今回の父親の十七回忌に際しての薩摩への帰郷は
いろいろな意味で
家族との対話が充実した時を過ごすことができた
母親は息子の立場から見ても
変わった
もちろん親元をはなれて十五年もたち
大半を離れて過ごしているから
変わったなどと感じているものも
忘れたり
若い時に見過ごしていたこともある
しかし いい意味で変わったと感じたのは
人生を考えるとき
母親の人生に対する姿勢はとても
勇気を与えてくれる と感じたのだ
今回の対話の中で
【人間 やれる時に やっていたほうがいいよ】
というものがあった
自ら何かを思い立って何かを行いたいと考えたとき
若さから徐々に遠ざかろうとするときはえてして
いろいろな言い訳を自らに講じ
先延ばしにしようとする傾向がある
たとえばちょっとがんばって
富士山に登ろうか!
などと思いついたとする
でも、と後に続くのだ
あさってからまた仕事だし ・・・
富士山頂は天候が変わりやすいし ・・・
別段登ってもすぐ降りるだけだし ・・・
家にいるほうが楽でいいし・・・
自分に対する言い訳は
だれも咎める者がいないとき
無制限に出てくる
でも
そもそも富士山に登ろうかなどという
希望はほかの誰でもない
自分の発案のはずなのだ
でも、と言い訳をして
また休みが長くとれたときいこう
とか
気分がもうすこし乗った時に行こう
などといっても
結局は
行かないものなのだ
行けないものなのだ
母親との会話で
どういう局面で
【やれる時にやったほうがいい】
という言葉が出てきたか
今になってみると詳細は忘れてしまった
しかしながら
富士山のたとえで言うと
本当に登りたいと思ったときは
もう自分の足腰が弱くなっていたり
年老いてしまっていたり
いろんな制約が
自分のいいわけではなしに
本当に希望を阻害してしまうのだ
であるから
やれる時にやっていたほうがいいよ
というのは
前向きに人生を生きようとするとき
生活に根ざした
体温のある人生の箴言だと感じたのだ
自分に言い訳をして
先延ばしにしていることは
いろいろある
でも自分も嫁も
当然母親も刻一刻と年輪を重ねていく
今できること
いま本当にやりたいことは
勇気を出して足を一歩踏み出すこと
実際に行動に移してみること
それで人生はより彩鮮やかなものになるであろう
そのようなことを
私の母親は
決して目立つことはないが
自分に言い訳をせずに
やりたいことを自分なりに実行している
それは
母親は他の誰のものでもない
自らの老後を自分らしく楽しんでいる
ということだと思う
勇気をだして
いろいろチャレンジ
それが人生を豊かにするヒントの一つかもしれない
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