2010年7月28日水曜日

東北への道程

夏の東北をいく

東京からやまびこにのり
仙台に向かう

埼玉を過ぎる辺りから
あたりは緑萌ゆる田園風景が広がる

田んぼの間の畦道を
軽トラックが走っている

田んぼの間の川べりを
ひとりの人が水辺を眺めている

こちらは新幹線の車窓から
そんな流れ行く風景を
観るとはなしに眺める

川べりで水の流れを見つめている人の
前後は細長い田圃道である

そんなケシ粒のようにみえる
人を眺めながら
彼は生きているのだろうか
と不思議な感覚にとらわれた

彼に一個の爆弾がおちて
彼の生が死へと変化するとどうなるのであろうかと考えた

あんなケシ粒のような存在の
生命などは本のひとひねりのように思われた

とするなら
そんな風景を高速で走る新幹線のなかから
眺めているこちらの生命さえ
非常に危うい状態にあるように思われてきた

タンパク質の集合体が
生命であるという

しかしながらそれと同じタンパク質を
同量揃えたところで
そこに命を吹き込むことは
人間にはできない

そこに生と死の厳然たる境界線があり
それは
生物と無生物のあいだの境界線でもあり
その違いはなんとも今の科学を以てしても
厳密には答えられない

一匹のにくき蚊でさえ
人間にはその生命を作ることはできない

澄み渡る青いそらと
どこまでも広がる東北の田園風景は
日本の夏を懐かしく感じさせてくれる

懐かしいとはなんだろうか
この感覚はどこから来るのだろうか

今のこの危うい平和の上に成り立っている
自分のささやかな幸せも
あとから振り返ってみると
懐かしさを感じさせることになるのだろうか


夜と霧という本は
アウシュビッツの悲劇を感情に流されず克明に描いた
厳粛な書物である

少しずつ錐をもみ込むように
読み進め
なんともいえぬ感慨にたゆたっている

生きていることと生きていないことの境界線

どちらに転ぼうとも
実はそれほど違いなどないような気がする

生の延長線上に死がある

田園風景を眺めながら
少しぬるい茶を飲んだ

2010年7月22日木曜日

暑いから寿司

それにしても連日暑い

事務所のエアコンの調子がしばしおかしいようで
室内で作業をしていると
非常に暑苦しい

温度計を見るまでもなく
体感でほぼ32度ほどだと感じる

体の汗はひかず
呼吸が苦しい

31度でもなく33度でもない
32度なのである

といえど
32度などというものは
どう見ても適温ではない

ということで呼吸困難を感じたため
本日は早めに帰還することに決断した

家に着くとカミさんも何やら汗みずくである
どこぞにでかけて同じく今しがた帰還したらしい

汗を拭きながら眺めていた
テレビで回転寿司を特集していた

乗るかということで
近所の回転寿司にチャリンコで訪う

チャリンコだから
ビールがいける

まずは泡を飲み干し
好きな寿司をつまむ

どれも100円ゆえ精神衛生上いい

ビールと寿司をつまんで
4000円程度か

暑い夏は体力勝負だ

うまいもんを食って
本日の疲れを明日にもちこさない

そんなカンジで日々を積みかさねる

夏の仕事の一場面

昨日は朝から埼玉県へ出張

仕事の関係で
同業他社との重要なやりとりである

一応年間の販売を決める
棚割り商談だけに
各メーカーともに熱い

ひとつの商品に対して
執拗な執念で押してくる

まあそれも自社商品への
あくなき愛着のひとつの形であるし
自分とて自分の扱う商品には
愛着がある

そんなカンジで
熱い真夏のなか
いい歳をした男どもが集まって喧々諤々している

先方も
ひとつの企業だけに
組織がある

担当係長です
担当課長です
担当部長です

となにやら多数の人足が出てきた

白髪が混じった課長さんと
鬱陶しいほどに気の利く若い部長さん

この時点で年齢の逆転現象が起こっているようだ

ほう たいそうできるご仁なんだろうな

と感心していると

またまたなんとか部長ですとか
なんとか課長ですとかでてくる

同じ部長と言っても
種類がおおいんですなと
半ば関心しながら都度都度名刺交換をしていた


そんな仕事もはねて
同じ会社のセンパイと帰りしな
軽く飲るかとなる

暑いなあと西船橋の近辺を物色していると
暑いからヤキニクでもいくかときた

やぶさかでは御座んせん

と間髪入れず返答し

男ふたりで
行きずりの焼き肉やへしけ込む

肉の旨味が暑さにシミル

うまいなあ
としばし歓談し
その日は楽しくとじていった

こんな感じである夏の一日

7月21日である

2010年7月19日月曜日

心地良し みずブロ

生きている中で
これはいいということはなんだろうか

改めて感じたことは
サウナのあとの水ぶろ

あれはいいね

生きている実感が体の底から湧いてくる

アツアツにたぎった己が肢体を
無造作に水の中に投げ出す

あたかもカバかぞうさんになったかのように
放埒にも顔から投げ出す

シュパーといきを天に向けて吐き出す姿も
何かしら百獣の王のごときで
なんともいいではないか

風呂を終えて
家路につく瞬間
いいねえ これも・・・

頭の中にはとりあえずは気になることは
すべて厳格な引き出しの中に入れ込んで
鍵がかけてある

家に帰って
扇風機にあたって
畳の上に大の字で横たわる
いい

デニーズで
デミグラスハンバーグを頼んだ

待っている瞬間
これもいい

これからほぼ確実に
美味しい肉を食べられることが
保証されている瞬間である

ジューとわざとらしく
鉄板を熱してくるのが
また心にくくいい

自分にとって心地いい瞬間瞬間を
断片としてつなぎあわせて
人生が総体として幸せと感じられたら
それでいいように思う

もちろん大変なことは
必然的に起こる

起こることを見込んだ上で
それを乗り越え人生を歩んでいく

とはいえやはり
楽しく心地いいほうがいいではないか

そんな方面に意識を向ける方が
自分自身にとって
お得なようだ

水ぶろはいい!

人生たのし 

人間も40年そこそこも生きていると
なんとなく世の仕組みのようなものがわかってくるだろうか

自分一個の人生の責任は
自分以外の誰も負ってはくれない

なにかしら他の人の眼をいつも気にしたりもするが
そんな主体のない他人の眼のようなものは
こちらの人生に対して
なんの責任ももたない
非常に無責任で放埒で無秩序で
なんの信頼性もない

となれば
他人の眼など正直なところどうでもよく
言葉悪く行ってしまえば
自分のいいように生きていくに如くはなし
と考えたりもする

その半面
公的な場所で
己の欲求のままに
やりたい放題しているような輩を見つけると
無性に腹も立ってきたりする

例えば銭湯における
皆の休憩のためにあるベンチに
放埒にも見苦しい体をよこたえ
自分だけの快楽をむさぼっている輩なぞ見ると
したたか横っ面を張り倒したくなる

なんとも自分自身
そこに基準みたいなものが
あるようでなかなかみつからない

人生も折り返し点にきたようで
そんなカンジで
真面目一辺倒でも
たかだかしれたものよと
なんとなく実感するものが生じてきたりして
それであれば
自分の欲することを
好きなだけやればいいと思ったりする

世間様にはご迷惑をかけない
という前提条件つきでである

うまいものも食べるべきであるし
行きたいとところにも
積極的に足を運ぶべきである

新聞欄にのる不幸な事故により生命を絶たれた人たちは
おそらくその瞬間に己の生命が終焉を迎えるなど
考えもしなかったであろうし
人生おそらくすべて死に向けて準備完了の元
死出の旅に出ルことなどありはしまい

とするならば
極端にいうと
明日の我が身とてなんの保証もないこの人生行路
生きているうちに
己が欲することを
勇気を持ってなすことが必要であるように思う

好きな本を読み
うまいもんをくい
楽しく談笑し
行きたいところに赴く

体を動かし
体をいたわり
人をいたわり
自分をいたわり
喜怒哀楽を楽しみつつ
日々を感受すべきなのであろう

そう
そんなことを風呂にて
おっさんのきたないケツを見ながら黙想した

2010年7月18日日曜日

人間五十年

思へばこの世は常の住み家にあらず。         
   草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし。     
   きんこくに花を詠じ、栄花は先つて無常の風に誘はるる。
   南楼の月を弄ぶ輩も月に先つて有為の雲にかくれり。  
   人間五十年、下天のうちを比ぶれば夢幻の如くなり。  
   一度生を享け、滅せぬもののあるべきか。       
                               『敦盛』



戦国の世のサムライは
己が裁量に任せ
夢を夢み奔走した

そんな戦国の世に較ぶべくもないが

今の世において考えてみると
人生50年とは
少なくも考えてみたりもするが
人生の大半が
人に何事かを与えることによって
その生きがいを見いだせるものであるならば

己の子を持たなかったものにとって
人生70年80年はもしやすると
少しく長いように感じたりもする

ときとして
50とは言わないまでも
60ぐらいで相応かもと考えたりもする

往年の歴史的人物とて
20歳代で夭折している仁もおるし
大概は
意外に若くして人生の幕引きをしている

さても
そもそも人生をその歳月だけで
その価値の多寡を論じること自体が
論の根っこから間違えているのかもしれぬ


時に思うのである

人生短いようで
意外と長い

さりとて
そのようにかんじいるときというのは
自分の力量を人生に直截にぶつけることができず
鬱勃としている時期でもあり
人にとって誰しも経験することであるのかもしれない

まあそうはいうても
気楽に生きてゆくに如くは無しかもしれぬ

人生気楽に行こうである

2010年7月17日土曜日

当たり前のことを丁寧に

一つ一つのことを
丁寧にこなすことが
結局は自分の一番心地いい状態へつながるようである。

朝7時に起床
昨日はスーパー銭湯で身体を苛め抜いたので
ここ最近にない
しっくりとする深い眠りを享受できた

体の深いところで
心身の接点がしっかりと接続されたような
なんとも安心のいく健全な眠りである

窓を少し開けて寝ていたおかげで
エアコンをつけっぱなしで
身体が冷気でこわばっていることもなく
嬉しい朝である

カミさんは学校である
いま医療事務の学校が佳境で
本日は模擬試験らしい

人間何歳になっても
新しいことに挑戦することはいい

カミさんが朝出て行くと同時に
こちらも区民プールに出かける

水中用グローブを
イチローのように装着し
静かに水面をかき分けながら歩行する

朝は老齢者のやりたい放題でもある

お友達衆が
相変わらず歩行コースに我が物顔で
滞留している
周りの真面目なおっさんが難渋しているようである

こちらの思い入れもあるが
貴奴らの顔は一様に一種類のようだ

あさましいのである
ああはなりたくない
例えて言えば悪代官とそれに群がる悪徳平民のごときである
泥水のごとくにごっていて
爽やかでない

区民プールは
納税者への区の還元施設である

皆に平等の施設である

自分らの通う頻度が高いがゆえに
他に対して優越的地位にあるとはならない

こちらはそんな老人不良グループに
臆することなく
太った体を貴奴らの場所に食い込ます
当たり前である へっ!

しっかりと二時間歩行をこなし
自転車に赴くと
日差しは確かに夏である

蝉の声が響き
路面に太陽が照り返し
思わずチューブのうたが口を出てくる

そのまま家に帰らず
一月に一度の血圧の病院へ

お医者さんの簡単なカウンセリングをおえ
いつもの血圧の薬を処方してもらう

さて昼は何を食おうか

こちらは本日はひとりなのである

いろいろ考えるも
とりあえずシャワーを浴びたくて
一旦家へ引き返す

龍馬伝の再放送で
再び胸熱くたぎらせ
そのまま戸棚にあったカップラーメンに
熱い湯を注ぐ

腹を満たしたあとは
読みかけの本を読み散らし

窓全開の昼下がり

深い昼寝に突入

相変わらず深いところで接点が統一する
ズレのないいい眠りである

そんなカンジで
夏の土曜日を過ごした

カミさんは模擬試験はバッチリだったようだ

夕べ遅くまで
頑張っておられたようだからな

努力は裏切らない

何事も当たり前のことを
丁寧にこなす

それが結局は自らが一番望む
心地良い状態へつながるのだろう

出来事など

金曜日の仕事は現場作りだったので
直行直帰である

電車の接続の関係で
九段下を通ると
昨日以上にひとの群れである

みたままつり最終日なのである

それにしてもなぜこのように
若いのがワンサカ発生しているのだろうか

靖国神社の存在理由を知っているのだろうか

どのような立ち位置にあるのか知っているのだろうか

そんなことは知らずに
夏まつりだから
友達同士繰り出してきているのだろうか

とはいえ
そんなカンジで
敷居が低いのはいい

靖国を取壊さんとする
一部の動きがあるが
それは絶対にやめたほうがいい

民主党はことごとく
日本の国柄を取り壊してきた

直近に妙な談話を発表するという
噂もある

もう本当にいい加減にして欲しい

今回の国政選挙で
民意はしっかりと伝えられたはずである

国を愚弄するのは
やめてもらいたい

タレントアホ立候補どもが
落選して本当によかった


汗だくになった体を
久しぶりにスーパー銭湯で
かぶせていじめた

とことん汗をかき
水ぶろに体を投げ出す

カバだな本当に・・・・

梅雨も開けそうだ

夏バテすることなく
うまいもんをガンガンたべて
人生を楽しんでいいこう

人生はそうながくはない

2010年7月15日木曜日

みたままつり

本日の東京は曇りのち晴れ。

久々に夏の青い空を望み
何かしら心晴れやかになった

本日のスケジュールは
竹芝で終日会議

全国から仕事上の仲間が集う。
顔も名前も知らないが
確かに同じ会社の関係者には違いなく
なんとも人の世は広いというか
人の関係性は意外と狭いというか

竹芝で終日の会議が終わったあとは
靖国神社に出向くことは朝決めていた

新宿にて用事のあった嫁と
九段下で待ち合わせた

夕刻六時の九段下は
とことん暑い

まさにこれぞ夏ですなと
嬉しくなってきた

それにしても多い
人ごみのことである

若いのがワンサカいる

本日はみたままつりなのである
日本の為に命を張って戦った
ご先祖様の英霊を祀りつつ
一緒に夏の夜のひとときを楽しむ
例年の恒例行事なのである

それにしても多い
うじゃうじゃいる
若いのもおっさんもおばはんもいる

本殿に拝し
みたまにお参りをする
心熱く胸たぎるものが湧き出る

人知れず拳をにぎりながら
静かに手を合わせる

暑いですなあ
ほんと今の日本は平和です
薄氷を踏むがごとくきわどい平和です

こんな状態から
早く堅牢な日本を構築せねばなりませぬ
とはいいつつ本日は楽しいですな。
しばし楽しみましょう・・・・云々


などと意を交わし
その後は嫁とのどを潤す

デミセの後ろには
簡易の椅子とテーブルがある

ビールとたこやきと焼き鳥を買い込んで
とりあえず飲る

暑さに汗が吹き出つつも
この瞬間がいい

平和な夏である
日本の夏である

本日もよかった!

雨もいいがそろそろあけてくいやい

連日雨が日本列島に降り注いでいる

薩摩の地もだいぶ雨を含んでいるはずだ
シラス土の地ゆえ
心配だ

秩序に対して
人間はそれに都合をあわせて生きてきた

従来の秩序が少しずつ変化しようとしているとき
非力な人間は大変だ
自然の秩序に少しずつ少しずつ変化が生じてきているのであろうか
それとも織り込み済みの
自然のダイナミックなうなりのひとつの形なのか

梅雨がないと作物がしっかりと育たない
さりとて今年はもうよかろう
はよ梅雨があけて欲しい

靖国神社ではみたままつりがおこなわれている
毎年この日である

平日などというのは
こちらの都合で
靖国神社は伝統を守っている

顔を出したいなあ

火曜日に若い衆と飲んだ

ちと過ごした
最近は翌日に尾を引く

翌日は激しく眠く
早めに休んでぐっすりと眠れた

2010年7月11日日曜日

土曜日と日曜日こんな感じ

5日 北海道

6日 東京

7日 水戸

8日 京都

9日 東京

移動の日々がつづいている
日常をそれなりに過ごしてゆくと
気づいたときにそれは渾然一体となり
一日一日の有意義な価値が薄れてしまう

一日一日の集積が
人生そのものであるから
出来ればその一日一日をしっかりと把握して生きてゆきたい

週末は
とろとろに疲れた体にリフレッシュを食らわす

土曜日でも7時には起床する

新聞に目を通し
軽く読書をする

9時を確認し
区民プールへ

いつもいるメンバーの中に
太った体を食い込ます

静かに歩く
何も考えることなくひたすら歩く

ただ単にプールを歩くにも
人それぞれ性格が出るものだ

ルールを守って列をなして歩いている中
強引に追い越して行く輩がいる

また知り合いか知らぬが
並走してあるき
でかい声でベチャベチャしゃべるオヤジがいる

みな社会の一員であるから
大人の判断で
彼らに注意なぞしない


ただ皆まゆをひそめんばかりの
迷惑を感じているのは
こちらにもヒシとわかる

不思議なもので
人間その生きざまが顔に出る

たかがプールでの些細なルール違反なれど
そのような輩の顔は
少しくいやらしさがにじみ出ていて
こんな顔は生理的に好きになれぬなどと感じながら
ゆっくりと歩き続けた

人間は社会の一員だ
人様に迷惑をかけて
己が欲求ばかり満たそうとする輩は
哀しいかな顔にでる
さもしく見苦しい
あのような顔にはなりたくない

プールを終えて
達成感を感じながら家路に帰る瞬間はいい

心地よい疲れは
仕事の疲れとはまた種類が違う

夏の日差しを浴びて
自転車のペダルを踏み込む

帰りしな近所の本屋さんに立ち寄る

自分のインスピレーションに聞きながら
書棚に目を通す

気に入れば買う

何冊か購入し
ゆっくり自転車で我が家を目指す

急ぐ必要などない
この瞬間を噛みしめたい

人間そんなに合理的に急いだところで
たかが知れている
知れているどころか何事かの秩序を歪める結果にもなる
ゆっくりといきたい

嫁と近所の中華で
坦々麺とチャーハンとビールで土曜のランチを頂く

ゆっくり帰り
家についたら本を読み
眠くなったら昼寝する


凛の国
前野徹

ルリボシカミキリの青
福岡伸一

シニアの読書生活
鷲田小彌太

宇宙を語る
立花隆

人間の関係
五木寛之


日曜の朝も同じく7時

新聞を読みながらヤクルトを吸う

窓をあけると
左に富士山右に建設中の東京スカイツリーが見える

本日も平和で何よりである
何かしら体を動かしたい

サウナスーツを着込んで
散歩に出かける

といえどやはり暑い

途中でへばって
家路にUターン

脱いだシャツの臭いこと

変な汗が大量に噴出

水のシャワーを浴びる

体力を回復すべく
昼食を大量に食らうと
自然発生的に眠くなる

ゆっくり睡眠のプールをたゆたい
目覚める

そろそろ選挙にでも行こうか

日本を壊さないでもらいたい

故に貴重な一票で
権利を主張せねばならない

2010年7月6日火曜日

ささやかな幸せ

朝7:00 起床

しっかり朝日が登ってくれている
本日も感謝である

いつものルーチンで
朝を起動する

水を飲み
ヤクルトを飲み
血圧の薬を飲み
血圧を測る

135/87
120/75

いい按配である

いつものようにipodを聴いて
満員電車で
自己の個性を極力省力化し
静かに揺られる

手前2駅で降り
しっかり夏の気候で
湿度の高い日比谷通りを歩く

帰りしな
なかなかない本が見つけられて
ささやかに幸せであった
うれしい!

ルリイロカミキリの青
福岡伸一

最近氏の著作を読み積んでいる

昨日も北海道で
【動的平衡】を発見
嬉しくて即購入

最近の読書

聖なる予言
ジェームスレッドフィールド

動的平衡
生物と無生物のあいだ
福岡伸一

宇宙への秘密の鍵
ルーシー&スティーブンホーキング

ふしぎなことばことばのふしぎ
池上嘉彦

昼 ざるそば さらだ
夜 ビール ハンバーグ弁当 みそしる 源氏パイ 柿ピー

嫁友人と飲み会
そんな時はひとり気楽なものだ

何事も偶然ではない

2010年7月5日月曜日

月曜日から北海道

朝6時に起床

羽田空港までのリムジンバスに乗り込む

向かう先は北海道である

毎月恒例の会議に出席のためだ

データやNETが普及しているが
やはり月に一度は直にあって情報交換することが必要である

バスにのりながら
意識が覚醒してゆき
午前中にやらねばならないことを思い出す

飛行場はチケットレスでチェックイン
そのままラウンジに向かい
パソコンを開く

手配しなければならない項目を作成し
モバイルで飛ばす

いやはや便利になったものだ

飛行機を降りて
携帯でメールをチャックすると
ご依頼のもの手配完了しましたと返信が着ていた

なんとも早いものである
ありがたい

とはいえ
意識の中では
生物の動的平衡のことを最近は考えたり読んだりしている

そのロジックからすると
人生ゆっくり行きましょうということであるが
なんとも実際やっていることは歯車のように
ギクシャクしていて
しっくりこない

会議を終え
ひとしきり札幌で仕事をこなし
JALのマイルを使用し
おみやげをしこたまかいこむ

白い恋人とじゃがポックル

もちろん仕事でいっているため
だれにわたすでもない

自分たち家族でいただくのである

ゆっくりと着実に生きるということを営んでゆこう

2010年7月4日日曜日

しばし休息

第一Qの決算が終わり
ようやく一区切りである

最近は四半期決算で
なんやかんやと忙しい

もう少しゆっくりと腰をすえて
事業ができないものだろうか

そんなカンジでへとへとになった心身に
一服の清涼剤とうことで
真鶴の旅館に
一泊二日でリセットしに行った

古い旅館のうりは
部屋ではない

風呂と飯である

夕方四時頃着くなり
ゆっくり1時間ほど
大浴場にて塩辛い汗を流す

半身浴をしながら
自らの立ち位置を反省しつつ
じっくりと汗を流す

静かに考える

部屋にかえり
吹き出す汗をぬぐいながら
キンキンに冷えたビールを
一気にあおる

くーっ
なんともいい

ゆっくり部屋にてくつろいでいると
ノックを叩く音が響く

古いホテルらしく
部屋のドアが鉄板で
ノックも不必要にでかい音でこだまする

中居さんが
次々に運びこんでくる

カサゴの天ぷら
かぼちゃの煮つけ
コーンポタージュ豆腐
お通し三種
焼き魚
ほかほか
そして

巨大な舟盛り
でかいの~ でかい


ビールと一緒につまみを食らう

畳の古い部屋で
海のさちの幸せにしばし時間を過ごす

こんな時間は必要である

確かにコストはかかる

しかし必要なコストは
十分にかけるべきである

人間 そんなに計算通りに行くわけでもなく
単純ないきものである

自分たちにそれなりのご褒美を与えながら
それなりに生きてゆくのである

夏の蒸し返す匂いが鼻をつく

ああまた夏がくる

元気に乗り越えるためには
それ相応の栄養を摂取せねばならない