9月末と言えば
普通の企業では上半期の決算である
私もこの時期は
ご多分にもれず決算業務を
しこしことこなさなければならない
そんなとても忙しい時期にもかかわらず
仕事で
本日は高松の伊予三島へ
日帰り出張と相成った
時系列で本日の私の動きを・・・
午前5:30起床
6:16バス乗車
7:55羽田発高松行乗り込む
9:30高松着
霧の影響で一度着陸をあきらめ
再度上昇
轟音を唸らせながら
ようやく着陸
すこしシートベルトをきつくしめた
9:50高松空港→高松駅
10:47高松駅→伊予三島
12:00伊予三島の営業所着
きっかり6時間である
12:00仕事で本日会議するメンバーと食事
バナナダイエットの話でひとしきり盛り上がりながら
カキフライ定食をきっかりと食べ終わる
13:00会議開始
14:30営業所出発
14:51伊予三島発
16:15松山駅着
16:00松山駅→松山空港
17:55松山空港発
19:15羽田空港着
20:00自宅着
これもやはり約6時間である
本日は都合12時間の移動の出張であった
こんなに時間をかけて出かけていく必要性があるのだろうか
結論から言うと
あるのである
面と向かって情報を伝達すること
突き詰めていくと
組織で展開する仕事において
非常に重要なことは
コミュニケーションである
仕事は当然のことながら一人ではできない
出来るかもしれないが
その規模は正直ハナクソみたいなものだ
いろいろな協力者の時間
力、知恵を共同で運用しながらはじめて
ダイナミックな仕事を遂行することができるのである
自分の分身として
動いていただく人たちに
情報とモチベーション
現場での突発的なトラブルへの
対処に方法など
紙面でまた電話でのコミュニケーションには
やはり限界があるのである
体温を伴った面と向かった
信頼関係の上に立つ
お互いの情報共有が
どうしても必要なのだ
ということで本日は
四国への日帰り出張
楽しい一日だった
明日は本格的な決算業務だ
2008年9月30日火曜日
2008年9月29日月曜日
できれば丁寧に
人間が一日を生きていくということは
昨日発生しなかった何らかの作業を
自分という一個の人間を通して
この世の中に発生させているということでもある
生きるということは
一見無駄なことが多いように感じるが
実はそんなことはない
すべての営みは生のために
何らかの必要性があって
営まれるのである
何かを作業するという事実はあっても
人によってその結果は
それぞれに違っている
今まで自分がなしてきたことを
振り返ってみると
とても正気で思い出すことの
できないようなでたらめなことどもも
あったように思う
人生は無限のように感じられるが
当然のごとく有限である
私はいま39歳であるが
おそらくもう50年は生きることはできない
いやもしかすると
明日何か起こるかもしれない
明日とは言わないまでも
来年、再来年
とにかく無限ではない
確実に有限なのである
限りある貴重な時間なのである
人生は無常であり、不易流行なのである
その貴重な時間はどのように過ごしても
確実に刻まれていくのである
無限にある、なされなければならないことどもを
できれば慎重に取捨選択し
実行するといったん決断したことに対しては
できれば丁寧に実行していきたい
今の時代はすべてが早く過ぎ去っていく時代である
確かにスピードは重要である
タイミングというものが確かにある
しかし
やはり人生というものは
有限で唯一である
それゆえにとても貴重である はずである
その貴重さは
なかなか実感できない
実感できないが
できそうなことはあるような気がする
丁寧にことをなすということである
本を読む場合も
できればこれまでより取捨選択を
丁寧にしていきたい
歯磨きを丁寧にしていきたい
食事も殺生した生物に
感謝の念を抱きながら丁寧に食したい
景色を見る場合も今までより
5秒間だけ目をとめて丁寧に眺めてみたい
話を聞く時も
次の自分の発言を考えながら
適当に聞くのではなく
しっかりと耳を傾けて拝聴したい
できれば丁寧に
早朝の生活の始まりの音を
丁寧に聞きながら
限りある生を心から感謝して
一日一日を
丁寧に生き切っていきたい
昨日発生しなかった何らかの作業を
自分という一個の人間を通して
この世の中に発生させているということでもある
生きるということは
一見無駄なことが多いように感じるが
実はそんなことはない
すべての営みは生のために
何らかの必要性があって
営まれるのである
何かを作業するという事実はあっても
人によってその結果は
それぞれに違っている
今まで自分がなしてきたことを
振り返ってみると
とても正気で思い出すことの
できないようなでたらめなことどもも
あったように思う
人生は無限のように感じられるが
当然のごとく有限である
私はいま39歳であるが
おそらくもう50年は生きることはできない
いやもしかすると
明日何か起こるかもしれない
明日とは言わないまでも
来年、再来年
とにかく無限ではない
確実に有限なのである
限りある貴重な時間なのである
人生は無常であり、不易流行なのである
その貴重な時間はどのように過ごしても
確実に刻まれていくのである
無限にある、なされなければならないことどもを
できれば慎重に取捨選択し
実行するといったん決断したことに対しては
できれば丁寧に実行していきたい
今の時代はすべてが早く過ぎ去っていく時代である
確かにスピードは重要である
タイミングというものが確かにある
しかし
やはり人生というものは
有限で唯一である
それゆえにとても貴重である はずである
その貴重さは
なかなか実感できない
実感できないが
できそうなことはあるような気がする
丁寧にことをなすということである
本を読む場合も
できればこれまでより取捨選択を
丁寧にしていきたい
歯磨きを丁寧にしていきたい
食事も殺生した生物に
感謝の念を抱きながら丁寧に食したい
景色を見る場合も今までより
5秒間だけ目をとめて丁寧に眺めてみたい
話を聞く時も
次の自分の発言を考えながら
適当に聞くのではなく
しっかりと耳を傾けて拝聴したい
できれば丁寧に
早朝の生活の始まりの音を
丁寧に聞きながら
限りある生を心から感謝して
一日一日を
丁寧に生き切っていきたい
すべて自分にかえってくる
仕事をしていていつの間にか机の上が散らかっている
これも残しておかなければ
あれもまだ大切だと
いろいろとやり残したものが
中途半端に自分の周りに残っていく
掃除するのはめんどくさいし
仕事をやりおおせるのは気合がいる
ダイエットしなければならないと
いろいろな局面で感じることがある
英語もしておかなければと
考えることがある
でもいろいろな自分に対する言い訳をして
その場で安易な方向へ
自分を進めていってしまう
でもその局面局面で感じでいるのは
ほかでもない自分なのだ
そしてその時自分が感じたのは
自分のためを思って
感じたのに違いない
整理をしなければならない
机周りを整頓しなければならない
PCのファイルを整理しなければならない
自分の本棚を整理しなければならない
ダイエットしなければならない
英語をしなければならない
すべて自分に返ってくるのである
とても基本的で単純な法則だけれでも
自分の行ったことのメリットデメリットは
他の誰でもない
自分にそのまま帰ってくるのである
自分がその場限りの
言い訳をどんなにしたところで
そんなことは
他の人には全く関係ない
すべて自分に返ってくるのである
めんどくさいこと
きついこと
辛いこと
しんどいこと
頑張った先のそのことの利益を
真っ先に受けるのは
ほかでもない
自分自身なのである
よし
やる気をだして頑張ろう
すべて自分の快適な
人生のためではないか!!
これも残しておかなければ
あれもまだ大切だと
いろいろとやり残したものが
中途半端に自分の周りに残っていく
掃除するのはめんどくさいし
仕事をやりおおせるのは気合がいる
ダイエットしなければならないと
いろいろな局面で感じることがある
英語もしておかなければと
考えることがある
でもいろいろな自分に対する言い訳をして
その場で安易な方向へ
自分を進めていってしまう
でもその局面局面で感じでいるのは
ほかでもない自分なのだ
そしてその時自分が感じたのは
自分のためを思って
感じたのに違いない
整理をしなければならない
机周りを整頓しなければならない
PCのファイルを整理しなければならない
自分の本棚を整理しなければならない
ダイエットしなければならない
英語をしなければならない
すべて自分に返ってくるのである
とても基本的で単純な法則だけれでも
自分の行ったことのメリットデメリットは
他の誰でもない
自分にそのまま帰ってくるのである
自分がその場限りの
言い訳をどんなにしたところで
そんなことは
他の人には全く関係ない
すべて自分に返ってくるのである
めんどくさいこと
きついこと
辛いこと
しんどいこと
頑張った先のそのことの利益を
真っ先に受けるのは
ほかでもない
自分自身なのである
よし
やる気をだして頑張ろう
すべて自分の快適な
人生のためではないか!!
2008年9月27日土曜日
やれる時にやること
今回の父親の十七回忌に際しての薩摩への帰郷は
いろいろな意味で
家族との対話が充実した時を過ごすことができた
母親は息子の立場から見ても
変わった
もちろん親元をはなれて十五年もたち
大半を離れて過ごしているから
変わったなどと感じているものも
忘れたり
若い時に見過ごしていたこともある
しかし いい意味で変わったと感じたのは
人生を考えるとき
母親の人生に対する姿勢はとても
勇気を与えてくれる と感じたのだ
今回の対話の中で
【人間 やれる時に やっていたほうがいいよ】
というものがあった
自ら何かを思い立って何かを行いたいと考えたとき
若さから徐々に遠ざかろうとするときはえてして
いろいろな言い訳を自らに講じ
先延ばしにしようとする傾向がある
たとえばちょっとがんばって
富士山に登ろうか!
などと思いついたとする
でも、と後に続くのだ
あさってからまた仕事だし ・・・
富士山頂は天候が変わりやすいし ・・・
別段登ってもすぐ降りるだけだし ・・・
家にいるほうが楽でいいし・・・
自分に対する言い訳は
だれも咎める者がいないとき
無制限に出てくる
でも
そもそも富士山に登ろうかなどという
希望はほかの誰でもない
自分の発案のはずなのだ
でも、と言い訳をして
また休みが長くとれたときいこう
とか
気分がもうすこし乗った時に行こう
などといっても
結局は
行かないものなのだ
行けないものなのだ
母親との会話で
どういう局面で
【やれる時にやったほうがいい】
という言葉が出てきたか
今になってみると詳細は忘れてしまった
しかしながら
富士山のたとえで言うと
本当に登りたいと思ったときは
もう自分の足腰が弱くなっていたり
年老いてしまっていたり
いろんな制約が
自分のいいわけではなしに
本当に希望を阻害してしまうのだ
であるから
やれる時にやっていたほうがいいよ
というのは
前向きに人生を生きようとするとき
生活に根ざした
体温のある人生の箴言だと感じたのだ
自分に言い訳をして
先延ばしにしていることは
いろいろある
でも自分も嫁も
当然母親も刻一刻と年輪を重ねていく
今できること
いま本当にやりたいことは
勇気を出して足を一歩踏み出すこと
実際に行動に移してみること
それで人生はより彩鮮やかなものになるであろう
そのようなことを
私の母親は
決して目立つことはないが
自分に言い訳をせずに
やりたいことを自分なりに実行している
それは
母親は他の誰のものでもない
自らの老後を自分らしく楽しんでいる
ということだと思う
勇気をだして
いろいろチャレンジ
それが人生を豊かにするヒントの一つかもしれない
いろいろな意味で
家族との対話が充実した時を過ごすことができた
母親は息子の立場から見ても
変わった
もちろん親元をはなれて十五年もたち
大半を離れて過ごしているから
変わったなどと感じているものも
忘れたり
若い時に見過ごしていたこともある
しかし いい意味で変わったと感じたのは
人生を考えるとき
母親の人生に対する姿勢はとても
勇気を与えてくれる と感じたのだ
今回の対話の中で
【人間 やれる時に やっていたほうがいいよ】
というものがあった
自ら何かを思い立って何かを行いたいと考えたとき
若さから徐々に遠ざかろうとするときはえてして
いろいろな言い訳を自らに講じ
先延ばしにしようとする傾向がある
たとえばちょっとがんばって
富士山に登ろうか!
などと思いついたとする
でも、と後に続くのだ
あさってからまた仕事だし ・・・
富士山頂は天候が変わりやすいし ・・・
別段登ってもすぐ降りるだけだし ・・・
家にいるほうが楽でいいし・・・
自分に対する言い訳は
だれも咎める者がいないとき
無制限に出てくる
でも
そもそも富士山に登ろうかなどという
希望はほかの誰でもない
自分の発案のはずなのだ
でも、と言い訳をして
また休みが長くとれたときいこう
とか
気分がもうすこし乗った時に行こう
などといっても
結局は
行かないものなのだ
行けないものなのだ
母親との会話で
どういう局面で
【やれる時にやったほうがいい】
という言葉が出てきたか
今になってみると詳細は忘れてしまった
しかしながら
富士山のたとえで言うと
本当に登りたいと思ったときは
もう自分の足腰が弱くなっていたり
年老いてしまっていたり
いろんな制約が
自分のいいわけではなしに
本当に希望を阻害してしまうのだ
であるから
やれる時にやっていたほうがいいよ
というのは
前向きに人生を生きようとするとき
生活に根ざした
体温のある人生の箴言だと感じたのだ
自分に言い訳をして
先延ばしにしていることは
いろいろある
でも自分も嫁も
当然母親も刻一刻と年輪を重ねていく
今できること
いま本当にやりたいことは
勇気を出して足を一歩踏み出すこと
実際に行動に移してみること
それで人生はより彩鮮やかなものになるであろう
そのようなことを
私の母親は
決して目立つことはないが
自分に言い訳をせずに
やりたいことを自分なりに実行している
それは
母親は他の誰のものでもない
自らの老後を自分らしく楽しんでいる
ということだと思う
勇気をだして
いろいろチャレンジ
それが人生を豊かにするヒントの一つかもしれない
できれば笑顔を
週末には大方スーパー銭湯に行く
いく目的はもちろん自らのリラックスのためである
癒されたいし、心地よくなりたいために
自ら足を運び湯船におもむくのである
いつも行くその銭湯で感じたことがる
たいがいのオジサンは
しかめっ面をしているのだ
もちろんその中に自分もいた
見ず知らずのおっさんのただなかで
あられもない無防備な姿で
いるのだから生物学的な
防衛本能で
にらみを利かせているのかもしれない
でも
銭湯に来ている目的は
大半が私と同じように
リラックスするために来ているはずなのだ
しかめっつらは眉間にしわがより
顔に緊張がはしる
当然リラックスとは対極の状態だ
できれば笑顔がほしいものだ
心地よく、平安な状態は
外面的には
笑顔な状態だ
できればあらゆる状況で
できるだけ笑顔を
浮かべるように意識していこうと思う
人生の中で
自分の希望は
できるだけ平安で
心地よく楽しくありたいということがある
それだのに外面的には
それほど困ってもいないのに
やたら渋面をつくる傾向がある
この傾向は先ほど考えたが
やはり外部に対する
本能的な防衛作用の結果なのかもしれない
しかし
できうれば笑顔でいたい
笑顔はビジュアル的に伝播する
渋面の相手より
笑顔の相手に対してのほうが
人間というもの、好意をいだく
自分に振り返ってみれば
当たり前のことである
できれば
人間関係も
平穏でありたいし
関係の中で
楽しさを構築していきたい
であるならば
自分の希望を
できるだけ体現できるように
笑顔でありたい
実は
そんな簡単なことで
自分の周りの環境は
一変するかもしれない
とても簡単なことを
意外と多くの人が
実践していないからだ
笑顔でいること
これも人生行路を
しっかりと楽しく歩んでいく
とても大切なコツの一つかもしれない
笑顔笑顔
笑顔でいっど!
いく目的はもちろん自らのリラックスのためである
癒されたいし、心地よくなりたいために
自ら足を運び湯船におもむくのである
いつも行くその銭湯で感じたことがる
たいがいのオジサンは
しかめっ面をしているのだ
もちろんその中に自分もいた
見ず知らずのおっさんのただなかで
あられもない無防備な姿で
いるのだから生物学的な
防衛本能で
にらみを利かせているのかもしれない
でも
銭湯に来ている目的は
大半が私と同じように
リラックスするために来ているはずなのだ
しかめっつらは眉間にしわがより
顔に緊張がはしる
当然リラックスとは対極の状態だ
できれば笑顔がほしいものだ
心地よく、平安な状態は
外面的には
笑顔な状態だ
できればあらゆる状況で
できるだけ笑顔を
浮かべるように意識していこうと思う
人生の中で
自分の希望は
できるだけ平安で
心地よく楽しくありたいということがある
それだのに外面的には
それほど困ってもいないのに
やたら渋面をつくる傾向がある
この傾向は先ほど考えたが
やはり外部に対する
本能的な防衛作用の結果なのかもしれない
しかし
できうれば笑顔でいたい
笑顔はビジュアル的に伝播する
渋面の相手より
笑顔の相手に対してのほうが
人間というもの、好意をいだく
自分に振り返ってみれば
当たり前のことである
できれば
人間関係も
平穏でありたいし
関係の中で
楽しさを構築していきたい
であるならば
自分の希望を
できるだけ体現できるように
笑顔でありたい
実は
そんな簡単なことで
自分の周りの環境は
一変するかもしれない
とても簡単なことを
意外と多くの人が
実践していないからだ
笑顔でいること
これも人生行路を
しっかりと楽しく歩んでいく
とても大切なコツの一つかもしれない
笑顔笑顔
笑顔でいっど!
2008年9月26日金曜日
その時の記録
今回の鹿児島への帰郷にさいして
別段特別な準備などというものは
していかなかったが
ひとつだけ意識的に行動したことがあった
それはその時の記録という意味で
写真を撮るということを意識的に行ったのだ
今まで写真は世間一般の人と同じように
別段の関心も持っていなかった
やはり若かったのだ
自分が過ごしている時間は似ているようで
実はすべて違うはずなのに
あたかも無限に時間があるごとく
また会う人会う人が常に健常であるごとく
勘違いしていたのだ
私の母親は父に先立たれてから
ひとりで暮している
その実家に帰る特
いつも目を引くのが
うつるんですで撮った日々の記録だ
笑顔があり、引き締まった顔あり
もう他界した顔あり・・・・
でもその写真をひも解くと
ほのかにその時間がスーッと戻ってきて
心はホノやわらかに思い出に包まれる
母親にはいつも気づかされるし
元気付けられる
60代の人生が毎日とても楽しいという
家事が全く苦痛でないという
人との関係のコツのようなものを
ようやくつかんだという
まったく怒らなくなったという
毎朝起きた時
体に痛いところがなく
すっくと起きれることへの感謝の念で
いっぱいだという
とても前向きな母親は
とても人生を考えている人だと思う
そんな母親とも
延べで言うと少ししか同じ時間を過ごしていない
そして当然のことながら
時間は平等に過ぎていく
この時間を止めてしまいたいと
時としていとおしい時間を
抱きしめてしまいたくなる
しかし人生は不易流行
常に変化
無常なのだ
時間を抱きしめてこの時間をずーっと留めておいてほしい
などと思っても
それは人生の法則ではない
無常であるからこそ
その一瞬の感動を
俳句や短歌にとどめ置く文化が
世界に誇る日本文化だし
絵画や写真も
その一つだと思う
その意味で
写真を撮ることを意識するようにしようと思う
その時の記録
俳句でもいいし
日記でも云い
でも写真はその人の顔が残ってくれるし
その時の楽しい時間までも
その絵の中に少しとはいえ
残してくれるものと思う
ということで写真写真
写真を撮る秋にするぞ!!
別段特別な準備などというものは
していかなかったが
ひとつだけ意識的に行動したことがあった
それはその時の記録という意味で
写真を撮るということを意識的に行ったのだ
今まで写真は世間一般の人と同じように
別段の関心も持っていなかった
やはり若かったのだ
自分が過ごしている時間は似ているようで
実はすべて違うはずなのに
あたかも無限に時間があるごとく
また会う人会う人が常に健常であるごとく
勘違いしていたのだ
私の母親は父に先立たれてから
ひとりで暮している
その実家に帰る特
いつも目を引くのが
うつるんですで撮った日々の記録だ
笑顔があり、引き締まった顔あり
もう他界した顔あり・・・・
でもその写真をひも解くと
ほのかにその時間がスーッと戻ってきて
心はホノやわらかに思い出に包まれる
母親にはいつも気づかされるし
元気付けられる
60代の人生が毎日とても楽しいという
家事が全く苦痛でないという
人との関係のコツのようなものを
ようやくつかんだという
まったく怒らなくなったという
毎朝起きた時
体に痛いところがなく
すっくと起きれることへの感謝の念で
いっぱいだという
とても前向きな母親は
とても人生を考えている人だと思う
そんな母親とも
延べで言うと少ししか同じ時間を過ごしていない
そして当然のことながら
時間は平等に過ぎていく
この時間を止めてしまいたいと
時としていとおしい時間を
抱きしめてしまいたくなる
しかし人生は不易流行
常に変化
無常なのだ
時間を抱きしめてこの時間をずーっと留めておいてほしい
などと思っても
それは人生の法則ではない
無常であるからこそ
その一瞬の感動を
俳句や短歌にとどめ置く文化が
世界に誇る日本文化だし
絵画や写真も
その一つだと思う
その意味で
写真を撮ることを意識するようにしようと思う
その時の記録
俳句でもいいし
日記でも云い
でも写真はその人の顔が残ってくれるし
その時の楽しい時間までも
その絵の中に少しとはいえ
残してくれるものと思う
ということで写真写真
写真を撮る秋にするぞ!!
久しぶりの帰郷
先週の金曜日は出張で
出雲から羽田に帰ってきた
台風13号が日本列島を縦断しようとしていた時で
飛行機が飛ぶか心配していた
その心配は実は出雲ー羽田よりも
翌日の羽田ー鹿児島が飛ぶかが
より大きなものだった
父親の17回忌で嫁と鹿児島に帰ることを
前々から計画していたのだ
結果から言うと台風13号は速度を増してくれ
翌日の土曜日はつつがなく鹿児島へ飛ぶことができた
久しぶりに会う母親
久しぶりに会う弟
久しぶりにあうもう一人の弟のその家族
久しぶりに会う80歳になるおばちゃん
故郷の顔と出会うということは
何にも代えがたいとてもいいものだ
皆それぞれの独立した家庭を持っているがゆえに
なかなか時間を作ることができないということは
暗黙知でわかっている
そんな中
故人の縁において皆が一堂に会し
ひと時の時間を一緒に過ごしていく
一緒に懐石料理をたべ
お互いの近況を報告し合い
やわらかな時間を過ごしてきた
人間というものは
その起源というものがある
わかりやすく言えば故郷があるということだ
私は鹿児島に生まれ
私の父親と母親のもとに生まれ
弟二人が生まれて
五人家族で過ごしてきた
平たんとはいえないが
卑屈になる必要もない
まっとうで健全な家庭で
育ててもらった
そして日本人としてその役割を
果たさんといま東京にいるが
生まれ故郷に健在である
家族との邂逅はとても力を与えてもらえる
とてものどかで
故郷を思い出すときは
いつも自然と一緒だ
やわらかで温かい感情に包まれて
それでいて新たな力がみなぎってくる
久しぶりの帰郷はとてもいい形となった
出雲から羽田に帰ってきた
台風13号が日本列島を縦断しようとしていた時で
飛行機が飛ぶか心配していた
その心配は実は出雲ー羽田よりも
翌日の羽田ー鹿児島が飛ぶかが
より大きなものだった
父親の17回忌で嫁と鹿児島に帰ることを
前々から計画していたのだ
結果から言うと台風13号は速度を増してくれ
翌日の土曜日はつつがなく鹿児島へ飛ぶことができた
久しぶりに会う母親
久しぶりに会う弟
久しぶりにあうもう一人の弟のその家族
久しぶりに会う80歳になるおばちゃん
故郷の顔と出会うということは
何にも代えがたいとてもいいものだ
皆それぞれの独立した家庭を持っているがゆえに
なかなか時間を作ることができないということは
暗黙知でわかっている
そんな中
故人の縁において皆が一堂に会し
ひと時の時間を一緒に過ごしていく
一緒に懐石料理をたべ
お互いの近況を報告し合い
やわらかな時間を過ごしてきた
人間というものは
その起源というものがある
わかりやすく言えば故郷があるということだ
私は鹿児島に生まれ
私の父親と母親のもとに生まれ
弟二人が生まれて
五人家族で過ごしてきた
平たんとはいえないが
卑屈になる必要もない
まっとうで健全な家庭で
育ててもらった
そして日本人としてその役割を
果たさんといま東京にいるが
生まれ故郷に健在である
家族との邂逅はとても力を与えてもらえる
とてものどかで
故郷を思い出すときは
いつも自然と一緒だ
やわらかで温かい感情に包まれて
それでいて新たな力がみなぎってくる
久しぶりの帰郷はとてもいい形となった
2008年9月20日土曜日
少しずつ
台風13号は、日本列島に急遽進路変更し
今週は、しっかり日本列島を縦断した。
そしてようやく太平洋のほうに過ぎ去っていき
いまはすっかり秋晴れの
青い空が澄み切っている
台風が過ぎて
夏の名残りみたいなものまで
一緒にもっていってくれるようで
日に日に少しずつ秋らしい気配が
漂ってきた
それにしても最近のニュースを見ると
本当に大変なことばかりだ
海外に目を向けると
ロシアがグルジアに侵攻し
20世紀の古い体質をまざまざと世界に
さらし、新しい冷戦構造に
突入せんがごとく大きな変革が起きようとしているし
その一方の当事者である
アメリカは
前代未聞の経済的な混乱が発生している
その余波は世界を駆け巡り
当然のごとく日本にも甚大な影響を
及ぼしている
そんな世界の中の日本では
日本の最高の権力の統治者であり
世界への代表でもある
時の内閣総理大臣が
もう疲れたとばかりに
自分の義務履行を
平然と放棄。
そのあとは自らの権力への
夢を達成せんがためだけの
目をらんらんと輝かせた
次の自民党総裁への立候補者の
マンガのような演説・・・
食品偽装もここまで来たかといえる
事故米の流通で
私腹を肥やしていた人たちの
悪行の数々・・・
日本はどうなってしまうのか
本来の日本というものは
もっと謙虚で
もっと律儀で
もっと清廉だったのではなかったか・・・
少しずつ秋が近付いてくる
肌寒さと比例するがごとく
感情が活発に動き出し
いろいろな感情が発露してくる
個人で微力ではあるが
自らの国が好きだし
自らの家族が大切だ
ゆえに自分の人生というものに対しては
それ相応に真剣に対峙していく
心づもりでもある
少しずつ元気を出していこう
今週は、しっかり日本列島を縦断した。
そしてようやく太平洋のほうに過ぎ去っていき
いまはすっかり秋晴れの
青い空が澄み切っている
台風が過ぎて
夏の名残りみたいなものまで
一緒にもっていってくれるようで
日に日に少しずつ秋らしい気配が
漂ってきた
それにしても最近のニュースを見ると
本当に大変なことばかりだ
海外に目を向けると
ロシアがグルジアに侵攻し
20世紀の古い体質をまざまざと世界に
さらし、新しい冷戦構造に
突入せんがごとく大きな変革が起きようとしているし
その一方の当事者である
アメリカは
前代未聞の経済的な混乱が発生している
その余波は世界を駆け巡り
当然のごとく日本にも甚大な影響を
及ぼしている
そんな世界の中の日本では
日本の最高の権力の統治者であり
世界への代表でもある
時の内閣総理大臣が
もう疲れたとばかりに
自分の義務履行を
平然と放棄。
そのあとは自らの権力への
夢を達成せんがためだけの
目をらんらんと輝かせた
次の自民党総裁への立候補者の
マンガのような演説・・・
食品偽装もここまで来たかといえる
事故米の流通で
私腹を肥やしていた人たちの
悪行の数々・・・
日本はどうなってしまうのか
本来の日本というものは
もっと謙虚で
もっと律儀で
もっと清廉だったのではなかったか・・・
少しずつ秋が近付いてくる
肌寒さと比例するがごとく
感情が活発に動き出し
いろいろな感情が発露してくる
個人で微力ではあるが
自らの国が好きだし
自らの家族が大切だ
ゆえに自分の人生というものに対しては
それ相応に真剣に対峙していく
心づもりでもある
少しずつ元気を出していこう
2008年9月15日月曜日
こどもについて
もうしばらく子供と接していないし
自分の子供時代もとうの昔に過ぎ去ってしまったから
子供の感覚というものがどのようなものなのか
忘れてしまった
子どもというものは無邪気で
天真爛漫、危険に太刀打ちすることのできぬ
弱き存在。
ゆえに大人の世代が彼らを守らなければならぬ
ううん そんなことはだいたいわかる
しかし最近の子供は
常識はずれの子供が多い
先ほどの騒音の話もそれの一例
わざと自らのかわいらしさを世に問うているのか
このガキは!
と時に思われるごとく
でかい声を張り上げ
本人らのままごとを実施している
そのままごと自体はほほえましい
昔から続いているお遊びであるし
私もまだかわいらしい時分には
大いにはしゃいだものだ
しかし その場所が問題なのだ
今のガキはマンションの
公共の通路でこともなげに
先ほどのような無邪気な
騒音を発しているのだ
公園でしろそんなものは!!
子供に怒っても詮無いことで
実は親が馬鹿なのだ
今の親ももう私より
はるかに若い世代に移ってきているが
親が、普通の公の感覚を
全く身につけていないから
上記のような理不尽なことが
起こるのだ
敷衍して言うといろいろある
給食費不払い
電車内での携帯
モンスターペアレント
キレる
もうきりがない
少し大上段に構えて言うと
戦後の教育が
間違った個人主義を植え付けた
結果なので
やはり教育基本法も改廃を
せねばならないのだ・・・・
やれやれ
外のガキの声に触発されて
またこのような下らぬ愚痴のようなことを
書いた
今日は三連休の最終日なのだ
ガキの奇声
その親の輪をかけた寄生に
こころ悩まされる場合ではないのだ
まったくまったく
飯もたくさん食いすぎてしまうわ!!
自分の子供時代もとうの昔に過ぎ去ってしまったから
子供の感覚というものがどのようなものなのか
忘れてしまった
子どもというものは無邪気で
天真爛漫、危険に太刀打ちすることのできぬ
弱き存在。
ゆえに大人の世代が彼らを守らなければならぬ
ううん そんなことはだいたいわかる
しかし最近の子供は
常識はずれの子供が多い
先ほどの騒音の話もそれの一例
わざと自らのかわいらしさを世に問うているのか
このガキは!
と時に思われるごとく
でかい声を張り上げ
本人らのままごとを実施している
そのままごと自体はほほえましい
昔から続いているお遊びであるし
私もまだかわいらしい時分には
大いにはしゃいだものだ
しかし その場所が問題なのだ
今のガキはマンションの
公共の通路でこともなげに
先ほどのような無邪気な
騒音を発しているのだ
公園でしろそんなものは!!
子供に怒っても詮無いことで
実は親が馬鹿なのだ
今の親ももう私より
はるかに若い世代に移ってきているが
親が、普通の公の感覚を
全く身につけていないから
上記のような理不尽なことが
起こるのだ
敷衍して言うといろいろある
給食費不払い
電車内での携帯
モンスターペアレント
キレる
もうきりがない
少し大上段に構えて言うと
戦後の教育が
間違った個人主義を植え付けた
結果なので
やはり教育基本法も改廃を
せねばならないのだ・・・・
やれやれ
外のガキの声に触発されて
またこのような下らぬ愚痴のようなことを
書いた
今日は三連休の最終日なのだ
ガキの奇声
その親の輪をかけた寄生に
こころ悩まされる場合ではないのだ
まったくまったく
飯もたくさん食いすぎてしまうわ!!
静寂について
人間もある程度年輪を経てくると
どうしても静寂というものが必要になってくるように思う
若いうちは騒音とまでは言わないまでも
ふと静寂に包まれると
なんともいえぬ不安を感じ
即座に身の回りに音を充満させ
あたかも音で自らの身を守るがごとく
いろいろな音で人生を彩ろうとする
しかし、ある程度人生というものを
考えたいと思い始める年齢になると
どうしても静寂というものが
必要になってくるのだ
私の隣人は家族4人だ
非常にうるさい
朝早くから皆が皆大きな声で
自らの主張をさえずりあっている
わざわざベランダに出てきて
ピーチクパーチク喚き合っている
昔 声の大きな人は信頼に値する
などという何の根拠もなく
おそらくその著者の独断と偏見で
勝手に断定しているような本に出会ったことが
あるが、個人的には全く反対だ
普通の和としての日本人なら
公共の場所や、おそらくはこの状況で
これぐらいのボリュームの声を発すると
他者に通じるであろう と
いうことは常識の感覚でわかるはずだし、
わかっていればより慎み深くするだろう。
と
思うのは私の行き過ぎた考え方だろうか
とにかく静寂を邪魔するという行為は
時に殺人的で
本人らが自覚していないだけに
ことは非常に厄介なのだ
私たち夫婦は静寂を求める
普通の権利を希求すること
誠実に生活をし続けること
そんな中で隣人は今日も五月蠅い【うるさい】
やれやれなのだ
どうしても静寂というものが必要になってくるように思う
若いうちは騒音とまでは言わないまでも
ふと静寂に包まれると
なんともいえぬ不安を感じ
即座に身の回りに音を充満させ
あたかも音で自らの身を守るがごとく
いろいろな音で人生を彩ろうとする
しかし、ある程度人生というものを
考えたいと思い始める年齢になると
どうしても静寂というものが
必要になってくるのだ
私の隣人は家族4人だ
非常にうるさい
朝早くから皆が皆大きな声で
自らの主張をさえずりあっている
わざわざベランダに出てきて
ピーチクパーチク喚き合っている
昔 声の大きな人は信頼に値する
などという何の根拠もなく
おそらくその著者の独断と偏見で
勝手に断定しているような本に出会ったことが
あるが、個人的には全く反対だ
普通の和としての日本人なら
公共の場所や、おそらくはこの状況で
これぐらいのボリュームの声を発すると
他者に通じるであろう と
いうことは常識の感覚でわかるはずだし、
わかっていればより慎み深くするだろう。
と
思うのは私の行き過ぎた考え方だろうか
とにかく静寂を邪魔するという行為は
時に殺人的で
本人らが自覚していないだけに
ことは非常に厄介なのだ
私たち夫婦は静寂を求める
普通の権利を希求すること
誠実に生活をし続けること
そんな中で隣人は今日も五月蠅い【うるさい】
やれやれなのだ
2008年9月14日日曜日
自分の中での折り合い
毎日同じようにつつがなく生きているということは
【ぼちぼちでんな】などと揶揄や卑下されるような
簡単なことではない
やはり毎日生きていくということは
その中で
強烈な苦しみ、悲しみ、喜び、痛み、怒り
煩悶、喜悦などが
つど自分の中を通り過ぎて行く
激動で唯一で貴重な事柄なのだ
週初めに戦士の如く仕事に向かい
週の終わりに嫁と二人互いのささやかな
一週間の仕事上の戦績をたたえあいながら
少しだけ贅沢でおいしいものを食べたり
スーパー銭湯におもむき、大きなお風呂に
自らの体を【あまり美しくもないが・・・】投げ出す。
アツーいサウナに入り自分の体に
少しだけ自覚的な苦痛を与えておいて
そのあと水ぶろに
【当然のマナーとして入る前には汗を流す】
頭から没入する。
そんな、客観的に考えると
あまり芸のない自分たちへのご褒美を
与え【もらい】ながら
そこに自分なりの喜びや癒しを見出しながら
日々生きていく・・・・
そう、そこに個々の自分との折り合いというものが
あるのだと思う
仕事はつらい、きつい、あまり楽しいものではない
そんなことは実は当たり前なのだ
その報酬として給料をいただいているのであるから
自分として楽で楽しいことをして
給料をもらおうなどとは
人生そこまで優しくはない
やはり給料をもらうために
週初め戦闘モードで顔を引き締めて
仕事という戦場へ立ち向かい
週末 疲弊した心身を
いたわり、メンテナンスして
リフレッシュして
リスタートする
人生、そんな感じで少しずつの
積み重ね。
謙虚で誠実な積み重ねで
最終的には
【よかったね】となるものだと思う
今週もよくやった
背中を痛めながらも乗り切った
この三連休
しっかりリフレッシュすることにしよう・・・
【ぼちぼちでんな】などと揶揄や卑下されるような
簡単なことではない
やはり毎日生きていくということは
その中で
強烈な苦しみ、悲しみ、喜び、痛み、怒り
煩悶、喜悦などが
つど自分の中を通り過ぎて行く
激動で唯一で貴重な事柄なのだ
週初めに戦士の如く仕事に向かい
週の終わりに嫁と二人互いのささやかな
一週間の仕事上の戦績をたたえあいながら
少しだけ贅沢でおいしいものを食べたり
スーパー銭湯におもむき、大きなお風呂に
自らの体を【あまり美しくもないが・・・】投げ出す。
アツーいサウナに入り自分の体に
少しだけ自覚的な苦痛を与えておいて
そのあと水ぶろに
【当然のマナーとして入る前には汗を流す】
頭から没入する。
そんな、客観的に考えると
あまり芸のない自分たちへのご褒美を
与え【もらい】ながら
そこに自分なりの喜びや癒しを見出しながら
日々生きていく・・・・
そう、そこに個々の自分との折り合いというものが
あるのだと思う
仕事はつらい、きつい、あまり楽しいものではない
そんなことは実は当たり前なのだ
その報酬として給料をいただいているのであるから
自分として楽で楽しいことをして
給料をもらおうなどとは
人生そこまで優しくはない
やはり給料をもらうために
週初め戦闘モードで顔を引き締めて
仕事という戦場へ立ち向かい
週末 疲弊した心身を
いたわり、メンテナンスして
リフレッシュして
リスタートする
人生、そんな感じで少しずつの
積み重ね。
謙虚で誠実な積み重ねで
最終的には
【よかったね】となるものだと思う
今週もよくやった
背中を痛めながらも乗り切った
この三連休
しっかりリフレッシュすることにしよう・・・
一日一日
人間 一日生きるということは実はとても大きな仕事だと思う
先日 9月9日から11日まで 出張で倉敷に行っていた
今回のテーマは倉敷というのはたまたまで
実は自分の体に起こったことについての考察・・・
いつものごとく仕事を自分なりに精いっぱいして
夜は仲間と懇親という三日間だったのであるが
その期間中 背中に違和感があった
自分の中でもすこし不摂生が過ぎるのでは
と、自覚とかすかな反省があったのであるが
もしかして長年の強力な負荷による
肝臓か腎臓からの悲鳴なのではないか・・・
と自分の中で誰にも訴えることなく
ただ、少しだけ背中をさすりながら
もしかしたら・・・などと不安におびえる
出張だった
背中が痛いということから
自分なりに考えたことは
自分という一個の人間として
この肉体は絶え間なく起動している
眠りについている時も
完全にシャットアウトすることなく
文字通りスリープ状態で
肉体内の各器官は絶え間なく
自らの役割をつつがなく実行し続けている。
人間が一日生きるということは
実は自分の肉体内の
各器官
つまり肝臓や心臓や腎臓
血管、脳、脊髄、右足左足
右手左手、右目左目、鼻、耳・・・
数限りない自分自身に
最初から備わっている体の各器官が
それこそ、勝手に自分の主人と思い込んでいる
私の今の顕在意識・・・そう、この自分の意識
は全く何も教えてもまた指示もしていないのに
最初から本能として知っている各器官の
それぞれの大切な役割を
つつがなく、滞りなく
そして何の文句も言わずにやりおおせている。
そしてその結果、一日を生き抜くということになるのだ・・・
ということをつらつら考えると
一日、
【そう油断するとあっという間に過ぎ去ってしまうこの一日】
を人間として生きる
ということは、実はとてもすごいことで
奇跡的なことなのだと思われてきた・・・・
自分の肉体の各器官は
私、そう一応自分の主人として
君臨させてもらっているこの
自分という自意識に
ほめてもらわなくてもけなげに
自分の役割をしっかりと果たしてくれているのだ
背中が痛い・・・・
痛みというのは各器官からの
それこそシグナル
滅多に出さないがゆえに
出た場合は結構由々しきシグナルなのだ
歯が痛い、目が痛い 腹が痛い・・・
痛いというのは実はとても大切な
自分の体からのコミュニケーションとしての
シグナル・・・
そのように考えながら
シグナルに対しては
精一杯の自分にできる対処をしながら
やはり、日々感謝して精一杯生きること
そうしてその日々
【喜びや悲しみ痛みや笑いに彩られた日々】
を生きた
数限りない日々の集積が
人生ということだと考えると
やはり人生というものは
個々にとり何にも代えがたい貴重なものだし
また、人生というものを
勝手に蔑ろにしたり
投げ出したりする権利などは
私たちにはないと思った・・・・
本日は中秋の名月
昔の人たちは月を愛でながら
日々の生に感謝を祈り、語り、詠ったのだろう
私も嫁と二人
お月さまを眺めながら
このたった一つの自分の体を
いたわりながら
秋の夜長を過ごさんと思ふ・・・
酒は控えたほうがやはりいいのでしょうなあ・・・
先日 9月9日から11日まで 出張で倉敷に行っていた
今回のテーマは倉敷というのはたまたまで
実は自分の体に起こったことについての考察・・・
いつものごとく仕事を自分なりに精いっぱいして
夜は仲間と懇親という三日間だったのであるが
その期間中 背中に違和感があった
自分の中でもすこし不摂生が過ぎるのでは
と、自覚とかすかな反省があったのであるが
もしかして長年の強力な負荷による
肝臓か腎臓からの悲鳴なのではないか・・・
と自分の中で誰にも訴えることなく
ただ、少しだけ背中をさすりながら
もしかしたら・・・などと不安におびえる
出張だった
背中が痛いということから
自分なりに考えたことは
自分という一個の人間として
この肉体は絶え間なく起動している
眠りについている時も
完全にシャットアウトすることなく
文字通りスリープ状態で
肉体内の各器官は絶え間なく
自らの役割をつつがなく実行し続けている。
人間が一日生きるということは
実は自分の肉体内の
各器官
つまり肝臓や心臓や腎臓
血管、脳、脊髄、右足左足
右手左手、右目左目、鼻、耳・・・
数限りない自分自身に
最初から備わっている体の各器官が
それこそ、勝手に自分の主人と思い込んでいる
私の今の顕在意識・・・そう、この自分の意識
は全く何も教えてもまた指示もしていないのに
最初から本能として知っている各器官の
それぞれの大切な役割を
つつがなく、滞りなく
そして何の文句も言わずにやりおおせている。
そしてその結果、一日を生き抜くということになるのだ・・・
ということをつらつら考えると
一日、
【そう油断するとあっという間に過ぎ去ってしまうこの一日】
を人間として生きる
ということは、実はとてもすごいことで
奇跡的なことなのだと思われてきた・・・・
自分の肉体の各器官は
私、そう一応自分の主人として
君臨させてもらっているこの
自分という自意識に
ほめてもらわなくてもけなげに
自分の役割をしっかりと果たしてくれているのだ
背中が痛い・・・・
痛みというのは各器官からの
それこそシグナル
滅多に出さないがゆえに
出た場合は結構由々しきシグナルなのだ
歯が痛い、目が痛い 腹が痛い・・・
痛いというのは実はとても大切な
自分の体からのコミュニケーションとしての
シグナル・・・
そのように考えながら
シグナルに対しては
精一杯の自分にできる対処をしながら
やはり、日々感謝して精一杯生きること
そうしてその日々
【喜びや悲しみ痛みや笑いに彩られた日々】
を生きた
数限りない日々の集積が
人生ということだと考えると
やはり人生というものは
個々にとり何にも代えがたい貴重なものだし
また、人生というものを
勝手に蔑ろにしたり
投げ出したりする権利などは
私たちにはないと思った・・・・
本日は中秋の名月
昔の人たちは月を愛でながら
日々の生に感謝を祈り、語り、詠ったのだろう
私も嫁と二人
お月さまを眺めながら
このたった一つの自分の体を
いたわりながら
秋の夜長を過ごさんと思ふ・・・
酒は控えたほうがやはりいいのでしょうなあ・・・
2008年9月8日月曜日
仕事とは
仕事とはなんだろうか
人間として生活する以上
社会の中で何らかの役割を担う必要がある
人間が社会を構成するのも
やはり生きていくための手段である
生きていくために社会をつくり
社会を秩序だてて運営していくためには
社会を構成する人々は
それぞれ割り当てられた
役割を遂行する義務がある
社会から円滑な生活を
送るためのいろいろな恩恵を享受
するという権利を行使するためには
社会人としての義務を
履行する必要がある
社会を運営する役割とは
たとえば
円滑に電力を供給すること
水をろ過し、蛇口をひねれば
すぐに衛生的な水が享受できるような
インフラを維持すること
おいしい料理を提供すること
社会の安全のために
ガードすること
娯楽を提供すること
物を作り社会生活を
快適に送るための手段を
世に送り出すこと
いろんな役割は
その役割自体は楽ではない
むしろ非常に困難を伴う
大変な作業の結晶だ
しかし人々はその大変な作業を
社会人として履行している
その報酬として
社会生活を円滑に送ることを
担保するお金を享受し
社会人としての納税の報酬として
日本人としていろいろな特権を与えられ
また守られている。
仕事とは・・・
社会人として
快適な生活を送るための義務なのである
だから困難な作業なのだ
その中で
自分自身でできることは
その与えられた自分の役割に
自分なりにやりがいを見出し
誇りを見出し
日々落ち込みがちな自分を
奮い立たせ
仕事を履行していくことなのだ
権力や富の大小ではなく
その人が社会人として
まっとうな役割を誠実に実行し
当然の権利として
社会人としての利益を
感謝の気持で享受し
幸せを家族とともにかみしめていくこと
自分もそのように日々自分の心に
奮いたちを喚起し
日々生きていきたいものだ
人間として生活する以上
社会の中で何らかの役割を担う必要がある
人間が社会を構成するのも
やはり生きていくための手段である
生きていくために社会をつくり
社会を秩序だてて運営していくためには
社会を構成する人々は
それぞれ割り当てられた
役割を遂行する義務がある
社会から円滑な生活を
送るためのいろいろな恩恵を享受
するという権利を行使するためには
社会人としての義務を
履行する必要がある
社会を運営する役割とは
たとえば
円滑に電力を供給すること
水をろ過し、蛇口をひねれば
すぐに衛生的な水が享受できるような
インフラを維持すること
おいしい料理を提供すること
社会の安全のために
ガードすること
娯楽を提供すること
物を作り社会生活を
快適に送るための手段を
世に送り出すこと
いろんな役割は
その役割自体は楽ではない
むしろ非常に困難を伴う
大変な作業の結晶だ
しかし人々はその大変な作業を
社会人として履行している
その報酬として
社会生活を円滑に送ることを
担保するお金を享受し
社会人としての納税の報酬として
日本人としていろいろな特権を与えられ
また守られている。
仕事とは・・・
社会人として
快適な生活を送るための義務なのである
だから困難な作業なのだ
その中で
自分自身でできることは
その与えられた自分の役割に
自分なりにやりがいを見出し
誇りを見出し
日々落ち込みがちな自分を
奮い立たせ
仕事を履行していくことなのだ
権力や富の大小ではなく
その人が社会人として
まっとうな役割を誠実に実行し
当然の権利として
社会人としての利益を
感謝の気持で享受し
幸せを家族とともにかみしめていくこと
自分もそのように日々自分の心に
奮いたちを喚起し
日々生きていきたいものだ
2008年9月7日日曜日
自分らしく
考えたことを単純に書いていく
こんなことは自分だけの作業であるので
私みたいな世の中にごまんといるような
普通の人間のそのような
雑記文のようなものは、他人に対して
何にも寄与しないだろう
そう
このブログに書いていることも
別段誰かしらに読んでもらおうとして
書いているのではなく
あくまでも自分との対峙のための
一つの手段として書いていっているのだ
自分は何をしたいのか
何をしたいのか
健康でありたいし
世の中のいろいろなことを
少しでも知っていきたい
なぜ知っていきたいのか
好奇心のためだろうか
生きることはそんなに難しく
大変なことではなく
逆にこの地球という自然
また人類の英知の一つである
宗教、文学、建築、心理
何でももっともっと
知っていきたい
そして安らかに過ごしていきたい
そんなことを
こんな感じで日々書いていく
もちろんそんなくだらないことを
このブログに記載することに対して
少し気も引ける
そんな時は
自分のノートに
もっと素直に偽ることなく
自分のその時の
心理 思考 悩みなどを
文字に変換していく
明日からも自分なりの役割を果たしながら
仕事をしていこう
こんなことは自分だけの作業であるので
私みたいな世の中にごまんといるような
普通の人間のそのような
雑記文のようなものは、他人に対して
何にも寄与しないだろう
そう
このブログに書いていることも
別段誰かしらに読んでもらおうとして
書いているのではなく
あくまでも自分との対峙のための
一つの手段として書いていっているのだ
自分は何をしたいのか
何をしたいのか
健康でありたいし
世の中のいろいろなことを
少しでも知っていきたい
なぜ知っていきたいのか
好奇心のためだろうか
生きることはそんなに難しく
大変なことではなく
逆にこの地球という自然
また人類の英知の一つである
宗教、文学、建築、心理
何でももっともっと
知っていきたい
そして安らかに過ごしていきたい
そんなことを
こんな感じで日々書いていく
もちろんそんなくだらないことを
このブログに記載することに対して
少し気も引ける
そんな時は
自分のノートに
もっと素直に偽ることなく
自分のその時の
心理 思考 悩みなどを
文字に変換していく
明日からも自分なりの役割を果たしながら
仕事をしていこう
秋に向かって
毎日何らかの形でいろいろな情報をインプットしながら
生きている
そんな中でやはり人一倍強くもない人間にとって
都度つど落ち込んだり沈んだりする
そんなときでも人生は途切れることなく継続しなければならず
途切れた時は、人生は
少なくともこの現世においては
一応終了ということになる
自分の体がまだ使い物になっている間に
自ら人生を終了させるわけには
普通の人間は当然ながら一応はいけないことだ
ということでこの夏
自分なりの人生の成功への
ささやかな切符というか方法として
【書く 書く とにかく書く】
ということを実行することに心の中で
ひそやかに決めた
このようなブログでもいいし
自分だけのノートを
用意して
とにかく書いていく
書くことがないと思われる時も
「何をかけばいいかわからないが、とにかくノートに
文字をしたためていくことにする・・・」
などという形で
その時の思考【もしくは思考のようなもの】
を文字に変換していくことにした
とにかく単純に
その時思ったことを文字の形に変換していくのだ
このことの効用は
自分なりに考えるに
不安 もやもやとした不安に
さいなまれるとき
実際に文字に書いていってみる
実際に自分は何が不安なのか
一つ一つ自分に偽ることなく
文字に変換していく
文字に変換していくという
プロセスの中で
初めて自分と面と向かって
向き合って
その不安と感じているものについて
語らうことができる
そうしているうちに
その不安と感じていたものが
一つ一つ具体的に整理されていき
実は
自分の今現在持っている能力を持ってすれば
簡単とは言わないまでも
十分解決することができると
実感できる
と思う
実際私がそうなのだ
もやもやと抽象的に
不安や夢、イライラごとなど
頭の中で思考することを
実際に具体的に整理していく
その整理するための
簡単でそしてとても奥深い
力を発揮するのが
【書く】ということなのだ
ということで
私はこれからどんどん書いていくことだろう
このブログであったり
自分の手元にあるノートであったり
そして書くうちに
少しずつ自分らしい前向きなアドレナリンが出てきて
最終的には
【よっしゃ やってやろう!】
と自分と折り合いをつける
明日から月曜日
いろいろ大小さまざまな不安らしきものに
襲われる
だけどやっぱり僕は確実に解決できるのだ
生きていく
いろいろな世の中の英知を
少しずつ身につけながら
都度つど人生というものは
そんなに捨てたものではないと
自分なりに実感しながら
自分らしく歳をとっていく
秋になるとやはり
いろいろ考え始める
そんな季節は
夏同様好きである
生きている
そんな中でやはり人一倍強くもない人間にとって
都度つど落ち込んだり沈んだりする
そんなときでも人生は途切れることなく継続しなければならず
途切れた時は、人生は
少なくともこの現世においては
一応終了ということになる
自分の体がまだ使い物になっている間に
自ら人生を終了させるわけには
普通の人間は当然ながら一応はいけないことだ
ということでこの夏
自分なりの人生の成功への
ささやかな切符というか方法として
【書く 書く とにかく書く】
ということを実行することに心の中で
ひそやかに決めた
このようなブログでもいいし
自分だけのノートを
用意して
とにかく書いていく
書くことがないと思われる時も
「何をかけばいいかわからないが、とにかくノートに
文字をしたためていくことにする・・・」
などという形で
その時の思考【もしくは思考のようなもの】
を文字に変換していくことにした
とにかく単純に
その時思ったことを文字の形に変換していくのだ
このことの効用は
自分なりに考えるに
不安 もやもやとした不安に
さいなまれるとき
実際に文字に書いていってみる
実際に自分は何が不安なのか
一つ一つ自分に偽ることなく
文字に変換していく
文字に変換していくという
プロセスの中で
初めて自分と面と向かって
向き合って
その不安と感じているものについて
語らうことができる
そうしているうちに
その不安と感じていたものが
一つ一つ具体的に整理されていき
実は
自分の今現在持っている能力を持ってすれば
簡単とは言わないまでも
十分解決することができると
実感できる
と思う
実際私がそうなのだ
もやもやと抽象的に
不安や夢、イライラごとなど
頭の中で思考することを
実際に具体的に整理していく
その整理するための
簡単でそしてとても奥深い
力を発揮するのが
【書く】ということなのだ
ということで
私はこれからどんどん書いていくことだろう
このブログであったり
自分の手元にあるノートであったり
そして書くうちに
少しずつ自分らしい前向きなアドレナリンが出てきて
最終的には
【よっしゃ やってやろう!】
と自分と折り合いをつける
明日から月曜日
いろいろ大小さまざまな不安らしきものに
襲われる
だけどやっぱり僕は確実に解決できるのだ
生きていく
いろいろな世の中の英知を
少しずつ身につけながら
都度つど人生というものは
そんなに捨てたものではないと
自分なりに実感しながら
自分らしく歳をとっていく
秋になるとやはり
いろいろ考え始める
そんな季節は
夏同様好きである
2008年9月6日土曜日
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