太郎の功績である

今に残る彼の肖像写真は
どれもいかつく
まったく
今の平和ボケでたるんだ我々とは相いれない
対局の存在として
とらえられがちだった

柿食えば
鐘が鳴るなり
法隆寺

と詠ったかの名句に対して
今の時代の
どれだけの人が
共感を抱くことだろうか

そんな遠い存在としか
思われなかった彼を
なんとしたことか・・・

儚く
それでいて甚大に夢見がちで
朝令暮改で
人間らしく弱くも
明治人らしく強じんでもある
なんとも人間らしすぎる可憐な彼を
今の時代に
小説という形態を通じて
強力によみがえらせた

彼を映像で見ていると
いつしか胸熱くなり
涙がこぼれてくる

それは
人間としての
それとも
同じように経てきた
青春のほろ苦さに対する
懐かしさのようなものなのか

いろいろな共感が入り混じりながら
心熱く涙こぼれる

香川照之も何かしらに
憑依された如く
子規と何時しかクロスして
その真摯な姿が視聴者に対して
感動という共感で
伝播されてくる

そんな
坂の上の雲

今回は
NHKもいい動きである

何とも配役もいい

背景となる音楽もいい

ここしばらく
日曜日の夜はとても楽しみなのである

2009年12月7日月曜日

本日の記録

早いもので
12月に入ってもう7日である

うかうかしている間に
2009年という年も終幕まで間近に迫った

冬空のもと
いつもの通り
2つ手前の駅で降りて
ゆっくりと歩いて出勤

突発の事情で
急きょ 大阪へ出張

朝の新幹線は
出張族でいっぱいだ

これもあと少しすると
帰省客で多くなることだろう

仕事はみな立場がある

といえど
対局で見れば
大きな経済の潮流を流す各部のパーツである

大きな流れ自体が
動脈硬化を起こすと
ミクロの部分に従事している
自分を含めての
ほとんどの人々の仕事が
滞ってくる

願わくば
円滑に流れてほしいものだ

ひと仕事おえ
本日は日帰りで
東京へ戻る

帰りの新幹線で
ワンカップを飲んでいるオヤジがいる

まあそれぞれの嗜好である

それにしても
師走である

2009年12月5日土曜日

風呂のおっさんと哲学

やはりというべきか
環境というのは
絶対というものではあり得ず
どこまでも相対としか言いようがないようだ

鉛色の空気が漂う
どんよりとした冬の昼下がり
こんな何とも中途半端な時間帯は
スカッと風呂につかることに限る

寒さに震えながら
素っ裸になり
向う見ずに野外へと飛び出し
まずは大きな露天風呂へ向かう

その刹那
横に備え付けてある
簡易ベンチには
見ず知らずのおっさんが
体から湯気を立てながら
素っ裸で座っている
何とも涼しげな表情が癇に障る


こちらは寒さに震えているのに
おっさんは涼んでいる

自分とおっさんを取り囲む環境は
おそらく同じである

同じ気温で
同じ空間で
同じような醜いからだの持ち主でもある

しかしこちらは寒さに震え
まずは温かいお風呂に入りたい

それに比して
おっさんは熱いのはもう勘弁とばかりに
涼んでいるのだ

何とも
環境は同じでも
それを受け止める人間の側の状況によって
その同じである環境は
何ともま逆のごとくである

10分も熱い風呂につかる

そのあとは
私も先のおっさん同じく
裸のまんまに
ベンチに座り一息つくのである


自分がある環境に在る時
そのことはあたかも絶対の状況と感じてしまいがちである

といえど
一歩ひいて
懐疑的に感じてみるゆとりのようなものを
身につけたいものだ


おっさんの見苦しい肢体を
見るともなしに眺めながら
そんな事を考えた

風呂とは何とも
哲学的な空間でもある

たしか前もこんなことを感じた気がする

とすると
このことは
少なくとも自分にとっては
事実のようである

朝の対話

一週間という
社会生活上の
規則性のなかで
自分なりのリズムを形作ってゆく


不毛とまでは言わないまでも
賃金を得んがための活動は
何かと肩がこるものだ

そんな緊張を
週末の時間に弛緩させてゆく

土曜日の朝
静かな鳥のさえずりとともに
脳が起動し始める

体を横たえたまま
少しずつ覚醒してゆき
いろいろな記憶がよみがえってくる

昨夜までの
自分の言動などの比較的
近いものから

自分の今の所属や
自分のありようなどという
基盤になるような記憶がそのあとに続いてくる

自分の体が
正常か確認作業に入る

大丈夫のようである

そこから、
これから如何にすべきかということの
自分との対話が始まる

寒いようだ
しかし体をリフレッシュさせるためには
散歩してみたい

今の刹那のぬくもりと
散歩することによる
心身ともにリフレッシュできるという報酬を
自分にとっての損得の勘定のように
自分のなかで両てんびんにかける

ようし
動き始めようか


冬の朝
自分の散歩コースからは
東京タワーを望むことができる

東京タワーを囲むように
栄華の象徴のような
高層タワーの林立群がそびえている


一歩一歩足を進めながら
想念は四方に駆け巡ってゆく

自分の体と精神が
ずれていた位置から
顕微鏡でピントが徐々にあってゆくように
少しずつ重なり合わさり統一されてゆく

どこまでも広がる冬の朝の空を見上げる
どこまでも広がるそれに向かって
自分のあらん限りの力を振り絞り
口を大きく開けてみる

大きな空に比して
自分の渾身の力を込めて広げた大口は
何とも卑小に感じられ
そこから敷衍させて
自分を取り巻いているさまざまな関係性が
実はとてもちっぽけなことのようだと
体と心に実感として浸透してくる

大きく開いた口から
冬の新鮮な酸素が流れ込んでくる


空から降り注ぐ太陽の光に
照り返された東京の海は
間違うことなき海である

自分の身近な空間に
間違うことなき自然が凛として在る


さまざまな関係性が想起されてきて
自分のありようの方向性みたいなものが
自然のやさしい様態から示唆される感覚を感じる


自然の恩恵を受けつつ
同時に人間が過去から連綿と築いてきた
文化をも吸収し
同時に今の自分を取り巻く
ナマな人間群からも絶え間なく吸収する


歩は止まることなく
一歩ずつ見えない轍を作ってゆく


後ろを振り向く

元気よく歩く見ず知らずの人が見える




朝の光を体にしっかりと浴びながら
一週間の塵芥を
とかしてゆく


うまい飯を食べて
あつい風呂につかり
深い眠りに就こう

基本に横たわるのは
人間的というより
生物としての基本的な営みの停止することなき継続

それが心地よい幸せの定義なのかもしれない