2008年11月25日火曜日

自分にとっての記録することの効用

はたして言語というものの果たす役割は
それほど小さいものではない

はた目から見て
しょぼくれたおっさんも
その読んでいる本が
シェークスピアだったりすると
少しだけひく

人間はコミュニケーションをする動物である


言語はそのコミュニケーションを円滑にするための
重要な手段の一つだ

意思の疎通には
いろいろの手段がある

写真があり
絵画があり
動画があり
音楽があり
言語がある
諸諸ある


文化的な芸術といわれるものは
縦軸の時間と横軸の空間を超える
諸諸ある意思の疎通の手段の
形として残った結晶なのであろう


そこに民族特有の共有な感動があったり
民族を超えて
普遍的な理解があったりする


自分の中に生起した感情を
記録するということは
ことに個人的な自分の人生だけを
とらまえてみると
自分にとっては
非常に重要な作業のような気がする


そのときに生起した
アイデアなり感覚などというものは
その成否なり重要度なりを
度外視すると
その時だけの貴重な瞬間である

貴重というよりも
唯一無二のものである

だから記録するのである

その手段として
別段言語でなくてもいい

人間は
言語以外にもいろいろな手段を持っている

ただ言語は
とても身近でいて
それでいて
効果的だということである

素人がとっつきやすい
日常にとても近い手段なのである

その断片が
この抄録であったりする

こだわるようだが
これは私個人にとってだけ
重要なはずである

意味を勘ぐってはいけない
私だけが感覚的に感じていることだからである

理解しがたい場合は
私の文章のテクニカルな問題だけに
起因しているはずである


それだけそれだけ・・・・

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