2009年3月29日日曜日

スーパーでの社会考察

食品スーパーの良し悪しの
評価はいろいろあって一概に判断はできない

ある人は価格に求めるであろうし
品揃えに求める人もあるだろう

鮮度に求める人もあるだろうし
接客に求める人もあるだろう


日曜の朝は
半ばルーティンの様に
近所のスーパーに買い物に行く

なにげなく車を駐車し
入り口に向かい
いつものような店頭の山積みを一瞥した

行楽用の使い捨ての紙の皿や
割りばし ペットボトルのジュースが
山積み展開されていた

はたと思った

そうか 花見だよな
花見を店頭から誘発する意図なのか

それとも花見に行こうとしている人が
その求めているものを
容易に求めやすいように
目立つ店頭に展開しているのか

そんなことはどちらでもいいが
自分なりに
【なるほどっ!】と
改めて感じいったのである

よいスーパーは
お客さんの環境を考えて
お客様のニーズを予測し
それに応じて品ぞろえに
微妙な変化を与えること


自分自身は花見なんて
寒いことでもあるし、
まだ先のこと
と思い込んでいたが
その店頭に接し
何かしら野外でおおらかに昼食を
とりたい衝動に駆られた

考えてみると
人間が社会を構成している以上
季節に応じた行事というものは
数限りなくある

消費というものも
所詮その人間が消耗する商品の
金銭との対価としての受け渡しである以上
その行事に大きく左右されることは
言うまでもない

季節に応じた行事に敏感になるのは
社会に接する面に比例するはずである

うちは幸か不幸か
子供がいないので
通常の4~5人の家族と比べると
社会と接する面が物理的に少ない

春の花見や入進学
ひな祭りに五月の節句
運動会や遠足・・・・・

その折々に季節感を彩る
人間だけが社会の中で執り行う行事

その行事と密接に関連する消費

さてもこの世の中を構成することどもは
実はいろいろな局面で
いろいろな密度で
連環しているのであるなと
ふと想った


スーパーの中では
お年寄りが多かった

私がポケットに手を入れながら
食品を物色していると
カートを押しながら
渋滞しているおじさん同士に
挟まれたりして難渋した

そんなオジサンやオバサンたちは
店頭に響く有線を通じて
今はやりの最新ヒットナンバーを
聴くとはなしに耳に入れながら
買い物に励んでいる

またまた勝手に感じたのであるが
実は私のような日常、
会社に行っているような立場よりも
彼らおじさんおばさんのほうが
実は時代を敏感にキャッチしているのかも
知れないと思い知らされた

店頭には
その季節に応じた旬のものが
陳列されているし
その陳列されたものを
最新のヒットチューンを聴きながら
物色するのである

自分ももっと社会を見るべきであるな
と感じた次第だ

人間というものは
買い物というものが
つくづく好きなのであるな

物色しているおじさんの眼光の鋭さを
目の当たりにして
少しぞっとしたりした

セレンディピティー

人間の生活の中で
意外と大切なのに
セレンディピティーといことがあるらしい

Serendipity:
the natural ability to make interesting or valuable discoveries by accident


ようは意図していたこととは
反して
予想外に幸運に巡り合うこと

のような意味らしい

しかし
そのセレンディピティーに遭遇するためには
前提がある

●行動すること
●気づくこと
●受け入れること

確かにそうである

常に何かを求めて
思考していると
思わず予想外のことからひょんなことに
気づくことがある

気づいたとき
自分の稚拙な考えと
形が違う場合
拒絶していたら
それこそ入っては来ない

行動し
気づき
受け入れること

そんな概念をひょんなことで知ったのだ

それこそ実はセレンディピティーで
ひまにまかせて
適当なテーマの本を
パラパラと読むことも
実は人生の過程にとっては
大いに大切なことだと思った

では
そんなヒントを求めて
これから陽気でもあることだし
軽く散歩でも出かけようか

2009年3月27日金曜日

とても小さなみち

幼少の頃の積み重ねは
人間の心の奥底に
明確に刻印されるものだとつくづく思った

先日ごくわずかな帰郷の折
朝 往時の通学路をなにげなく歩いてみた

とても小さい田舎道である
軽自動車すら通ることのできない
とてもとても小さな杣道である

かれこれ30年近く昔に通った道である

そんな道を歩いた

ここを曲がった奥に誰それの家がある
彼の幼いあの笑顔・・・・


ここからあえてまがって
近道をしたあの時

心の小さな傷として残っている
友人とけんかをした場所

無視してしばらく口を利かずに
なんとなく釈然とせずに通った道


雨の時の通りにくさ
晴れた日の爽快さ

いろいろなことが克明に
今の心によみがえってくるのである

当然のことながら
記憶というものは
実際の形はない

その人の心の中だけにある

今回の自分の小さな田舎道での記憶も
当然のことながら
自分の中だけの記憶である

しかしながら克明に
映像として
自分の脳裏によぎるのである

そもそも映像や音声
その他人間が実際に知覚できることは
信号である

デジタルだと1と0の組み合わせの
信号である

そんな信号のように
自分自身の中では
明確なように思われながらも

といえど誰に説明し
同意を求めようにも
自分の脳裏の中だけのことで
再現不能のこの記憶


とてもとても短い散歩の時間に
自分の脳内のある部分においては
往時の記憶があまりにも鮮明に蘇り
しばし自分一人
その道の真ん中で
茫然と立ち尽くしていた


すこし照れくさいような
それでいて
なんとなく思い出したくないような


何とも説明のしようもない
そこだけくっきりとくりぬかれたような
形容しようもない体験であった

そんな感じで
幼少の頃の体験は
その人の成長の中に
良し悪しは別として確実に刻印されていると
実感したのである


あの時は何気なく通っていた
そんな道ですらそうである

とすれば
今 このときも
これからの後の人生に
しっかりと刻印されるはずである

とすれば
やはり意識して
精一杯生き抜いていくことに
しくはないはずである

そろそろ寝よう

三月ももう少しで・・・

身の回りを見渡してみると
少しずついろいろなことが
変化しているのに気づく

今少し寒い中
桜のつぼみが少しづつ胎動し始め
うすピンク色に色づき始めた

考えてみれば
三月という月は健気な月だと言えなくもない

日本においては
いろいろなことが
四月から新しく始まる

その中で三月というのは
いろいろなことを総決算する月である

華やかさは四月に譲りつつ
翌月からの円滑なスタートのための
地味でありながら
非常に大切な月なのである

考えてみると
自分にもそれなりの節目があり
その節目は当然ながら
三月だった

まだ人生なぞという言葉もしらない
かわいげな幼少のころにも
親しくしていた人との別れが
否応なしに訪れ
初めて別れというものが
悲しさを伴うということを知ったりした


そんなとき自分の幼さは
その切ない気持ちを的確に表現できず

そこに
優しい歌がそのやわらかな旋律とともに
補ってくれて

【自分のこの切ない気持は
        まさにこの歌の通りだ!】
なぞと云って
カセットテープに録音し
擦り切れるまで聴いていたりした


そんな風に歳月を重ね
人はいつの間にか大人になっていくのであろうし

そのことは
今の若い人たちとて
それほど変わるはずもないはずだ

そんな甘酸っぱい
節目をへて人は
ハバのようなものも身につけるのだと思う


ともあれ
三月である

今少し肌寒い風が
吹く中で
それでいて
桜が日に日に芽吹いてくる

そこに
何とも日本的な情緒らしきものも
感じるし
そんな日本人はやっぱり悪くない


もう少し暖かくなったら花見としゃれこもう

2009年3月22日日曜日

薩摩みち

飛行機にての移動は仕事柄慣れている

しかしながら自分の郷里行きの飛行機に乗ると
やはり何かしらいつもとは違う

大勢の乗客が
何かしら自分と
つながりのある人たちのように感じられ
いつしか不自然な笑顔で眺めていたら
怪しいものでも見るような眼で
いぶかしがられた

少ない連休を利用して
久しぶりに鹿児島へ帰った

短い連休にもかかわらず
鹿児島行の飛行機は
満席である

よしよし
田舎に金を落としてくれ!


3月にもかかわらず
夏日かと思うほどの
陽気である

鹿児島空港に到着すると
そこの空気を吸うだけで
目頭が熱くなった

【そんな歳をとったわけでもなかとに・・・】

鹿児島では
ひとあし先に行っていた嫁と
甥っ子姪っ子が迎えに来てくれていた

よしよしかわいいの~
やはり自分の領域の人々は
かわいいのである

人間はその出自を越えられない

鹿児島空港からは
レンタカーである

高速はあえて乗らず
した道で鹿児島市へ向かう

溝辺から加治木
加治木から姶良へ

道が
自分が知っている道ではなくなっている

整備されているのである
薩摩も進化しているのであるなあ

そのまま父親の眠る
坂元の墓へ向かう

【自分が今あるのは
 ご先祖様のおかげなのだよ・・】

そんなことを小さいとき
お墓参りでお花の水を変えながら
父親に諭された


確かにそうだ
この人がいなければ
今の自分は確実にない

血の連綿とした流れというものを
最近とみに思う

そんなお墓から
ふと仰ぐと桜島が見える

桜島はいつも見守ってくれているのだ

坂元から母方のご先祖様が眠る
草牟田の御墓へ

ここは往時
政府側が薩摩にあるその弾薬庫から
武器弾薬を運び出そうとしたとき
私学校の若者どもが襲った場所だ

ここから日本最後の内戦である
西南の役は勃発したといってもいい

草牟田弾薬庫跡という碑が
御墓の入り口にあった


そんな草牟田のご先祖にも
手を合わせる

いま思い出すと
小さい時から
お墓参りは
坂元と草牟田はセットであった

ということは
両親はきっちりと平等に
お互いのご先祖様を敬い
そこに引き継がんとする自分の子供らに
しっかりと手を合わせさせていたのだ

草牟田にすむおばちゃんへ
お土産を持っていく

お茶をいただきながら
いつの間に80歳になったという話を聞く

人間はいつの間に歳月を重ねるものだし
そして連綿とつながっていくのだと
改めて感じ入った

自分の母親が住んでいるのは
坂の上である

坂の上の朝を散歩した
幼少のころ通った通学路は
その道を挟む家並みは当時と全く変わっている

しかしながらその杣道だけは
昔と全く変わらず
その風景を残している

この道を幾人の人の足が
踏み越えていったのだろうか

春の朝
その杣道沿いにさく菜の花の景色は
幼少のころ
家路に帰る時に観た風景と
全く変わらなかった

朝の薄暗い道を先まで進むと
パッと開けるところがある

そこから
噴煙をくゆらす桜島が笑った


当然のことながら
人はその起源がある

ながい人類史的なことは
わからない

が、単純に
生活に密着した素朴な感情として
自分の原点は
自分の郷里にあるという感覚がある


私の場合は鹿児島である

久しぶりに
その小さすぎる自分の実家で
夜休んでいると

その部屋に何かしらご先祖様の
空気が充満しているような感じがした

恐怖とかとは全く次元の異なる感覚で
守ってもらっている安心感でいっぱいになった

そんな感覚の中
自分は希望したら何でもできるはずだと
何かしらとても満たされた感覚に包まれながら
気付いたら朝を迎えていた

人は
故郷を越えられない

薩摩なまりを越えられず
薩摩風のこいくちの顔は一生続く

といえど
故郷が力を与え続ける

今回の短い帰郷では
いつもと同じように
申し訳ないほどの力をもらった

2009年3月11日水曜日

人を超えるもの

この世において自分が人である以上
人という存在を度外視して
物事を客観的に観るということは
つまるところできそうにない

たとえば
自分の故郷の鹿児島という場所も
所詮は人間というよりも
日本人が勝手に名称をあたえた
土地にすぎないし


単なる土の隆起に
桜島なぞという名称を付け
そのはて
何かしら形而上的な観念を
自分の中で勝手に拵えてしまう


わが胸の燃ゆる想いにくらぶれば
煙はうすし桜島山


こんな詩に何かしら
熱いものも感じるのも
しょせんのところ
自分が人間であるからである

というよりも日本人
もっといえば
薩摩人のはしくれであるからである


富士山であっても
そのあでやかな景色も
人間の勝手な観念が
美しいとこじつけているだけで
たとえば富士のふもとに
息づいているであろう鳥や獣は
はたしてその景色に美などを
感じているであろうか


なにもそんなに哲学的に
考えることもないが
所詮人間を超えることはできないな
とふっと感じたのである

自分には
手は当然のことながら
二つしかないし
足だってそうである

目だってそうで
仮にリスクヘッジのために
目が三つとかあった日には
おそらく人間社会においては
円滑に生きていくことは
できそうにない

多額のお金と
多くの時間を費やして
外面的に着飾ったところで
しょせんのところ
彼らも両手両足を越えられぬ人間なのだし
それらと自分とをへだてている壁は
実はそれほど高くはないようである

仮に異星人がいたとして
彼らの立場からは
この人間界では
限りなく美しい人に対しても
異性としての愛情を持ち得ようもないし
そのことは
カバの雄雌が求愛しているところをみて
われわれが
そのメスのカバのどこがいいのか
といぶかしがることを見れば
一目瞭然である

この地球は
実のところ
人間が消滅したら
その瞬間に消滅してしまう

実はこの世のすべては
人間が勝手に
幻影として構築した
人間だけに通用する世界にすぎない

なんぞという主義を
哲学の誰彼が唱えたようだ
と若い時
若さに任せて
具体的なことはなにもしていないくせに
抽象議論に明け暮れた秋があった


今の世界を見るとどう観ても
人間の世界を超えない

そこに何かしら突き抜けて
解決する糸口のようなモノが
見えそうにもない

ここまで来たら
いっそのこと
宇宙人でもきてくれて
抜本的に改革を導入してくれたら
なぞとまたまた
人間中心の理想を追いかけはじめた


実はその宇宙人のような
働きかけをしてくれているのが
人の介在を断固として許さない
自然の天変地異なのだろうか


とまれ
何かしら突き抜ける感覚がほしいのである


昔から考えていることの一つに
人間は実は
瞬間移動できるのではないかということである

だって
たとえば私はいまのいま宇宙のことを
概念として夢想することができるし
その刹那
確かに私の想念は地球外に
瞬時に移動しているような感覚がするからである

さてさて

わけのわからぬことなぞ考えず
早めに寝やんせ

2009年3月10日火曜日

最近も相変わらずですなあ

この稿は言うまでもなく
誰かの役に立ってもらうなどという
そんなじょうとうなものではない

あくまでも
恐ろしく個人的な
よしなしごとをつづった文章である

であるから内容的には
あくまでも個人の身体髪膚に関することに
ついて気楽につづっていくつもりである


そうとはいいながら
マスコミを通じて目に入る
今の国政を預かる人々の愚劣さ加減はどうであろう

今は21世紀である
明治や大正、昭和を駆け抜けた幾多の人々が
輝く未来として夢見た21世紀である

その日本の国土は
当然のことながら
今突然降ってわいたような
軽はずみな国土ではない

神武天皇以来連綿ととだえることなく
営んできた日本国土なのである

今の政治家の方々は
どんな心境で
今の国家経営に
いそしんでおられるのであろうか

専門家ではないから
個々の事象をあげつらうつもりもないが
それにしてもどうであろう

威厳が政治をするわけでもないが
威厳のかけらもなさそうである

この人は!という
無私さ 清廉さ 気高さ
そして頼もしさ
まったくなさそうである


人の顔は
その生き方が如実に出るという

厳しく誠実な生き方を経れば経るほど
その顔は何とも神々しく
素敵になるという


できれば自分なぞも
素敵な顔になるべく
よい年を積み重ねてゆきたい


しかし個人的な意見とは
十分知りながら
今の日本の政治を担っている方々の
顔はどうしてもいい顔には見えない

醜くアブラッこい
とにかくいい顔ではない

この小さな日本国土が
国際社会の激しい荒波の中
よくもまあもっているものだと
自分も日本人の一人でありながら
ハラハラ恐ろしくなる

選挙というのが
民主主義の行き着いた
今の最善の方法とは認めるつもりだが

そんな選挙で
選ばれた人々の顔ぶれをみると
それを選んだ
日本の民度もたかが知れていると
揶揄されているようで
何とも怒りのこぶしはもっていき場もない

さてさて
自分は自分の立ち位置で
自分なりの修養をしてゆくしかない

国の行く末は
とても順風ではなさそうだ

2009年3月7日土曜日

松山



広島から四国への移動は
瀬戸内海がいい

瀬戸内海は
早春の陽光をうけ
穏やかにたゆたっている


それにしても日本列島というのは
本当にジャストフィットなサイズだと
最近すこぶる思う

大概の場所は
一日で移動が可能な
この国土の狭小さを思うと
時に可憐さを感じざるを得ないし

そんな手狭なサイズでありながら
その縦軸の歴史には
濃密な時間をたっぷりと擁している

なんとも愛らしく誇らしい
国土であることかと
今更ながらに
一人かんじいったものである

そんなことを想いながらの
瀬戸内海横断である


まだ春には程遠いが
デッキからそよぐ潮風がここちよい

途中 呉港に入港した
港の入り口に大和ミュージアムがある
建物のヨコに巨大な潜水艦があった

潜水艦というのは
当然のことながら
国土防衛のための
戦闘行為の巨大な道具である

そんなことを感じながらも
その巨大な雄姿に接すると
何かしら男の勇を鼓舞されるような感じで
その横腹をナデテみたくなった

そんなことをしながら
船足はいつの間にか
愛媛県 松山である

松山は言わずと知れた
漱石と子規の国である

坊ちゃんに出てくる温泉は
道後温泉がモデルである

時間に任せて
道後温泉でひと汗流す


松山が生んだ等身大の巨人は
漱石や子規と同時代人の
秋山兄弟である

そんな松山のことは
少し長くなりそうだから
追って少しずつ・・・・

広島

広島という場所は
私にとって
他府県とは幾分思い入れの度合いが違う

母親の妹が
広島大学に進学したせいで
物思いついた
最初の遠方旅行が広島であった

それ以上に
そのおばちゃんは
我々兄弟にはなんとも理解ある
初めての両親以外の大人で、
いつも甘えさせてもらっていた人であり

そんなその人と直接つながった
イメージがある場所であるだけに
広島という場所は
故郷の鹿児島に次ぐ
愛着ある場所なのである

そんな広島は
いまは仕事上良く行く場所である

先日仕事が幾分速くあがり 
広島の町を茫洋と歩いていた

いつとはなしに足は
広島平和公園に赴いていた

砂鉄が巨大な磁石に吸着するように
足はいつの間にか
原爆平和資料館に向いていた

この資料館に赴いたのは初めてではない
しかし
原爆の悲惨さを
資料を通じてとはいえ
改めて目の当たりにした

痛烈である
なんともひどい
こんな大惨事に遭遇することが
単に運命とは片づけられるわけもないし

なんとも心の底を
えぐられるようなかんじで
痛々しいまでの憐憫と同時に
もっていき場のない激しい怒りを感じた

それにしても
広島の人の奥ゆかしさは
その加害の当事国に対し
しっかりと
非難がましい声を
明確には発していないようなところにある

平和公園には
過ちはくりかえませぬから・・・と彫りぬかれた
原爆の碑が建てられている

主語が語られていない
この文言にたいして
誰の過ちなのか、
また過ちとはどういうことを意味するのか・・

主語を明確にせずとも
語りうる日本語だけに
解釈が漠然としていて

歴代の憂国の士が
憤るところはこの辺にあるようである

この大惨事は明らかに人災であり
人災というものは
明確な加害者がいるはずである

それがあたかも天災のごとく
原爆にあいました
という言い方をする

原爆の悲惨さを
また核兵器廃絶を後世に訴えている
その主張は痛いほどわかるが

それにしても
その加害者の釈明を
しっかりと求めないというのは
なんともやりきれないし

その辺に敗戦国という
厳然とした現実があるのか 
また国際政治の均衡のためという
なんとも危ういところがあるのか


国際関係と
過去の行動に対する
厳格な主張は別物である

長いもの巻かれんと
その長いものの行動に
おもねって
その非を主張しないのは
何とも痛ましい姿だ

その日は
広島のそんな重みに耐えられず
結局広島に宿泊することにした

夕刻の原爆に悲惨さを
身にしみて感じながらも
今の広島は明るく楽しいはずだし

そんな広島を
身近に感じたくて
いつも行く
お好み焼屋に赴いた

【イカ天 そば入り と 
 生 ソバはダブルで!】
いかにも
慣れてますよ然として
お好みのお好み焼を発注し
ひとり
広島のおいしさを味わった

播州赤穂

播州赤穂とは大仰な感じがする

たとえば鹿児島のことを
九州薩摩と呼称するようなもので
古格な響きがある

先日仕事の都合で
その播州赤穂へ赴いた

姫路で新幹線をおり
在来線に乗り換える
いつの間にか
時間感覚がまひしたような感じだ


電車は山道を貫き
いつの間にか
遥かなる田園風景に直面した

この風景は
おそらく昭和以前から
ほとんど変わっていないような感じで

日本の原風景は
今の時代でも
そこかしこに残っているのだと思って
何かしらうれしくなった

同時に
そんなことを思ってしまう自分が
何かしら少しいやらしくも感じた


自分も草深い田舎から
出てきた身であるにもかかわらず
少しの間、都会にて居住しただけで
何かしら都会人ぶってとでもいおうか
とても懐かしい感じがしたのだ

と言いつつも
歴史と直結した様な感じで
一瞬戦国の世を
垣間見たような不思議な感覚にとらわれた


赤穂と言えば
当然のことながら赤穂浪士である

日本人の庶民の心情には
何かしら訴えるような
四十七士の秘話は
長年観劇や映画で上演されてきたし、

それは日本人の
心情の琴線に触れ続けてきた

地元の人に聞くと
その播州赤穂地方は
往時四十七士が吉良邸に討ち入った日は
今でも義士の日と呼称し
学校などは公休となるらしい

なんとも歴史が息づいているような感じで
その流れで地場の呼称も
播州赤穂というのかと
一人納得できた気がした

なんとも古格な
歴史の血が脈々と流れる地名なのである

もちろん本当の理由なぞは
私にはわからない
勝手に感じ入っただけである