2011年8月27日土曜日

祈りの薩摩

今回の夏の帰郷に際しては
自分の慣れ知っている場所に訪れ
いろいろなことを自分なりに再確認してみるという
漠とした目的があった

自分の身近な親族に改めて会うことによって
ひとの関係について考えてみたりもした

親戚とは何だろうか

親がいて
兄弟がいる

叔母さんがいて
叔父さんがいる

いとこがいて
甥っ子がいて
姪っ子がいる

慣れ親しんだ人たちのかわらぬ姿を確認することによって
安寧のこころを再確認したかった

時は過ぎ
子供は成長し
老人も同じだけ歳月をすごし
小さくなっていた

といえど向けてくれる笑顔にはどれも
一切の偽りはなく
自分の存在の確かさを
漠とではあるが
確認することができた

この夏は祈りの旅にもしたかった

南州墓地にいって
西郷ドンとその仲間たちに手を合わせた

蝉のうたう暑い夏の朝
線香の煙も風がないため
真上に上っていく

桜島を真向かいに
堂々と立ち居並ぶ
薩人たちの墓石に向かって
この日本が立ち至った未曾有の危機について
自分なりに報告し
そして願った
助けてください


自分へと連綿と連なる
己のご先祖様にも
手を合わせた

自分がここに在ること
そしてそれは別段特別なことではなく
連綿と続く人のつながりの途上であること
ゆえに自分もいつかは消えてなくなり
そして同じように墓石のもとに眠ることになること

そんなことを手を合わせながら
考えた


8月15日の
敗戦記念日は
知覧に赴いた

戦時最終局面での
沖縄へ侵略してきた米軍への最後の抵抗
やぶれかぶれともいえる
当時の軍事指導層の戦略戦術には
いくら後世の安寧な立場からの考察ゆえに遠慮するにしても
あまりにも無為無策にすぎる

その実弾として
自らの身をとして
特攻隊として日本をそして家族を護るために
天皇陛下万歳!と雄たけびを上げ
飛び立っていった若き戦士たちの鎮魂の場所

彼らの達筆な当時の遺書を拝見し
平和の鐘を打ち
静かに祈った


あの時と同じように
知覧の夏の空はどこまでも青く
その中に純白の千切れ雲が
切れ切れにたゆたっていた



自分の出自をあらためて確認し
自分の立ち位置を改めて再認識する


自分は紛れもなく
歴史につながるこの日本国のひとりの人間だと感じたし
それゆえに
その大元のこの国が危機にひんしているなか
自分のできる役割を
精一杯遂行する決意を新たにした

みな忙しいし
自分のプライドはあるし
楽もしたいし
それぞれの言い分もあるだろう


他人のことは言うまい
そう
自分だけは
自分の役割を、
立ち位置をよく見極め
そして役立ってゆきたいと思うのだ

人それぞれの故郷

そこで感じたこと

そんな夏に見聞き感じた
自分にとっての今年の夏

今年も暑い夏であった






ガラクタがらくた

本当にこの人たちは日本を壊すつもりなのだろうか

このガラクタばかりの人間の誰かが
この日本のトップに
本当に立つのだろうか

本当に日本というこの国は
このガラクタどもの手にゆだねられるのだろうか

ひどすぎるにもほどがある

ここまで低能な悲喜劇は
古今未曾有だ

マンガでも見たことがない

どうして我々は
日本国の首相を選ぶのに
こんなコマのない
ガラクタから消去法で選ばねばならないのだろうか

いや選ぶことすらできない
彼奴等のつまらぬ数の論理でおしだされた
へたれ駒を強引に押し付けられるだけだ

これが民主主義のなれの果てなのだろうか

何なんだ
この許しがたい暴挙は

こんなことが本当に許されるのだろうか

このガラクタどもは
本当に日本を愛しているのだろうか

愛国心があるのだろうか

歴史も学ばず
学ぼうともせず
日本を支えてきた幾多の英霊に手を合わせることもせず

朝鮮とのグレーな関係をつくり
中共におもねり
この国の未曾有の困難には
何の手もつけられない

震災復興をどうしてくれるのだ
円高株安をどうしてくれるのか
領土侵犯をどうしてくれるのか
被災者支援をどうしてくれるのか
これからも中国におもねるのか
朝鮮におもねるのか
アメリカとはどうするのか
自衛隊はどうするのか
税金はどうするのか
外国人に参政権をあたえるのか
ガキに無駄な金をばらまくのか
教育はどうするのか
エネルギー政策はどうするのか


嗚呼

彼奴等は
何もできやしないではないか
できてこなかった奴らばかりではないか


本当にこのがらくた戦犯どもは
罪をかぶるのではなく
これからも多大な人々におおくの不幸をばらまきながら
己だけが権力をてにし
この国を限りなくそこないつづけるのか


したり顔もゆるせぬし
へらず顔もゆるせぬ
わらうなうたうなきどるないばるな

きえてどっかいってくれ

嗚呼

悲劇すぎるわい

2011年8月21日日曜日

夏の薩摩

薩摩に久しぶりに帰還したのは
2011年8月10日である

帰ったのは夕刻であった
久しぶりに母親と弟と夕餉をともにした

薩摩に帰っても毎日カレンダーを眺めていた

小学生のころの自分と同じく
時間が過ぎてゆかないことを祈りながら
トイレに座っていた

狭い実家は
時間が止まっているように思えた

といえどやはり生活の時間は確実に過ぎゆきて
母親はお盆休みも習字教室を休むことはなかった

11日に母親と二人墓参りに行った

蝉の鳴く夏らしい朝である

久しぶりにかえってきましたと
墓前に報告をした

人は死ぬ
死んだあとはどうなるのかは
死んでみなければわからない

一度死んでしまったら
再び同じ人間として再生はしないので
死後のことを
この世で知っている人は当然のことながら
一人としていない

まれに死後の世界はこうだと
大上段にかまえて
そのことで現世でのご飯の種にしているような輩もいるが
所詮そのようなことは
その人の想像の産物であるかも知れず
にわかには信じることはできない

墓前に手を合わせながら
この墓石のもとに眠っている
私のご先祖様はどのような按配なのかしらと思った

ご先祖様が静かに眠っていることを祈ることによって
この世に生きるものは心の安寧を得ることができる

線香の煙がほのかに夏の風に揺らいだ

蝉の声が一瞬やんだような気がした

ご先祖と自分と心の交信をする


ふと気づくと夏の暑さが戻った

横で母親が墓石に水をかけている

元気な横顔があった
蝉の声が大きく弾んだ

そろそろいこうかと
私がなにげなく言った

そうねそろそろ行こうと
母親が言った


青い空と白い雲は
何時も同じで
母親も生きていて
自分もここにある

そんなことがとても貴重に思えて
とてもうれしく思えた





2011年8月10日水曜日

おっさんの夏

本日より夏休みである

イェーイ
イェーイ

ナンボ歳とっても夏休みはうれしいね

今年は故郷にかえる

薩摩の地で
改めていろいろと見聞き感じてみたい

何が変わったのかをかわらない場所に行って確かめてみよう

2011年8月8日月曜日

こんな休日

暑い日曜日

6時には目が覚める
新聞にかるく目を通し
昨夜のよみさしの読書をかるく

11じごろ家を出て
地下鉄でどこ行こうか

夏休みとあって
みな遠方へ出かけているのか
普段の日曜日よりも
人がすくないような

どこにいくもよし

時間もあるし
せきたてられる要件もない

かみさんと悩んだ末
芝公園のニーハオに餃子をたべにいく

13時過ぎなのに
ビジネス街だからか
客は我らを含め3組

餃子とチャーハンの定食に
焼きビーフン
春巻き
でビール1本

はねつき餃子がうまい

いいねえ

ビールもひえちゅう

ニンニク水餃子に
はねつき餃子をおかわりし

しっかり食って夏のつかれもどこえやら

飯を食って元気が出たので
なじみのスポーツクラブへ

プールの冷たさがここちいい

しっかり泳いで
しっかり歩き

ゆっくりジャグジーで体をいたわる

そんな感じで
夕食は太陽にほえろを見ながら
カレーを食べる

したたか疲れて
布団に入って読書をするも
あまりの眠たさに電気を消したのは確か9時半


こんな休日もいい

からだが調子よさそうだ

2011年8月7日日曜日

故郷をおもえ

この夏は通常以上に
日本人にとって故郷を想う気持ちが強くなるだろう

東北はいい意味でのどかな土地で
日本の古き良き原型がいまだ残っている

幾枚も広がる田んぼに稲が生えている

初夏の風になびくその風韻は
スポーツ刈りに散髪した
往時の我の頭髪のごとく太陽に照りかえされ
優しく風にたゆたっている

そのどこまでも深い緑と
夏のさっぱりとした空の青が
疲れ淀んだ気持ちをすっきりと洗い流してくれる


口数少なく
それでいて人の気持ちを必要以上におもんぱかることができる

愚鈍でいろいろと非難がましく言われながらも
それでも人のために精一杯
黙って仕事をする姿

そんな土地や人の印象は
実は忘れかけていた日本人の本来あるべき姿かもしれぬと
はたと気づいた

日本の国土は
広島長崎を筆頭に
その土地を歴史に貫かれた魂の土地としての印象を醸成し
それがただのそんじょそこらの
隣国外国とは一線を画す重厚で神韻な雰囲気をもっている

この2011年からは
そこに東北も仲間入りし
東北の地も魂の静かな祈りを感じる神韻な土地として生まれ変わった

日本は神の国に改めてなった感が強い


この夏はみなそれぞれに持つ故郷を強く思い
自分の原点を見つめるまたとない機会である

われも同じ
故郷に思いをはせ
自分の気持ちを浄化するのである

カン、はよやめ

8月6日の広島原爆の日は
悲劇の日である

日本がおびただしい被害を受けた
忘れてはならぬ日である

そんな記念の日すらも
己が延命のために利用するカンチョクト

脱原発などと耳触りのいい言葉を
まさかこの世界中がそして日本中が注目している
この原爆の日にノウノウと口にするとは


あ奴の顔を見るだに腹が立つ

レベルの低劣もここに極まれり

ああ

夏らしい暑さ

日々暑い

自宅のマンションが
大がかりな塗装工事を始めたので
暑いわうるさいわで
何とも夏らしい


そんな中でも
食欲は落ちない

何かを食べると
心身ともに
にわかに元気になる

口から固形物を己が歯でかみくだいて
くらうという行為は
何とも人間もどうぶつに違わない確たる証左だ

栄養素だけを凝縮させたカプセルを摂取すればすむものを
それをあえてせず
米をくらい肉を食らう

しっかり腹に収まると
よしと腹が据わる

そんな感じで昔から変わらず
我々は生きてゆく道程で
奮闘努力してきたのである

生きとし生けるものに感謝せねばならない

どう考えても我々は生かしていただいているのである

それにしても
暑いし
腹も減った