2008年11月30日日曜日

家電の店にいって想ったこと

秋から冬にかけての青空は
からりとしていてとてもすがすがしい

日曜日のそんな昼さがり
久しぶりに近所の電気屋さんにいった

これと言って何か買おうということではなしに
ただなんとなくおもむいたという感じである

さすがに年末に向けて
店内は賑わっている

店内を散策している
お客さんの顔は
何かしらやわらかな感じをうけた

そもそも新しい家電製品を
買おうとしている人は
ほのかに
自分と等身大の夢を
実現しようとしている人のように
思われた

新しい家電製品を
いろいろ見ながら
自分の家庭を想像し
自分が仮にその新製品を
手に入れた場合の
快適な暮らしをほのかに想像する
そして大人げなくわくわくする


そんなとき人は
何かしらやわらかい幸福感に
包まれるのだろう

時節柄カラーコピーは山積みだ
日ごろスーツを着ていそうなおじさんが
ユニクロのフリースを着て
丹念にメーカーごとの
商品を見比べていたりした
素敵な年賀状を作成してくれるのだろう

大型テレビの前で
夫婦で画像の美しさを見比べている
お客もいた

どれも一緒のように見えるが
大切なお金をはたいて
購入を考えている
人にとっては
微妙な色の映え具合が
とても重要なことのようである
その大きなテレビが入る
自宅のリビングを想像して
その夫婦は幸せそうであった


私も嫁と店内をそぞろ散策していた
他のお客と何ら変わることなしに
こころにわくわくとした感覚を覚えた


結局思いつきで
PCのセキュリティーソフトと
PC専用スピーカーを購入した

スピーカーは大正解であった

それほど高くはないが
従来のPCの内蔵のスピーカーとは
まったく比べようもなく高音質な音を
楽しむことができるようになった

とてもささやかなことを
少しずつメンテナンスしていくことで
日々の生活というものは
格段に過ごしやすくなるようである

スピーカーを購入した

ただそれだけで
いま私は
モートァルトを聞きながら
日曜の夜長を静かに楽しんでいる
とても快適なのである


生きていくということは
長いようでいて実は短い

短い人生を快適に過ごしたいということが
自分の希望であれば
それを実現するために
日々を意識して更新していくことは
とても重要なようである

もちろん外的環境もさることながら
自分の内的環境
ことに体のメンテナンスも
とても重要である

メタボなんていうものは
おそらく快適の対極にあるはずである

少しずつ苦痛の根源は
摘み取っていかなければならない


食欲の秋とは対極にあることであるが
快適のためには
意識して心がけなければ
大変なことになる・・・・

すべて自分に返ってくるのである


日曜日のよるにそんなことを想った・・・

槇原君

槇原君とはおそらく同じ歳だと思う
シンガーソングライターの
槇原敬之さんのことである

確か生まれた月も同じであったから
星座も同じなのであろう
ということは性格も似ているのだろうか

ちなみに5月だからおうし座である
牛のごとく鈍重であるが
逆にいえば穏やかというところだろうか


彼と私は雲泥の差があるが
同世代というかすかな共通項を
ことさらに強調して
彼のことがとてもわかる気がするのである
【もちろん勝手にである】

もちろん逆はないのは言うまでもない


何故に槇原君かというと
今我が家では常に槇原君の歌が
流れているのである

最近新しいアルバムが出たらしい
嫁の槇原君中毒が最高潮なのである

アルバムが出るたび
そのマグマのような熱気が
掘り起こされるらしく
さながら年に一度の
スポーツイベントのようなものである

朝に夕に槇原君シャワーは
容赦なく降り注ぐ

それはそれであまり不満はない
ただそんな環境の中
ほのかに槇原君は
私と同世代なのであるなと感じたまでである

かれの歌詞は
人生に真摯に生きようと
懸命にもがく片鱗が
意識してのことだろうが
色濃く反映されている

個の優先される今の日本の中で
自分の生き方を
すべてに優先しようとしている
現代の日本人にとって
人生の暗中模索の道程の中で
彼の優しい歌声は
やわらかく響くのであろう

私もその一人である

ただ行き過ぎることは
どうかと思ったりする


先日読んだ雑誌の中で
日教組がとても好んで
いろいろな学校行事で使う歌が
【世界にひとつだけの花】らしい

平等教育のテーマソングとして
とても重宝しているようである

競争を極度に排除し
君は世界で特別なオンリーワン!
みんな世界で特別なオンリーワン!

槇原君の最初の作成の動機は
もっと純粋だったに違いないが
行き過ぎるといろいろな局面で
いろいろなひとたちに
歪曲されたりもする

バランスが大切だと思う

そういう意味では
古き良き日本の伝統を
見直しながら
日本らしくブラッシュアップしていくべきだと思う

行き過ぎた
個人主義はおそらくは
海の外からの思想である
ただ悪いと言っているのではない
中庸が大切だと思うのである


ただ槇原君の歌はいい
肌寒い季節には
さながらホットミルクのように
心身ともに
やわらかく暖めてくれるのである

私も率先して
槇原君シャワーに浴しているのである


だって癒されるんだもん!

ちなみに我が家では槇原さんなどと
かたぐるしい呼称は使わない

まっきー!
なのである。

2008年11月29日土曜日

人間かくありたし

昔の志士は
自らの勇を鼓舞するために
素読で記憶された言葉を
血肉化し
その言葉通りに生きることを望んだ


志士ハ溝壑二アルヲ忘レズ
勇士ハソノ元ヲウシナウヲ忘レズ

天下を救おうとするものは
自分の死体が
将来溝や堀に捨てられて顧みられぬことを
常に想像し、
勇気あるものは
自分の首が斬り捨てられる
ことをいつも覚悟している
そういう人物でなければ大事を行うことはできない


何をくよくよ川端柳
水の流れを見て暮らす



人間 好きな道によって
人生を切り拓いてゆく


カクスレバ
カクナルモノト
シリナガラ

ヤムニヤマレヌ
大和魂

飽食に想う

それにしても現代に生きる我々は
幸せだなあと
つくづく感じるのは私だけであろうか


食べたいものは大概のものは
食べることができる


おそらく昔の庶民のひとが
【当然一部の例外は除くが・・】
一生かけて
訪ねた場所
食べた美食
接する情報
と比べると
その数量および質量において
現代の一庶民である私は
確実に凌駕していることと思う


文明の進歩は
あらゆるものの
速度と質量において
格段の進化を遂げている

誤解を恐れずに言えば
もう悔いなしといわなければならないほど
食べるものは食べさせて
いただいているように思う

飽食なのである


とはいえ
歴代の中で
現代が一番に幸福かと言えば
それは疑問符がつくだろう

幸せの定義が
なかなか難しいからである

幸福度を比較することが
なかなか困難なのは
ここのところにもある

幸福を感じるのは
主観の占める割合が
とても高いように思われるからである


望むべくことは
自分のなかで
後ろめたい感覚を極力避けるようにして
生きていくことであろうか

人を裏切ったり
自分の良心を裏切ったり
自分だけ独占したり
そんなことをしても
自分の心は常に見ている
そこに少しでも濁りがあると
自分の良心に抵触し
後ろめたい感覚が起こるであろう


西郷が敬天愛人といったことも
こんなことも含まれているのかとも思う


とまれ
自分と折り合いをつけながら
世間の中で
役割をもって
つましく生きていけたらと思ったりする

今日も食いすぎたから
そんなことを思ったのである

感謝の気持ちである

秋の道すがら

意識していたとはいえ
08年度の11月ども閉まろうとしている
早いものである

それにしてもいろいろあるものである

外的な環境は急激に変化している

その中で自分の立ち位置というものも
変化せざるを得ない

ただ有為転変の中にあって
不変なはずのこともある

自らの役割を
粛々とこなすということである

自分の立ち位置を理解し
自らの役割を愚直に全うしていくことが
安全度を高める
シートベルトとなるはずである

といっても
そんなことも
私がいま感じていることにすぎない・・・・・
そんなことも無常なのであろう
いつ考えが変わるとも限らない



秋の訪れがうれしい

苔むした路面に
落ち葉が舞い落ちている

薄い陽光の木漏れ日に映える
深紅に染まる紅葉の中を
ひとり静かに散策する

心に何かしら生起する
いろいろな感覚が呼びさまされる


こんな景色を
昔から日本人は大切にしてきたのだと思う

その系譜に自分も
立っている



日本の歴史上の人物群は
おそらくは現代日本の人々より
情報は少なかったはずである

年齢すら
今の自分はもう既に
彼らの活躍した年齢を
過ぎてしまっていたりする

情報も知識も少なく
物理的な移動距離も少ないなか
彼らが世を動かした
真の要因は何なのだろうか


信念なのだろうか

往時の日本人の
不可思議さを感じているのは
現代の日本人だけではない

当時の欧米人には
その日本人の
不可思議さはときに
妖怪の如く映ったに違いない

その不可思議な妖怪の理解へ
少しでもヒントを得んとして
当時
武士道という新渡戸稲造の本が
ベストセラーになったりした


日本はこれまで幾多の困難に
打ち勝ってきた

愚直に清廉に
物事に対峙しつづけ
その時その時の大きな峠を
どうにかこうにか克服してきた


やはり
粛々と役割を果たすことに
尽きるのだろうか


ただそんな中にあっても
自分の立ち位置を
冷静に俯瞰する度量がないと
愚直さだけでは
歴史の中にうずもれてしまう

ただうずもれることが
悪いことであるともいえない

市井に生きて
平凡に徹することを
揶揄する権利は
誰にも備わってはいないはずである

まことに難しいものである

人生は何があるかわからない

やはり秋の思索は
どこに行くかもわからないのである

2008年11月25日火曜日

自分にとっての記録することの効用

はたして言語というものの果たす役割は
それほど小さいものではない

はた目から見て
しょぼくれたおっさんも
その読んでいる本が
シェークスピアだったりすると
少しだけひく

人間はコミュニケーションをする動物である


言語はそのコミュニケーションを円滑にするための
重要な手段の一つだ

意思の疎通には
いろいろの手段がある

写真があり
絵画があり
動画があり
音楽があり
言語がある
諸諸ある


文化的な芸術といわれるものは
縦軸の時間と横軸の空間を超える
諸諸ある意思の疎通の手段の
形として残った結晶なのであろう


そこに民族特有の共有な感動があったり
民族を超えて
普遍的な理解があったりする


自分の中に生起した感情を
記録するということは
ことに個人的な自分の人生だけを
とらまえてみると
自分にとっては
非常に重要な作業のような気がする


そのときに生起した
アイデアなり感覚などというものは
その成否なり重要度なりを
度外視すると
その時だけの貴重な瞬間である

貴重というよりも
唯一無二のものである

だから記録するのである

その手段として
別段言語でなくてもいい

人間は
言語以外にもいろいろな手段を持っている

ただ言語は
とても身近でいて
それでいて
効果的だということである

素人がとっつきやすい
日常にとても近い手段なのである

その断片が
この抄録であったりする

こだわるようだが
これは私個人にとってだけ
重要なはずである

意味を勘ぐってはいけない
私だけが感覚的に感じていることだからである

理解しがたい場合は
私の文章のテクニカルな問題だけに
起因しているはずである


それだけそれだけ・・・・

こころのひびき

早朝の街は何かしら荘厳な感じが漂っている

一日の始まりを告げる合図がここかしこで
いろいろな形で始動し始めた

ボクは自分の足でこの地面を踏みしめている

考えてみるとても不思議だ

この足は自分のもので
そしてこの地球の地面は
どこまでも続いている

その地面をいまぼくは確実に
踏みしめている

確実に今がある気がする


この足とこの地面の接する限り
ボクはどこまでもいける


朝が始まった

昨日までの暗闇は
今は太陽が溶かしてくれている

太陽はボクの味方だ


後ろを振り向けば
太陽がにっこりと笑って
ボクの背中をやわらかく押した


一人歩いていく道の先が
心持坂道になった

今のボクのこころと
今のボクの足腰があれば
そんな坂道も平気だ


道端に名も無き花が
微笑んでいる

一日の始まりを
お互いに謳歌しようと
歌い始める

坂道はなだらかに続いた

そよ風が通り過ぎる

頑張れよと励ましていく


石ころにつまづいた
石ころは元気かいと僕に語りかける

時には休んで行けよ

前しか見えていなかった僕に
石ころは小休止を合図してくれた


そこに腰を下ろす

大きな石ころが
腰かけになってくれる

そこには名もなき仲間たちが
お互いに微笑んで生きていた


なだらかな坂道は
遠くまで続いている

あまりにも長くて
先が見えない

でも今の僕は
そんなに心配していない

太陽は相変わらず微笑んでくれている

風がそよいだ

出発の合図だ

歩いていく

歩いていく

歩くことに意味を見出そうと試みるのは
愚かな問いかけだ

歩くことが生きることだ
その中にすべてのことは含まれるし
いろいろなヒントが見え隠れする


空は青い

ほのかに背伸びをする

少しだけ先が見えかける

それもまたいい

頭の中は
思念となって
どこまでも飛躍し続ける

2008年11月24日月曜日

やはり自分のことだ

それにしても酔狂なものである

日記を公開するという現代の仕組みである

日記というものは本来
誰の目にも止まらないということを
前提として書かれるべきものである

日常の心の動きを
誰にとがめられることを
気兼ねすることなしに
正直に告白する自分との対話の場所が
日記であるはずである

それがどうであろう
こんな場所に自分も書いている

こんな場所であるから
実のところ
正直な精神の吐露など
はるか遠いところにある
でも書かないよりはましなのかもしれない

誰のためと言って
実は自分のためなのである

こんな雑文なんていうものは
元来自分以外の者にとっては
酔狂以外の何物でもない

こんな文章に時間を費やすぐらいなら
そこらへんの本屋さんで
500円も払えば
日本は当然ながら
世界中の天才の
文章に接することができる

時間は当然ながら有限であるから
限られた時間は
惜しみなく大切に扱うべきものである

風呂で吉田兼好の徒然草を
眺めていた

かの兼好さんも
誰に読まれるべきものでもなく
ただつれづれなるままに
自らの心に生起したよしなしごとを
ただ筆のおもむくままに
つづっている

そんな文章を
だれが何百年の歳月を隔てて
私みたいな未熟者が
風呂の中で何とはなしに眺めるであろうことを
予測しえたであろうか・・・・

日記をしたためていくことは
自分のためだけということに
改めて限定しよう

そんな中で
自分の中におこる
何らかのことを
誰に評価を求めるでもなく
自分の記録として
ここにしたためていこう


それだけのことなのだ

最近読んだ本は


夏目漱石
坊ちゃん
こころ

失敗の本質
日本軍の組織的研究

木曜日だった男
チェスタトン

思考の整理学
読みの整理学
言葉の教養
外山滋比古

坂の上の雲
司馬遼太郎

人間を考える
松下幸之助

実は大きい

昨日は休みだったので
軽くドライブをした

神奈川の伊豆高原に行ったのであるが

そこの大室山という小高い丘陵に上った

完全に観光化していて
リフトで登っていく


地図には芥子粒よりも小さく
記載されているその大室山に登った

その頂はたかだか600mほどである

しかしそこから望む富士山は
雄大そのもので
これこそ日本のへそなるかなと感嘆ひとしおであった

富士の山から目を転じるとそこには
またまた雄大な紺碧の海が広がる


大室山は地図上はとても小さい

その大室山が位置している
伊豆半島さえ地図の絵では
屁みたいな半島だ


しかし実際自分がそこを訪れてみると
とてもとても
自然の偉大さを感じずにはいられない

実はとても大きかった


自分の小ささを感じるとともに
自然の大きさを実感した


それだけである

ただその大きさが自然なのだと思った

自分の望むこと

生きているといろんなことが起こる

毎日のニュースを見ていても
本当にいろんな人が
いろんなことを起こして
時間というものが過ぎて行くのだなと思う

そんな個々の時間が
縦横に集積されて
歴史というものに
刻まれていくのだろう

自分のささやかな生活の中にも
いろいろな層の集積がある

その集積が人生ということになるのだろう


いろいろなことがあるが
自分にふと問いかけてみる

自分が望むことはなにかい?

少しだけ時間が過ぎて
自分の中から出てきた答えは
予想外に単純なことだった

静かなところで
耳かきで耳をごしごししながら
自分の好きな本を
読むこと・・・・


そうだなあ
その答えを自分ながら
ゆっくりと吟味してみると
そうだなあと思えてくる

耳かきで耳を掃除しながら
人差し指で
鼻の穴を掃除しながら
自分のその時の気分で
自分の望む本を静かに読むこと

本当はとてもささやかなことなのだ


いろいろな情報が行き来し
いろいろな事物が自分の前を通り過ぎるから
自分の本当の声が聞こえにくくなっている


もちろんおなかがすいたら
何か食べたい

眠くなったらゆっくりと休みたい

そんな中
自分の本当に望むことは

静かに本を読むことであった


【坊ちゃん】に続いて
【こころ】も
20年ぶりに昨夜読み終えた


うーん
何かしら自分の中に残った気がする

それを吟味するには
もう少し時間がかかる

最近明治は
自分の中でとてもいい

2008年11月22日土曜日

山陰のよる

羽田を飛んで山陰の空につく頃は
空はもう暗くなっていた

出雲の空港に降り立つと
くっきりと風が冷たい
バスに乗り込んで出雲から松江に向かう

昼の晴れた日には
右側に雄大な宍道湖が見えるはずだが
今は克明な闇だけだ

都会に住みなれていると
夜になっても
人工的な光が潤沢にあるせいで
久しぶりにくっきりとした
自然の暗さに接すると
それだけで自然の厳しさみたいなものを
感じてしまう

バスを降りた
日本海の風が肌身を切るように冷たい
久々に両の手を口元に
近づけ少しでもと暖をとる

そんな寒い距離も
歩いて10分
目的の暖簾をくぐる

瞬間 急激な温度差が
眼鏡を曇らせ
一瞬視界が遮られるが
行き慣れた店ゆえ
それほどの不安も感じない


おうと旧交を温めるのは3か月振りだろうか
お通しの刺身の舟盛は相変わらず威勢がいい












きんめの刺身は
あとから煮付けに変身してもらおう
冬の味覚を満喫しながら
話も弾む
蟹が着た
まずは刺身で

そして焼きガニ

締めは蟹の味噌汁と
カニみそ茶漬け



日本人でよかった
山陰も日本の中の
誇ることのできる
エリアの一つだ
日本は春夏秋冬
とてもいい顔を見せてくれる
それを受け止めることが
できるかどうかも
日本人として
修養が必要なようである

2008年11月19日水曜日

秋の近鉄沿線

仕事で四日市方面に行ってきた

東京から名古屋までは
いつものように新幹線で
きっかりと昨夜の睡眠不足を解消

名古屋から近鉄に乗り換えて
四日市へ

近鉄電車はのどかである
車窓から望む山肌は
紅葉の盛りである

名古屋から南の路線での
大阪までの経路は
近鉄が担当している

四日市があり
鈴鹿 津 松阪
伊勢 と行って
その先に伊勢神宮がある

旅を住処とした
西行がお伊勢さんを
参拝したときの句に


なにごとのおわしますかは知らねども
かたじけなさに涙コボルる


とあったような

季節は違えど


春めくや
人それぞれの
伊勢参り

と詠ったのは芭蕉であったろうか




往時の日本人の心根として
人生の中で
一度だけでも
お伊勢さんに・・・・

という巡礼の心があったのだと思う
そんな日本人の心の故郷の伊勢エリア


そんな三重県なのである


秋の三重はなかなか良良


今回の旅【もちろん仕事である】は一つには夜がメインであった

松坂牛の焼肉である

一升瓶という焼肉屋で
とても気に入ったのであるが
実は三重エリアだけで展開している
大人気の焼肉屋らしい

地元の元Mビシくんが幹事となり
P S T EL ED
立場をこえてわいわいがやがや
おいしい肉を食べつくした

タレがいい
最近の焼肉屋で
個人的に不満である
サラサラのタレではない


しっかりドロドロ
みそなのか
しょうゆベースなのか
なんとも味わい深い

そんなタレと
紅白色入り乱れた
松阪牛の特選カルビ

誰やねんいい肉ばかり発注するのは!!

思い思いに語りあかして
一人当たり
7500円

きっかり食いました!


よき仲間である

良き同志と
良き食事と
良き酒と

なんともいえませんなあ

近鉄エリアを
改めて見直した二日間であった

明日は松江である

蟹の解禁日はとうに過ぎている
という情報はつかんでいる

2008年11月17日月曜日

今夜も坊ちゃんを読もうっと

何の気なしに先日ひも解いた
夏目漱石の坊ちゃんが面白い

夜寝る前の
ささやかな楽しみごとになっている


今夜も軽く読んで
ゆっくりとやすもう

坊ちゃんは何度か読んだことがあるが
出会うたびに新鮮だ

明治の文学というものが
何かしらいい

これも歳をとってきている証だ
といってもうれしいほうの意味で!

秋に一句

秋晴れや
まなこをあげよ
天高し



秋の空は
どこまでも澄んでいて
何かしら突き抜けたように
天空が高い

そんな時は
心の中の
よしなしごとなぞも
どこまでも突き抜ける青に
溶けてしまうだろう


わーいと高くもない
自らの体を少しでも
天空に近づけたくて
ひとつ深呼吸してみた

秋の澄んだ空気が
口から体内に流入してきて
そして一瞬だけど
秋と僕は一つになった


吟じることは
何とも難しくもあり
楽しくもあり・・・・


神童くんに学ぼうか・・・

月曜日

起床 6時30半

バナナ1房 お水1杯

昼食 12時

鯖の塩焼き
ご飯1杯
味噌汁1杯
漬物1皿
生卵1個

ホットコーヒー1杯

ガム 5粒

夕食20時
さんまの塩焼き1尾
大根おろし
味噌汁1杯
ご飯1ぜん
ビール500ml

お茶1杯
チョコ5切れ
イチゴパイ1個

今日の食事

今週も頑張ろうか・・・・

2008年11月16日日曜日

雨の午後

少しずつ寒くなっている日で
ことに雨なぞが降りそぼっていると
どうしても外出がおっくうになる

外の景色を
何の気なしに観ている

霧雨にけぶり
街並みが
寒気とあいまって
滲んで見える


その時の
景色と
それに打たれた心を
克明に切り取って
そのことを残す文化が
日本にはある

俳句や短歌である

雨のひまにまかせて
啄木をひも解く

たはむれに母を背負いて
そのあまりの軽きに泣きて
三歩歩まず

うーん
郷里に帰りたきものだ
われは大丈夫なれど
そを生みし母も今は
何歳になったのであろうか・・・・


なんとなく汽車に乗りたく思いしのみ
汽車を降りしに
ゆくところなし


あるよな 
こういうことも


こころよき疲れなるかな
息もつかず
仕事をしたる後のこの疲れ


これもあるし こうありたし
仕事とはこういうものかもしれない


はたらけど
はたらけど猶わがくらし楽にならざり
ぢっと手を見る


これもこれも
赤貧の日本の暮らし
その連綿とした続きにある
今の飽食の暮らし・・・・


友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買い来て
妻としたしむ


やはり家族が一番
最大の味方はやはり家族なのである


ふるさとの
なまりなつかし
停車場の人ごみの中に
そを聴きにゆく


若かりし日のわれとわが友
互いに里のことばで
大いに論じたものだ

人生につき
政治につき
この日本につき
そのようにして若者は
どのように成長していくのだろうか


雨もまたよしなのである

ひとごともじぶんのことも

ひとごととはよく言ったものである

確かにそうなのである

自分のことは
自分ほど重要な当事者はいないということである


たとえば
時に誰それの訃報に接する

当事者とその人に近い人々にとっては
そのことは
人生の中で最大限に大きなトピックスである

しかしながら
そのひとと近くない人にとっては
その訃報は
それほど重要なことではないのである

不謹慎ながら
そのことは一つの情報にすぎないのである


すべてそうなのである

日々接するニュースは
そのニュースの当事者にとっては
それこそその人の人生にとっては
一大ニュースのはずである

ことに全国ニュースとして
取り上げられる内容となると
その人の人生を揺るがしかねない
大きな出来事のはずである

ある国で大地震がおきた
死者 負傷者 何千人である・・・・・

ある国で紛争が激化
死者 負傷者 何万人である・・・・・


そんな大きなことも
不謹慎ながら対岸の火事なのである


とすると
我々を日々悩ます仕事上の悩みも
お隣のおじさんからすると
【どうでもいいこと】なのである

われわれが至上命題とする内容ですら
お隣のおじさんにとっては
【なんでもないこと】なのである


まじめで勤勉なのは人間として
とても良質な性格であると思う

しかしながら
悩むというのはできれば避けたいものである

いってみればどうでもいいことなのである

どうでもいいことに
その当事者がそれなりの意味合いを押し付けて
遂行される蓄積が
人間の歴史なのである

最近 改めて日本人の国家的蓄積である
先の戦争のことを読んでいるが
その局面局面 またその部署ごとに
そこだけの真理らしきものがあって
その真理は時として
人の生命よりも価値あるものと誤解されて
何事かが大きく遂行されている・・・・


いい意味であっけらかんとしたいと
なんとなく想っている

それぐらいしないと
それこそ
勤勉な日本人の血を受け継いでいるので
盲目的に何らかのその時の【真理らしきもの】
に毒されてしまえば何をしでかすかわからないのである

先の戦争の折に行われたような
ことと似たようなことが
今の時代もいたるところで
おこっているはずである

やはりあっけらかんで適当がいいようである


人生は楽しみたいものである

かさのほねが折れたこと

日に日に秋も深まってくる

2008年 つい先日新年を迎えたような気がするが
日に日に確実に時は刻まれて
嘘偽りなく今年もあと2か月を切ったことになる

先日 朝起きたら雨が降っていたので
いつもの通り普段使っている折り畳み傘を
もって早朝の駅まで歩いた

家の玄関を出たとき
何の気なしに傘を開き雨をよけて歩いた

10分ぐらい歩いて
駅について傘を閉じようとしたとき
ぽきっと音をたてて
その傘の数ある骨組のなかの
1本の骨が折れた

たかが1本だが
その1本が折れたせいでその傘は
しっかりと天面を向いて
元気良く開くことができない

そのことは傘としての存在意義を全うできないことを
意味し、
私は心の中でささやかに
【ご苦労様でした】と呟きながら

駅のごみ入れの中に投げ入れた・・・・


無限に頑強であることは不可能なのである

世の中は無常なのである


普段通りあるべきものが
何のきっかけかある日突然
従来のありようをなくしてしまう


紅葉の季節である

紅葉を形作るのは
一葉一葉の木の葉である

生命踊る新緑の季節から
枯れなんとする秋に入る

紅葉は生命の最後の晴れ舞台なのかもしれない


生命の最後に真紅の色に
自らの色を体現し
そして生の源【木の幹】から
体を投げ出し、次世代の礎としての
生命の源【たい肥】として自らの役目を差し出す・・・


そこに美を感じるのが
また日本人の感性なのかもしれない

みわたせば
はなももみじもなかりけり
うらのとまやの
あきのゆうぐれ


日に生きることは
日に死に向かうことでもある

体に変調が起こることも
また生命として宿命なのである


そして生は連環するのである


二日酔いの瞬は
体のことを想うようである・・・・

2008年11月12日水曜日

土田なんとか

本日は大阪にて仕事のため
早朝から新幹線に乗り込んだ
そんなことは長年営業職をしているとどうしても慣れてくるし
仕事であるので不満などはない

早朝ゆえにほとんどの乗客がサラリーマン風の出張族だ

そんななか紅葉シーズンも手伝ってか
かなり早朝の新幹線にもかかわらず
おばさん二人が私の斜め後方に2席占拠していた

流行のごとく二人ともおしゃれな
キャリーバックを持っている

乗り込む早々なにやらぺちゃくちゃ話している

まあ最初は旅に興奮して何かしらコミュニケーションするのは
大概の人はするものだ

それがひとしきり時間が過ぎると
ほのかに眠くなり静かになるものだ

しかしそのおばさんたち
朝のサンドウィッチの代金をどちらが払ったのか知らないが
私がお金をはらう、いや私がここははらう
からはじまって会話が終わる気配がない

サラリーマンは日ごろ疲れている故か
多少いびきをしている輩はいるが
おおむね
静かに寝むっている

そんななかその二人の大きな声の会話は妙に浮き立っていた
私も疲れていたので
新横浜を通過したあたりからうとうとしていた


うとうとしている途中も
二人のおばさんのノイズは
まとわり付くハエのごとく
浅い睡眠中の私の脳裏にずーっとうなり続けていた


名古屋で目が覚めた 
停車に伴う車両の動きの変化と
バリバリという
お菓子袋をあける音で目覚めたのだ


相変わらずうるさい
ノイズを覚醒した状況で自覚した
あれからかれこれ一時間半以上おばさんたちは大きな声で
意見交換をしていたのだ
列車の振動に負けないように
お互い大きな声で意見交換している

にらむともなしに斜め後方のおばさんの状況を
視覚的に確認しようとした

一人の我が物顔で何かをまくし立てているおばさんが
お笑い芸人の土田なんとかに酷似していた
下の名前はわからない 何とかなのだと思う

土田ナニガシはピン芸人で
時々ぴりりと塩コショウの効いたコメントを発し
私も何回か大笑いではないにしても
くすくすと笑ったことがある

生き馬の目を抜く芸能界で
したたかに生き残っている
その姿勢には浅はかならず
敬意すら抱いていたつもりだ

だから今まではその土田ナニガシのことは
好きではなくとも嫌いではなかった

でも寝起きの騒音に土田ナニガシ相当の顔を目撃
おまけにゴマの香りの効いたおせんべいを
互いにバリバリやっている

ゴマの強烈な芳香とノイズと土田ナニガシ相当の顔
土田ナニガシには悪いが
あまりいいイメージはしなかった

さてさてこの借りは仕事で返してやる
いま新幹線は京都に向かって
順調に進んでいるところなのである

2008年11月9日日曜日

人生は道そのもの

人生というものは長いようでいて実は意外と短い

学生の時学んだ国語の教材で

人生というものの断片を考えさせられる
一文がった

人間というものは不思議なものだ
中学生の時分は何が何でもいい高校に入りたい
そのために今は、勉強勉強!

そして晴れてその望む高校に進んだら
有名大学に入りたい
そのためには今は勉強勉強!

大学に入った
そこでは一流企業に入りたい
そのためには勉強勉強!

一流企業に入った
そしたらやれ係長だ、課長だ、部長だ
この人はいつも自分の今の希望を押し殺し
次のステージを夢見て
ストイックな生活を過ごしてきた

あたかもその先にとても素晴らしい【何か】が
あることを夢見て

そして人生は瞬く間に過ぎていく
もしかしたらその人は部長になれたかもしれない

でも、よしっ、これからは自分の好きなことをやって過ごすぞ
と心息巻いた時はそれこそ時すでに遅し・・・
おれは部長になるためだけに生きてきたわけではない・・・
その人は誰に訴えることもできず
それでいて自分を責めても責めきれない
おれはまじめにやってきたのに・・・


人生というものが何かしら大きな形のある何かと
勘違いして
その人は
その虚像に向かってその時々の今を犠牲に邁進した
でも人生はその総体そのものが人生なのですよ・・・・・

という感じの文章だったようにと思う
その時はそんなものかと軽く感じたのであるが

まさにというべきか
今となってみると
とても
実感させられて身につまされる

人生は旅によくたとえられるが
その旅の意味することは目的地ではないということだ

その目的地に終着するまでの
プロセスそのものが人生ということであろう

その道程はときにスムーズにいくこともあれば
なかなか登り切れぬ小高い丘もあることだろう
でもその道端にさく野の花に
一息入れたりして、その長き道のりを楽しむべきなのだろう
それを
その瞬間瞬間を楽しまずに
先の目的地への到着がすべての旅人は
先ほどの部長のごとく
おれは何のために生きてきたのだと最後の瞬間に
嘆くことになる・・・・


今を生きること

何とも難しいがとても感じられることだ

秋のゆべは思索を深めさせるの~

唐揚げのドカ食いも時間とともに落ち着き
血液がようやく胃から頭へ流れ始めたのだろう

そろそろ寝ようか・・・・

くちぐせ

唐揚げからの続きで感じたことなのだが

自分の口癖というものを
かすかながら考えてみる

自分で意識したことが
特に最近はなかったのであるが
やはり口に出していうことは
自分の生活にとって
少なからず影響があるのだと思う

唐揚げを食べた時は

うまい!といった

風呂に入った時は

きもちいい!といった

人間は複雑そうに見えて
その実
その生活というと
実は案外単純な層の積み重ねのような気もする

その単純が
自分にとって不快なもので あったら、
不快なものの重層が
自分にとっての生活ということになり
やはりそれはあまり喜ばしいことでもない

いいね
うまい
気持ちいい
よっしゃ

できる
よめる
みえる
わかる

できればそのような前向きな言葉の
積み重ねでありたい

深い意味などない
唐揚げからの延長戦なのである

からあげ

からりとした衣に包まれて
にんにくベースのしょうゆじたて

それでいて中身はとてもジューシー

それにパラパラとクレージーソルトを
ふりかける

ご飯もすすむわ!!


肉は胸肉よりも
モモ肉のほうがいい


トリの唐揚げのことである

私は10代の駆け出しのころ
鹿児島にてケンタッキーフライドチキンで
アルバイトをしていた

そのころから唐揚げは
好きだった

今も好きだ

ということは20年以上もの長きにわたり
私はトリのから揚げを摂取しているということである

鶏のから揚げは
ご飯を進ませる

それだけのことである

秋は食欲がいや増すな~

日本シリーズを見ながら
唐揚げをつまみつつ
ビールを飲んだ

こんな休日でいい

幸せの典型などない

ただ自分自身が幸せと感じることができ
それを声に出して
幸せだな~と口に出して言えるとき
その瞬間は
まぎれもなく自分にとっての
幸せの瞬間なのである

鶏のから揚げも幸せの一つなのである

2008年11月8日土曜日

水ぶろ論考

個人的な定例行事として
毎週週末はスーパー銭湯に行くことにしている

銭湯には人生の教訓が数多くある

水ぶろについて考察する

秋も深まり最近はとても寒い

服を脱ぎ、露天風呂におもむくときは
私の無垢な体も鳥肌である
水ぶろなどとんでもない
まったく無縁のはずである


しかし30分も湯船につかり
10分ほどサウナに入ってしまったら
今度は一番のお目当てが水ぶろになる


ここで水ぶろに気持ちよく
つかりながら頭をよぎったことがある

【水ぶろは常に水ぶろである】

私が入場した時も
17度ぐらいの温度を保った水ぶろであったし
私がサウナから出てきてはしゃぎながら
飛び込んだ時の水ぶろも
同じ17度の水ぶろである

水ぶろという外的環境は変わっていないのである

変わっているのは自分の内的状況である

自分の状況次第で
身の回りの環境はその様相を目まぐるしく
変わって見えるのである

実際水ぶろは
私の状況の変化で
とても冷たく不必要なものから
とても心地よく必要なものに変化したように感じられた

そう、感じられたのである
私自身に感じられたのである

水ぶろ自体は全く普遍なのである


人生の中で楽しかったり、苦しかったり
面白かったり、不快だったりすることは多々あるものである

外的環境を変えるのは実はとても大変である

しかしその環境を感じる自らの状況を変えるのは
実は意外と容易なはずである

水ぶろの例で言うと
私は自分の体を温めるという状況の変化を起こし
不変である水ぶろという環境の
感じ方を180度転換させることができたのである・・・


人生はできれば順風満帆で行きたいものである


苦しく不快と感じているのは
自分の心であると意識することができないだろうか

意識でき、その感じ方を変えることは
できないかと自問してみたらどうだろう

このことは風呂で感じたこと単なる水ぶろの件にすぎない

だけど人生のいろんな局面で応用できないかと思うのである


都度このブログでその成果は考察していくことにする

やはり風呂は良いのである

おきなわとスパム

この歳になると、沖縄にも何回か足を運んだことがある

数少ない私の沖縄体験の中で
やはり外せないのは
お土産である

沖縄のお土産と言えば
ちんすこう うこん 沖縄そばナドナド
しかし個人的には
やはりスパムである

スパム・・・その名称からして
あまり健康的ではないのは
大方予測がつく

要はハムの缶詰である

とても塩辛く あぶらギッシュである
体に良くないのは
その名称、その形状から明らかである
沖縄においてはそのスパムが安いのである

あまり知られていないが
そのスパムに火を通すと
ひときれでごはん一杯は容易な作業である

ひときれにマヨネーズを振りかけると
さらに大変なことになる


実は今週は仕事で沖縄に行く予定が
ニアミスで急きょ変更となった

その縁というべきか

夕べ嫁は旧知の仲間と飲み会があるということで
私の夕食用に
贅沢にスパムを輪切りにした肉片を
天井にのせたおにぎりを4個作ってくれていた
意外というべきか、僥倖というべきか

嫁自らが花の金曜日に自分だけおいしいお酒とお食事という
後ろめたさが手伝ったことは容易に察しが付く
それぐらい我が家におけるスパムの位置づけは
特別なのである


しかしながら私も仕事を終えた週末ということもあり
新橋で同僚と軽い食事をすませ
【と言ってもしっかり飲んで食べたはずである・・・】
帰宅したのは12時ハンすぎであった


しかし嫁は当然の如くまだ帰っていない

テーブルの上にはそのスパムおにぎりが
無造作に放置してある

一日の汗を流さんと
シャワーを浴びていると
予測していたが、上機嫌で嫁も帰宅

互いに酒も入っており
幻とは知りながら空腹を覚える

【そういえば食べ物はあまりくってないな~】

ありえないはずである・・・

しかし気付いたら先を争うがごとく
スパムのおにぎりに上からマヨネーズを
飾りつけながらしっかりと2個づつ完食!

すでに午前1時ハン過ぎであった・・・・

翌朝はやはりというべきか
かなり胃に違和感があった

しかしスパムはおいしいのである

沖縄のニアミスとスパムのおにぎり

何とも人生には素敵な共鳴というものが
あるものである

スパムはお勧めである
火を通し若干ごげ目がつくほど炒める

お好みでマヨネーズを振りかける

アツアツのごはんと一緒にいただく

ささやかな人生における幸せの発見が
あるはずである

しかしスパムは若干高いし
体にはあまり良くないはずである

2008年11月3日月曜日

ゴールデンパターン

朝 まだ周りが薄暗い時間に
ぱちくりと目が覚める

自分の体の感覚を
まだ体を布団に預けながら
頭の中で足の先から徐々に点検する

うん 悪くない
昨夜寝る前までの自分の行動を思い起こし
その行動に伴う自分の置かれた今の環境を
頭の中で整理する

うん そんなにへまはやらかしていないはずだ
時計をみる
午前5時45分
うん わるくない感じだ

隣も私の起床に気づいた模様だ
できるだけ音を出さずに
押入れにしまわれている
サウナスーツを取り出そうと
私が動き出すと
嫁もムックと起き上がる
基本的に負けず嫌いなのだ
私が一人体にいいことをしようと
することに負けるものかと追随してくる

しっかりと防寒兼発汗のための
着こなしが完了し
ゆっくりと玄関の扉を開く

朝日が少しずつ顔を出そうとしている
太陽がすっかり顔を出したら
今日あたり富士山も拝めるはずだ

ゆっくりと歩き出す
まだもやっている中
町はまだお休み中だ

一路荒川を目指す
荒川の下流が東京湾に入り込むところが
散歩コースになっているのだ

健康おたくがたくさんいる
元気よく腕を振り
せっせと何かを積み重ねるように
私たちの横を走り抜けていく

海は心を洗うようである
まがうことなく海である

人工的なものばかりに囲まれて
生活している東京のなかで
純粋に自然の姿がかすかながらそこに見出せる

自分の本来の部分が
その自然に接するとき
何かしら感応するのがわかる

往復2時間すっかり歩いたあとは
サウナスーツにくるまれた
わが醜き体は蒸しあがったあとの
豚まんのごとく、蒸気を発しながら
しっかりと自らの塩辛い汗に濡れそぼっている

わーっといいながら
そのびっしょりのシャツを脱ぐときに
自分なりのクオリアを感じる

しっかりと汗を流したあとは
おなかが急激に減っている

そこにだめ押しするがごとく
バナナを食べる

そして音楽を聴きながら
新聞をゆっくりと開く

あまり過激な事件のニュースは
この早朝の時間にはふさわしくない
文化的なことを伝えるニュースに
目を走らせる

10時が近づいてきた

さっそく出かける
近所のスーパー銭湯である

あさ汗をしっかり出したにもかかわらず
まるで修行僧のようにサウナにこもる

周りもトドの祝祭かと見紛うごとく
同じような体格のオジサンと
ひしめき合いながら汗をかく

10分ぐらい耐えたであろうか
おもむろに腰を動かし
次のステージに向かう
水ぶろである
ここでも最低限のマナーがある
汗を流してから入るのである

サバンナのオアシスに群がる
像の大群のごとく
ここもおじさんたちがひしめいている

手とうでどうもどうもとかわしながら
ようやく水ぶろである
ここで第二のクオリアである

そのように過ぎゆく二時間で
私の体内の血液はおそらくとてもさらさらと
活発に流動しているはずである

心地よい秋風に自らの体を
預けながらスーパー銭湯を退散

ようやく待ちに待った昼食である

近所の長崎皿うどん店をのぞく

相変わらず
めっちゃでかいや~んである

うまい

しっかりとおなかの中におさめ
一路帰宅

おなかがいっぱいになると
帰巣本能が目覚める

しばらく読書なぞをしていると
午前中に痛めつけた体が
休息を求める

目がしゅぱしゅぱしてくる

午後の昼寝である

この昼寝がかなり深い

とても深い海の中をさまよっている感じである

そして尿意を催しいましがた起きた・・・

という次第である

ながい本日の日記はこれにて終わり

本日のような平凡な休日が
実は私にとっては
ゴールデンパターンなのだ

人それぞれなのである

2008年11月1日土曜日

ヒト 人

人は人を判断しようとする習性がある

人が二人以上で生活するとき
社会が発生する

社会でお互い円滑に生活を営むためには
それなりのルールが必要である

そこに公が発生する
公は時として私と対立するときがある

社会の中で生活するとき
人は構成員としての他者を判断するのである

判断基準はいろいろある

安易な方法としては
外見である
血液型である

年齢である

表情もある

人はいろいろなことを瞬時にミックスして
それなりに他者を判断するようである

いい歳をしたおじさんは
それ自体で社会のなかで
人生の先輩であると決めつけられ、
時として
尊崇の対象になることがある

しかし
いい歳をしたおじさんも
外見と反して精神年齢は幼児のような輩もいるのである

それに反し
まだ若く人生の酸いも甘いもしらねえだろうに・・・
と甘く見たらアニハカランや
とてもとても立派な青年もいるのである

人は二十歳を超えると年齢ではないようである

もって生まれた素養とそれを堅牢に成長させる教育
そして経験を通じた自らの修養

それが人間を作るようである

ただ単に年をとっているだけでは
立派なヒトということではないようである

やはり人を見る目を養うのは
一筋縄ではいかないのである

その前に自分自身
歳相応にそれなりに社会の構成員として
貢献できるようこれからも修養が必要である

私も社会的にはそろそろおじさんにちがいない

少なくとも若手ではないのは確かである

幸福な時間

今週は火曜日から
広島 高松と仕事の関係で出張であった

仕事自体は仕事だから
何のコメントもしようがないが

出張が続くと
食事がかたよる

同じような体型をした
同じような年頃のオジサンが
相集えば
当然 タガのはずれたブタさんのごとく
好きなものばかりパクパク ガブガブ・・・・

そりゃ 太るわということである

まあ 好きなものを食べながら
美酒に酔いつつ
忌憚なくお話をするということが
人生の中では実は最高位に位置する
幸福だとすると
実は自分は仕事に追い立てられながらも
寸暇を惜しんで
自分らしく自分の幸せを自分の力で
獲得している・・・ということでもある

かなり自分にいい風に解釈している
ということはわかった上でも
人生というものはそういうものであるのかもな
と思ったりするのである

さてさて
10月も終わり
きりのいいことに3連休である

英気を養って
また頑張ることにするか・・・

とはいえ毎晩お付き合いいただける
境遇には本当に感謝だなあ

今朝買収報道があった

取り巻く環境は
いろいろと変動する