生きている中で
いろいろなことがとても素晴らしいが
その中の一つに
気の合う仲間たちとの酒盛りがある
うまいと評判の店を誰かが見つけて
よしのったとついてくる
その時点で
みないい大人たちであるにもかかわらず
己が貴重な時間をその仲間たちとの
シェアのために、
ある意味供しているのである
つまるところ自分本位につかえたであろう
貴重な己が時間を犠牲にして
仲間との会食に時間を費やすのである
うまいと評判の店に
男どもが連れだって電車を乗り継いでゆく
ほほえましくも滑稽な絵姿で
何ともいい
串カツをくらう
いっしょにあおるのはもちろん生ビールである
何ともうまい
うまいうまいと意味もなく連呼しながら
なんとも他愛もない事柄に
互いの口舌も滑らかになる
そんな光景は赤の他人様から見たら
それこそ他愛もなさそうな
何とも無機質な時間の連続に見えようが
当の本人等にとっては
ところがどっこい
極上な時間のたゆたいに相違ない
こんな時間を共有して
みな己が生活圏に
立ち戻ってゆく
人生はそんな道草をしながら
たゆみなく歩いていく
道程に違いない
そんな風にして
気付いたら
満足な気分で終焉を迎えた
ということでありたい
春は享楽と同時に終わりをも感じさせる季節である
そんな気分を切ないと表現するのは
適切であろうか
2010年3月23日火曜日
2010年3月22日月曜日
土曜日のコンサート
土曜の夜に
コンサートに行った
卒業をテーマにした内容で
出演者は複数のアーティストである
渡辺美里を初めてナマでみた
いいねえ
うまい
彼女の透き通る声できく
名曲は
心に沁み入り
目頭が熱くなる
それぞれに自分の思い出と
重ね合わせながら
静かに旋律に身を任せる
歳をとった夫婦が
精一杯拍手をしていた
照明に照り返されたおばさんの瞳が
輝いていたのは
涙が反射したからに相違ない
槇原敬之くんの歌もいい
やはり来たね
どんなときも
みんな合わせて歌っているねえ
みなが旋律に合わせて腕を左右にふっている
我々の前の座席に来ていたのは
頭の毛も薄くなったおじさんである
おじさんは一人で来ていた
紙袋のバックは
何が入っているのか
けっこう膨らんでいる
そんなおじさんが
ひとりで
左右に迷惑をかけぬよう
細心の注意を配りながら
慎重に音に合わせて
腕をおもむろに上げた
左右に振り始めた
そんな光景も
何かしらほほえましく
歌というものが我々の生活にとって
とてつもなく大きな影響を与えているのであるなと
家人と二人感じ入った
ひけた後は
中野の飲み屋街を冷やかした
中野は古い町だけあって
自分らの年代のひとに
あいそうな酒場が多数混在していた
そんな土曜日の夜
人生とは素晴らしきかな
と感じた時間であった
コンサートに行った
卒業をテーマにした内容で
出演者は複数のアーティストである
渡辺美里を初めてナマでみた
いいねえ
うまい
彼女の透き通る声できく
名曲は
心に沁み入り
目頭が熱くなる
それぞれに自分の思い出と
重ね合わせながら
静かに旋律に身を任せる
歳をとった夫婦が
精一杯拍手をしていた
照明に照り返されたおばさんの瞳が
輝いていたのは
涙が反射したからに相違ない
槇原敬之くんの歌もいい
やはり来たね
どんなときも
みんな合わせて歌っているねえ
みなが旋律に合わせて腕を左右にふっている
我々の前の座席に来ていたのは
頭の毛も薄くなったおじさんである
おじさんは一人で来ていた
紙袋のバックは
何が入っているのか
けっこう膨らんでいる
そんなおじさんが
ひとりで
左右に迷惑をかけぬよう
細心の注意を配りながら
慎重に音に合わせて
腕をおもむろに上げた
左右に振り始めた
そんな光景も
何かしらほほえましく
歌というものが我々の生活にとって
とてつもなく大きな影響を与えているのであるなと
家人と二人感じ入った
ひけた後は
中野の飲み屋街を冷やかした
中野は古い町だけあって
自分らの年代のひとに
あいそうな酒場が多数混在していた
そんな土曜日の夜
人生とは素晴らしきかな
と感じた時間であった
これまでもこれからも
四国に赴き
せとうちの波濤を超えて
広島に赴く
その土地土地の人々と
仕事を通じてという前提はあるものの
日本語という共通言語を通じて
意思疎通を行う
出雲に赴き
山陰地方にて活躍いただいている
人々と旧交を暖めあう
ときに沖縄に赴き
仕事の合間を縫って
沖縄の歴史に厳然と刻み込まれてきた
戦争の痕跡と
その戦争を二度と起こしてはならぬという
強い決意を表す記念碑を弔う
仕事を通じて過ぎゆきていった
この数年間の間に出会えた人々とも
思い返してみれば
最初があったはずだし
その最初の邂逅は
実はそれほど円滑でもなかった
第一印象という
何とも難しい才能のようなものは
自分にとっては
どちらかといえば他の人さまと比べて
決して優等なものではなく
むしろどちらかといえば
むさくるしい風貌ゆえに
劣等の烙印を押されてもいたしかたない
そんな自分にとっても
今になってしまえば
その周りにいてくれた幾多の
知人となってくれた人々は
かけがえのない
別れがたい存在になってしまっている
地方地方の独自の風土を残しながらも
日本人という共通の歴史と価値観を
共有するわが日本という国土は
その人々もそして
その人々をはぐぐむ土地土地も
どちらともかけがえなく
美しい存在に感じられて
仕方がない
そんなことを
自分も一人の日本人として
しっかりと感じ入りながら
新しい土地に赴かねばならない
四月は新しいことを始める月なのである
せとうちの波濤を超えて
広島に赴く
その土地土地の人々と
仕事を通じてという前提はあるものの
日本語という共通言語を通じて
意思疎通を行う
出雲に赴き
山陰地方にて活躍いただいている
人々と旧交を暖めあう
ときに沖縄に赴き
仕事の合間を縫って
沖縄の歴史に厳然と刻み込まれてきた
戦争の痕跡と
その戦争を二度と起こしてはならぬという
強い決意を表す記念碑を弔う
仕事を通じて過ぎゆきていった
この数年間の間に出会えた人々とも
思い返してみれば
最初があったはずだし
その最初の邂逅は
実はそれほど円滑でもなかった
第一印象という
何とも難しい才能のようなものは
自分にとっては
どちらかといえば他の人さまと比べて
決して優等なものではなく
むしろどちらかといえば
むさくるしい風貌ゆえに
劣等の烙印を押されてもいたしかたない
そんな自分にとっても
今になってしまえば
その周りにいてくれた幾多の
知人となってくれた人々は
かけがえのない
別れがたい存在になってしまっている
地方地方の独自の風土を残しながらも
日本人という共通の歴史と価値観を
共有するわが日本という国土は
その人々もそして
その人々をはぐぐむ土地土地も
どちらともかけがえなく
美しい存在に感じられて
仕方がない
そんなことを
自分も一人の日本人として
しっかりと感じ入りながら
新しい土地に赴かねばならない
四月は新しいことを始める月なのである
何事もただ生きてそこに在るだけ
高知の桂浜には始めて行った
太平洋を真向かいに
がっぷりヨツで対峙する感じがして
大いなる波濤に一人たたずむと
己が胸の内にある静かな炎が
ほのかに再燃する感じがして
何時しかこぶしをきつく握りしめていた
後ろを振り向き
はるかに望むと
龍馬像が胸元に手をやり
茫洋として海を直視し
何かしらささやきかけるようである
静かに桂浜にたたずむ
いろいろな想念が
去来しては
去りゆく
あたかも打ち寄せてはひきゆく
白波のようだ
といえどこのような
何かしら胸に熱く感じ入ることは
実はこちら側の
勝手な想像にすぎないといえなくもない
淡白にいってしまうと
桂浜といえどそのありようは
実は幾多ある陸と海の境界線にすぎない
そこには何らかの形而上的なものは
片りんすら存在しない
ただそこに砂浜と海が在るだけなのである
そんなことを静かに感じ始めると
世のことどものことも
もしやと
思われはじめた
たとえば
高知という一つの地域にいったとしても
こちら側に何の想いいれもなければ
そこは単なる日本の一田舎地域でしかありえず
よもや東京の人工的な文明都市と比較でもしようものなら
何ともつまらない場所としか
感じられないに違いない
龍馬脱藩の道とて
冷静に眺めれば
実は太古の昔から変わらぬ
森林の一つにしか過ぎえず
そこに何らかの思い入れを観じ
その山川草木に形而上的な意味合いを付与するのは
実はそれを観る人側の方にこそある
となれば隣で見ている
外国の夫人が感じている林道と
私が見ているその林道は
その外観はもしや同じだと譲るにしても
その意味合いはおそらく雲泥の差であるに違いない
そうとなれば
そこに意味するものは
あたかも銭湯にある水風呂のごとし
と言わざるをえまい
何事もそこにただ生きて在るだけなのである
そこに意味合いを付与しうるのは
そこに立ちいるその時々の人の感興にすぎない
桂浜は龍馬のときから泰然として在ったであろうし
それは今も変わらずに在るにすぎない
伊予の松山にしたところで
そこにある自然や人工物の姿かたちは
そこにただ泰然と在るにすぎない
それを感じ入るこちらの側の気量次第で
いかようにもその意味合いは光彩を発揮するのである
物事のありようなぞは
何事もこちら側の思い入れいかんである
善悪も含めて
こちら側の裁量に全面的にゆだねられている
としたら
何かしらから恐ろしい感じがしないではないが
むしろ翻って考えてみると
こちら側に無限の力が与えられている
ということでもあり
そうと感じ入ればいるほど
何事に対してもモノの見方というものを
自在に変化させてみようと
少しくやんちゃな想念すら浮かんでくる
人生やはり捨てたものではないのである
太平洋を真向かいに
がっぷりヨツで対峙する感じがして
大いなる波濤に一人たたずむと
己が胸の内にある静かな炎が
ほのかに再燃する感じがして
何時しかこぶしをきつく握りしめていた
後ろを振り向き
はるかに望むと
龍馬像が胸元に手をやり
茫洋として海を直視し
何かしらささやきかけるようである
静かに桂浜にたたずむ
いろいろな想念が
去来しては
去りゆく
あたかも打ち寄せてはひきゆく
白波のようだ
といえどこのような
何かしら胸に熱く感じ入ることは
実はこちら側の
勝手な想像にすぎないといえなくもない
淡白にいってしまうと
桂浜といえどそのありようは
実は幾多ある陸と海の境界線にすぎない
そこには何らかの形而上的なものは
片りんすら存在しない
ただそこに砂浜と海が在るだけなのである
そんなことを静かに感じ始めると
世のことどものことも
もしやと
思われはじめた
たとえば
高知という一つの地域にいったとしても
こちら側に何の想いいれもなければ
そこは単なる日本の一田舎地域でしかありえず
よもや東京の人工的な文明都市と比較でもしようものなら
何ともつまらない場所としか
感じられないに違いない
龍馬脱藩の道とて
冷静に眺めれば
実は太古の昔から変わらぬ
森林の一つにしか過ぎえず
そこに何らかの思い入れを観じ
その山川草木に形而上的な意味合いを付与するのは
実はそれを観る人側の方にこそある
となれば隣で見ている
外国の夫人が感じている林道と
私が見ているその林道は
その外観はもしや同じだと譲るにしても
その意味合いはおそらく雲泥の差であるに違いない
そうとなれば
そこに意味するものは
あたかも銭湯にある水風呂のごとし
と言わざるをえまい
何事もそこにただ生きて在るだけなのである
そこに意味合いを付与しうるのは
そこに立ちいるその時々の人の感興にすぎない
桂浜は龍馬のときから泰然として在ったであろうし
それは今も変わらずに在るにすぎない
伊予の松山にしたところで
そこにある自然や人工物の姿かたちは
そこにただ泰然と在るにすぎない
それを感じ入るこちらの側の気量次第で
いかようにもその意味合いは光彩を発揮するのである
物事のありようなぞは
何事もこちら側の思い入れいかんである
善悪も含めて
こちら側の裁量に全面的にゆだねられている
としたら
何かしらから恐ろしい感じがしないではないが
むしろ翻って考えてみると
こちら側に無限の力が与えられている
ということでもあり
そうと感じ入ればいるほど
何事に対してもモノの見方というものを
自在に変化させてみようと
少しくやんちゃな想念すら浮かんでくる
人生やはり捨てたものではないのである
2010年3月7日日曜日
武者小路
武者小路実篤の本は
確か高校生か浪人の時に読んだことがあった
むろん彼の代表的な作品である
【友情】と【愛と死】
である
どちらの作品も青春の一点景を
描いていて
何とも心に響いてくる
久しぶりにひもとき
確かにそんな心の高ぶりは過去の自分の中にもあったと
思い出した
人を好きになる時のその甘美さ
その時の運命のいたずら
恋愛と友情の相克
何とも何とも
そんな感じである
確か高校生か浪人の時に読んだことがあった
むろん彼の代表的な作品である
【友情】と【愛と死】
である
どちらの作品も青春の一点景を
描いていて
何とも心に響いてくる
久しぶりにひもとき
確かにそんな心の高ぶりは過去の自分の中にもあったと
思い出した
人を好きになる時のその甘美さ
その時の運命のいたずら
恋愛と友情の相克
何とも何とも
そんな感じである
バランス
最近想うことにバランスがある
この世のなか実はいかなることにも
バランスがしっかりと
厳密に働いているのではないだろうかと
ばくぜんとながら感じている
上があり下がある
右があり左がある
善があるから悪もある
陽があるから陰がある
飲み過ぎて楽しいひと時の後は
孤独な二日酔いの苦しみがある
おいしい食べすぎがあれば
苦しい胃痛がある
調子がいい時があれば
調子が悪い時がある
いずれがいいかは
その時のその当事者に
選択が委ねられてはいるが
少なくともその状態が恒常的には続かない
暗ければ明るさがある
何ともこの世の神様は
よく作ってくださっているようである
となれば
調子よくバクシンしているときは
そのあとに来る停滞期を予測しなければならないし
逆に停滞期が続いているときでも
いずれ逆転の時が来ると
前向きに考える必要がある
人間の運命などというものも
考えてみれば限りなく脆弱なもので
実は個人的な力ではどうしようもない
何かしら大きな力で
ある方向に運営されているようでもある
結論めいたことはないが
いずれにしてもこの世のなかは
しっかりとバランスがとられているようであると
最近感じているのである
この世のなか実はいかなることにも
バランスがしっかりと
厳密に働いているのではないだろうかと
ばくぜんとながら感じている
上があり下がある
右があり左がある
善があるから悪もある
陽があるから陰がある
飲み過ぎて楽しいひと時の後は
孤独な二日酔いの苦しみがある
おいしい食べすぎがあれば
苦しい胃痛がある
調子がいい時があれば
調子が悪い時がある
いずれがいいかは
その時のその当事者に
選択が委ねられてはいるが
少なくともその状態が恒常的には続かない
暗ければ明るさがある
何ともこの世の神様は
よく作ってくださっているようである
となれば
調子よくバクシンしているときは
そのあとに来る停滞期を予測しなければならないし
逆に停滞期が続いているときでも
いずれ逆転の時が来ると
前向きに考える必要がある
人間の運命などというものも
考えてみれば限りなく脆弱なもので
実は個人的な力ではどうしようもない
何かしら大きな力で
ある方向に運営されているようでもある
結論めいたことはないが
いずれにしてもこの世のなかは
しっかりとバランスがとられているようであると
最近感じているのである
2010年3月4日木曜日
時に涙を流したくなる
昨年末に放映された
スペシャルドラマ【坂の上の雲】の主題歌は
【stand alone】
という題名である
この題名を目にするだけで
何かしら目頭が熱くなるのは行き過ぎだろうか
往時
野蛮極まりない列強に取り囲まれた
処女のごときかよわき我が国の
わが先祖たちが
その善悪は棚上げして
その時のいわゆる常識に沿おうと
精一杯生きた明治の時代
【自立】という
文字通り己が両足だけで
この大地の上にしっかりと立ち上がり
野蛮なる力だけもつ他からの凌辱に健気なまでに
立ち向かおうとしたこの国
Sarah Brightmanの歌声が
心に響くとき
静かに涙がこぼれる
そんなとき
自分の疲れ果てた心が
すっかりと洗い流されるような感じがして
とても爽やかな気分に包まれる
そんな
坂の上の雲
時間がある時に繰り返し観ている
スペシャルドラマ【坂の上の雲】の主題歌は
【stand alone】
という題名である
この題名を目にするだけで
何かしら目頭が熱くなるのは行き過ぎだろうか
往時
野蛮極まりない列強に取り囲まれた
処女のごときかよわき我が国の
わが先祖たちが
その善悪は棚上げして
その時のいわゆる常識に沿おうと
精一杯生きた明治の時代
【自立】という
文字通り己が両足だけで
この大地の上にしっかりと立ち上がり
野蛮なる力だけもつ他からの凌辱に健気なまでに
立ち向かおうとしたこの国
Sarah Brightmanの歌声が
心に響くとき
静かに涙がこぼれる
そんなとき
自分の疲れ果てた心が
すっかりと洗い流されるような感じがして
とても爽やかな気分に包まれる
そんな
坂の上の雲
時間がある時に繰り返し観ている
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