2009年8月29日土曜日

少しずつわかる

昨夜の帰り道
バームを5本買った

何かしら
一週間のもわもわとまとわりついた
疲れのようなものを
一掃したい

そんな思いもあって
昨夜の食事は軽くすませた

そんな軽い夕食の翌朝は
やはり快適に起床できる
体は正直である

9時を目指して
近所のプールに出かけた
先週の日曜日
20年ぶりに水着を買った

その水着をデビューさせたくて
実は今週一週間は
ほのかにそのことが
頭の片隅に残っていた

そんな水着をもって
近所のプールを歩くのである
泳ぐことはしない
左肩が痛くて
上がらない
クロールができないのである・・・・


ただひたすら
前のオジサンの後頭部を直視しながら
無になって水中を歩行するのである


体を動かすと
思考の停滞がないように思う

40を迎えて
改めて感じた事実である


夕方は河原を散策した

いつもとは少し違うコースを
昨日買ったバームを飲みながら
ゆっくりと歩いた

考えてみると
日ごろ我々は
わかっていると思い込んでいることも含めて
実は何もわかっていないような気がしてきた

瞬時に自分なりに解釈をして
わかったような気になっている

今日のちがう散歩コースも
わかったつもりでいたところを
実際歩いてみるととても新鮮な驚きがあった

こんな気持ちのいい場所が
こんな近くにあったとは・・


すべてわかる必要はないし
わからなくても日常は滞りなく過ぎゆく

さりとてわかっておいたほうがいいようなことは
自分の足で実際に歩いたり
少し時間をかけて丁寧に眺めたりして
自分の実感として感じてみる

そんなことを
考えながら
体を動かす土曜日は過ぎた

夕暮れの電車

まだまだ暑い日中は静かにしていた

少し涼しくなった夕方
近所の河原に散歩に出かけた

何時も乗る電車が陸橋を通過してゆく

土曜日の夕方故もあって
乗客はまばらである

何時もあの列車に
すし詰めになって乗っている

自分を含めみなが
渋面を作って
それぞれの悩みを抱えて
電車に揺られて移動してゆく

そんな電車を
散歩をしながら
夕暮れの風に吹かれながら
眺めていた

電車が子供が遊ぶ模型の
プラレールのように見えた

なんか滑稽で
カッコ悪い電車がガタンゴトンと陸橋を渡って行った

あんなカッコ悪いおもちゃみたいな電車に乗って
何時も険しいカオをしているのか・・・
と考えてみると
なんか笑いがこみあげてきた

おもちゃじゃないか・・・・

何を悩むことがあるだろう
と思えてきた

電車はそれなりに大きい轟音をとどろかせて
陸橋を走っていった
夕陽を背にして
通過していった

その電車の前面の顔が
どう見てもかわいらしくコッケイに見えて
そんな電車にいつものっているのだから
そんなに物事を難しく考えることもなかろうと
なんかそんなことを想った


なんか
夕暮れのなかを一人歩きながら
笑いがこみあげてきた



2009年8月24日月曜日

福岡よかなあ

一期一会
人との出会いにはこの頃とみに感じ入る瞬間がある

九州の担当を離れて
かれこれ数年の歳月が過ぎている

そんななか幸運の引き寄せがかない
福岡での仕事が舞い込んだ

仕事は仕事として
久しぶりの懐かしい顔が
塩辛く迎えてくれた

夜は当然久しぶりの【久闊を叙す】である

そこに酒は欠かせないアイテムである

胡坐に芋焼酎で
6時間ほど痛飲した

一人のおばさんは
一人かたくなにビールだった
6時間ビール飲みっぱなしである
なんとも何杯入って行ったのやら
そんなおばさんは
私の福岡のおかあちゃんのようなものである

翌日は軽い二日酔いをおして
仕事を全う
久しぶりだからと福岡の名所を軽く案内いただいた
海の中道をはしり
あそこがムネリンのマンションだよと教えてもらった
いい景色やなあー

久しぶりの人たちの暖かい笑顔に
自分は何にもしていないのにという
軽い後ろめたさも後押しして
何とも仲間というものの
心強さをひしと感じた出張であった


夏休みから仕事へそろそろ
フェーズチェンジである

しっかりと過ぎゆく

まだまだ暑い日が続くが
さりとて
ときに一陣の風が涼やかに感じられる一瞬がある

そんな夜は
蝉の鳴き声の代わりに
いつしか鈴虫の音色が聞こえてきた

しっかりと秋に近づいているのだ

日々は確実に過ぎゆく

一日一生
万物は確実に過ぎゆくのである


2009年8月23日日曜日

休みの過ごし方

地下鉄の赤坂で降りる

普段通過したことはあるが
街に降り立つことは
これまでなかった

特段の要件はない

それでいて何かしなければならない
という切羽詰まった拘束もない

休みの日の醍醐味である
どのように過ごしてもいい
と改めて自分自身に言い聞かせると
それだけでなにかとてつもない
幸運をいただいたような気がして
自然に感謝の念が胸の内に湧き上がる
ありがとうございます
YES WE CAN!


土曜日の赤坂の街は
人が多い
どちらかといえばこの街は
オフィス街である

普段の堅苦しいおじさんの姿は
あまり見えず
そのかわり家族連れが目立つ
休日の行楽なのである

ここでは
TBSが幅を利かせている

駅を降りるとすぐに
赤坂サカスという商業施設がある

TBSの番組の番組宣伝ブースに
人だかりである

亀有公園の両さんにふんした信吾君の
等身大販促物のまえで
みな写真を撮っている

世界陸上のブースは大きく
場所をとっていた

うがった見方をすると
TBSの上からの目線らしきものが
気になる

顧客に
【はいあなたたちは
 こんな芸能人の夢の世界がうらやましいでしょう】
【はいはいたかってきて写真でも撮りなさい・・・】

なんて無言のうちにいっているようだ

やたら警備兵の数も目立つ

なんやねん・・・・・

何をかみついているだろう
貴重なお休みなのに・・・


そんな赤坂を通り抜け
乃木坂に差し掛かる

明治帝崩御に殉死した
あの乃木将軍の乃木坂である

乃木神社というのがあった

神になったのか

賛否両論あるものの
かつての日露戦争で
旅順攻略の折
愚劣な参謀を配下におさめていたとはいえ
無策の連続で
優秀な日本兵の膨大な命を死に追いやった
乃木希典将軍の神社である


乃木坂をこえ
青山に向かっていると
青山墓地に至る

夏の入道雲のさなか
蝉が最後の力を振り絞って泣いている
その中にほのかに線香の香して
道路の先に蜃気楼がみえる


そこから
ふらふらと歩いていると
青山学院大学が左手に見えてきた

学問の府の建物は
何かしら心なごませてくれる
暑いさなかおしゃれで美しい女の子が
正門から出てきた

かつて私の通ったの大学に
この手の女の子はいなかったなあ
などといらぬことを考えたりした

青山を抜けると
すぐに渋谷である

膨大な数の若者が繰り出している

さすがに渋谷である

人込みをかき分けて
昔かよった仕事場まで歩を進めた

まだあった・・・
なんとなく懐かしい

渋谷公会堂を横切り代々木に向かう


NHKの前の広い敷地で
昔一人でよく弁当を食べたものだ

代々木公園を横切り
神宮の森へ

改めて明治帝にご挨拶をして
夏の東京散歩はこの辺にしておこう

明治神宮前から
地下鉄に乗って帰った

歩かなくては通り過ぎて
見過ごしていることが
この人生のなかには
砂の数ほど膨大にある

さりとてそれも一つ一つである

2009年8月17日月曜日

メキシカン

広尾という街には初めて降り立った

ラフォイアというメキシコ料理店が目当てである

コロナビールと
ナチョス

時にこんな料理もいい

目的があって初めての街にふと出向く
そして新たな体験が積み重なる
そんな時間の使い方

いい時間が過ぎゆく
時間はとどめ置くことはできない
砂粒のごとく
手のひらからこぼれおちてゆく


今も息づく薩摩隼人

今回の夏は
身近な親族以外に
朴質な薩人との邂逅もあった

隼人に息づく彼は
私の数少ない偉友である

真実の友情は
その頻度にはあらず

などという自分勝手な理屈に甘えて
彼との久しぶりの邂逅は
実に八年の歳月をまたいでいた

いつの間にかお互い
家庭らしきものを取り合えず背負い込んでいて
人間なんてものは
当然のこととはいえ
何らかの形で
しっかりとおじさんになっていくものであることよと
妙なところで得心したりした

かれは隼人という地区で
学習塾の塾長を務めている

つまるところ自分ですべてを立ち上げて
それでいてそのことが
生活に直結しているだけに
規模の大小は別として
れっきとした経営者なのである

その土地の選定から
教室の立ち上げ
黒板から始まる一つ一つの備品の準備

それでいて
パートナーの面接

顧客の誘致
月謝の徴収
給料の支給

いわゆる
会社生活において
部門別に組織してある
すべてのことを
彼の場合は自分自身で
考え実行していかなければならないのである

独自と経営方針と
年次の事業計画

何とも頭の下がる思いであり

それでいてその携わる事業が
教育である

教育は国をしょってたつ若者を育成するという
事業からしても聖職である

何ともわが友ながら
自ら切所に切り込む
やることが男らしいわ!

なんとも薩摩隼人であることよっ!


その日は夕刻に突然おじゃまし
彼が18時半から21時半まで授業であったため
私ひとり
近所の霧島の天然温泉で汗を流させていただいた
すまんのう 仕事中に!

その後近くの焼鳥屋で
あらためて久闊を叙し
酒と焼鳥を潤滑油に
極上の時間はいつの間にか過ぎゆきた

何とも友情というものの
ありがたさが身にしみた夏の一日である

頑張れこぼくな薩摩隼人よ


2009年8月14日金曜日

肉のヨコムラ

久々に帰った鹿児島で
母親と弟と三人で久しぶりに外食にいこう
という話になった

何もできない私にとって
そんなことぐらいしかできない

しかし私にとってそんなことでも
弟と母親は心から喜んでくれる

外食なんてとても久しぶり・・・
なんていう


やせている
弟の口から
焼き肉でもいいかなという
遠慮がちな提案が出て驚いた

お母さんがどうかな
と話していると
いいよ!ときた

これで決まりである

弟の情報で
肉のヨコムラというところへいく

本業はお肉やさんだという


おやぶん自らオーダーを聞いてきた

お勧めは?

極上サーロインですよ!

いいね
いこう

ということで焼き肉で
弟の就職祝いということになった

少し照れて申し訳なさそうにする弟
それに対して
よかったねと心から祝福する兄と母

なんとも
肉の味もさることながら
その時間自体が極上だった




母親との墓参り

翌日は弟は仕事である

母親も16時から習字教室があるが
それまでは時間があるという

車があるので
お墓参りに行きたいという

昨日廻ったコースを
今度は母親と回ることにした


車中弟の話をする

ほんとによかったね
神様の計らいに感謝だよね


人間、未来に横たわる自分の運命なぞというものに
気をもんだところでどうにもならない

未来や運命という
人知を超えた領域は
神様の専権事項で
人間なぞが気をもめずとも
しっかりとつじつまを合わせてくれるようだね
とそんな話をしながら鹿児島の街を走る

母親と一緒に墓石に水をかける

子供の私は
花を包んでいた新聞紙を利用して
線香に火をつけるのが昔からの役回りである

その間母親は花瓶の水を変え
花をいける

静かに墓石に並んで
合掌する

静かな時間がめぐる


そのあと昨日行ったおばさんのところへ


また来もした・・・!
というと
うれしそうに迎えてくれた

そこでは母もまだまだ若い

娘に戻ったかのように元気に
近況を面白おかしくおばちゃんにつたえる

おばちゃんは柔らかな微笑を浮かべながら
うなずきながら聴いている

そんな時間が永遠に続けばいいと思う

もちろん有限なことなぞわかっている

お盆に郷里に帰ると
命のことを想わずにはいられない

80になる高齢の人の横には
これから人生を歩もうとするひ孫の女の子がはしゃいである

キッズダンスを習っているという

元気に飛び跳ねて
ほめられてとてもうれしそうに笑う

その光景を眺めて
おばちゃんはやさしく笑う

連綿と続く血脈と時間

そんなことを何とも言えず
感謝する夏休みはまだまだ続く・・・

弟との墓参り

久々に帰る鹿児島には
自分にとって
かけがえのない二人の弟たちが住んでいる

実家には次の弟が母親と二人で暮らしている

10年前、大きな事故をして
体に一生付き合わねばならぬハンデを負って
今は独り身である

妻と子供は
経済的な問題は
現実的に苛酷で
ときに愛情を超えがたく
静かに去っていった

そんな弟と久々に会った

落ち込みがちな彼の人生の中で
今年の夏は僥倖が舞い込んだ

入退院を繰り返したとはいえ
10年もの長い歳月の間
社会人としての
社会との交流を断絶した時間

そんな苦行ともいえる長い時間の末
今年の夏
新しい職場に通勤できることになった

もちろん障害者という告知は
事前に了解いただいたうえである

といえどいかなるトラブルが起こりうるか
わからない
会社の規則で
三か月は見習い期間のため
今はまだ正社員ではないのである

社会人として一日立ち仕事は
なれぬ体には大きな負担で
どこそこに痛みは貫く
といえど今までの仕事のないつらい時間と比べれば・・・
と弟は言う


何とも神様の温情に
胸の内がせりあがるような感きわまるものがあり
そのことも今回の帰省の大きな理由の一つである

そんな、ようやく社会人として忙しい身分となった弟が
これも何の運のめぐりあわせか
私が帰省した翌日が休日であった
もちろん会社に認められた正当な休日である


帰省した翌日にレンタカーを借りることにしていた

JRでレンタカーを借りに行き
それからは車のある快適な鹿児島の街になる

足の不自由な弟は
貴重な休日を私に合わせてくれた
二人で墓参りに行った

父方の墓と母方の墓を
もうすでにすっかりおじさんになった
兄弟二人で参った

夏の盛りの午後
夏ぞらには大きな入道雲が広がり
耳には夏の暑さを謳歌するがごとき
蝉の合唱が心地いい

汗が額から流れ落ちる
それも幸せの時間である

二人で墓石に水をささげ
新しい花をたむけ
線香に火をつけて
静かに合掌する

弟が何を祈ったかはわからぬが
私は弟の幸運をまずは報告し
そして今生きている母親始め
身近な親族が健康で幸せであることを感謝した


前向きになりつつある弟は
自分の街である鹿児島のことを学ぶ必要を
最近感じ始めたという

そんな彼と私のニーズがぴたりとはまり
墓参りの後は
これも墓参りのようなもので
南洲墓地に参った

西郷を取り囲むように林立した墓石群は
そのまま往時の薩摩隼人の絆を彷彿とさせる

手を合わせると往時の底抜けに明るい
薩摩隼人どもの笑顔群が脳裏に浮かんだ


弟と二人南洲神社を参りながら
往時の西南戦争のいきさつなぞを話した

碑にある勝海舟のことなども話した



そのあと親戚のおばさんの家にいった
お土産は理由の一つである
元気な顔がみたいのである

80歳をこえるおばさんは
相変わらずやさしい笑顔で僕らを迎えてくれた

いつものように差し出してくれる
冷たい麦茶が
心にしみる

元気でいてくれてよかった

それでいておばちゃんは
最近の私の血圧の上昇を
心から心配してくれる

【ほんとに気をつけてね・・・】

その言葉はそのままおばちゃんにお返ししたい

弟と私
そしておばちゃんとその息子たち

そんな何時も鹿児島に帰れば
迎えてくれる
皆の笑顔が元気だったこと
そのことがとても勇気を与えてくれる


夏の鹿児島が
夕暮れを迎えようとする時刻

おばちゃんの
夕飯を食べて行きなさいという
やさしい言葉を
背に、また来ますと辞去した

今度会えるときは
少しはやせておきますというと

あなたはそのままでいいのよ
と言ってくれた

我々二人は
母の待つ家へ車を走らせた



薩摩での夏

今年の夏は短いながら郷里に帰省した

いつものことながら
心洗われる時間がここそこにあった

一番の土産は
鹿児島の自分が大好きな人々がみな
心身ともに健康だったことである

人はある程度歳をとってくると
どうしても体に何らかの支障をきたすし
そのことは人間、というよりも
生きとし生けるものの宿命とはわかっているつもりである

といえどやはり自分の心から許しあえる
数少ない人々に
その宿命が襲いかかることは
何物にもかえがたい悲しいことであり

そんな悲しい予感を絶えず心の片隅に
持ち続けているがこその
帰省であったりもするのである

そんななか
皆の笑顔が元気であったこと

それが
涙が出るほどの
感謝すべき最大のお土産であった




2009年8月1日土曜日

移動する夏


先週は
月曜日は広島への日帰りである

それほど体は動かしてはいないが
やはり移動は幾分つかれる

そんななか水曜日はけっこうハードであった

東京から愛媛の伊予三島へは
片道6時間ほどかかる

それから金沢へ向かおうという強行軍である

ところが
運悪く高松から岡山への唯一の陸路が断たれた
最近の長引く雨で
線路が陥没したという

急きょ 松山へ変更
1時間40分ほどのローカル列車の旅である

それから
松山空港へバスで向かい
伊丹空港まで
ボンばるで移動

この段階でへとへとである

それから
伊丹から小松へのフライトがあると思いきや
なし なしっ

朦朧とした状態で
バスで新大阪まで移動

サンダーバードに乗り込もうとするも
そんな遅い時間に
接続のいい列車が
あるわけもない

振り子走法
3時間の
雷鳥に乗り込む

かなざわ~かなざわ~
のアナウンスを聞いたのは
23時も過ぎていた

何とも
夏休み満喫よのう~

薩摩への帰還

今月の8日からつかの間の夏休みに入る

今回の休みは久々に薩摩の地に向かいたいと考えている

9日から13日ぐらいまで
久々に生まれ育った故郷に戻り
自分の身の回りに着いた
いろいろな吸着物を洗い流そうと考えている

そんな感じで
可能であれば
あえる友人もいるだろう