2009年5月30日土曜日

キスケの湯

仕事での移動だから
当然ながらその土地の名所などに
赴く時間などはない

仕事で月に一度は
松山に行く

事務所の往復に
少しの彩りを与えてくれるのは
前泊による前の晩の数時間である

松山での私の行動は
ほぼ決まっている

松山駅近くのビジネスホテルに泊まる

ここの良さは
朝食の充実度である

ここしばらく全国的に
東横インが台頭してきて
地場のホテルは大打撃をうけた

ところが
ここにきて地場のホテルが
本気でリベンジを図り始めた

宿泊客が
ホテルに期待する
コンテンツはいろいろある

部屋の広さや
ウォシレットの設置未設置
ベットの快適さ
ネット環境、机

風呂のあるなし

そして朝食

最近朝食に本当に妥協していないホテルが
目につき始めた

朝食に力を入れているホテルは
前からあった

しかし朝食代別途1000円という
対応だった

ところがいまは6000円前後で
朝食付きなのである

最近私はそんなホテルにとまる

意識して東横インから
避けようと考えている

そのおかげで朝から
食いすぎである


そんなことはいい

松山の夜の楽しみは
なんといっても風呂である

松山の代表的な温泉は
道後温泉である

漱石の坊っちゃんでも
その名が出る道後温泉

入湯料は400円ぐらいである

外観に赴きがあり
湯温はたかい。

電車の駅をおりて
商店街を抜けてゆく
そのプロセス全体に
何とも言えず風情があり
一度は行くべきであるが
私のお気に入りは
そこからは卒業した

いまは
駅前の
キスケの湯がいいのである


長年いろいろなところの
大浴場には挨拶しているという自負心はある

そんな私をして
うならせる魅力が
そのキスケの湯にはあるのである



まずはその広さ

めっちゃひろい

そしてアトラクションの多さ

風呂場で言うアトラクションとは

ジェットぶろや
寝湯や
サウナなどである

そんなアトラクションが
とても豊富なのだ
半端なく豊富で
おじさん同士の順番待ちなどという
ちまちました現象は起こらない

それでいてこれも
とても重要なポイントであるが

ジェットぶろの刺激の強さがある

めっちゃ強いのである

私の強靭な肉体をもってしても
そのアトラクションに遊んだ後は
その照射された個所は
真っ赤である

湯あがりは
フロアーで
マッサージ器である
これも最新型が10台ぐらい設置してあり
なんと無料である

マッサージ器に
もまれながら
50インチの画面で野球を見る!


そんなキスケの湯で
1~2時間遊んで
近所のお魚居酒屋に
軽く赴く

そんなささやかな時間が
実は自分にとっては一番の
ゴールデンタイムとなっている

2009年5月26日火曜日

記録することの効用

日記のような雑記のような
こんな瑣末な
文章の断片群も
個人的に見てみれば
実はちょっとした自分史になっているのだろうか


こんな文章の切れはしから
その人の人となりを正確に把握することなど
できはしないし
自分とてそんなことはかんがえてもいない

といえど
たとえば
実は自分の人生の和了がそこまで来ていて
何かの拍子にポックリと逝ってしまったりした場合
やはりこれらの文章群が
その人の
いうなれば遺言めいたモノの代わりにも
なりうるのだろう

ああ、あの人は
こんなくだらないことを考えていたのかとか

ふうん
あの時あんな風に悩んでいたのだなあ
とか


そんなことを考えていると
やはりこまめに自分の脳裏に
想起される玉石混交のイメージを
都度都度簡便ながらも
こんな感じで
記録にとどめておくということも
何かの役に立つのかもしれない

ただそんなことを想った

人間 何が起こるか分からないものね

いつ私が何になるか分からないし
何が起こるかもわからない

まあそんな人生だからこそ
人間懲りもせず
ひび健気に
よっこらしょと
生き続けられるのかなあ



文章日本語の重宝さ

最近想うことの一つに
文章日本語の許容量の深さがある

文章日本語は言うまでもなく
あいうえおの50音順の言葉の
組み合わせである

その50音の言葉の組み合わせが
我々が日常読み書き話している日本語である


日常の我々の生活は
その日本語を介して
お互いの意思疎通を図っている


そんなことは今更ながら
驚くこともないが
さりとて改めて考えてみて
やはり驚かざるを得ない

たとえば
西洋の歴史的事情に関しての
文章を当然ながら日本語の文章で読む

そして我々はその内容をおぼろげに理解する

日本語の羅列にも関わらず
我々の脳の中には
その当時のレンガ並木の街角に立つ
青い瞳をした
金髪の人たち

そしてその場所でそんな人たちが
頭を悩ましていたであろう
当時の事情らしきものが
我々の脳内にイメージとして
浮き彫りにされる

その間当然のことながら
そのことに関する我々の認知には
日本語以外の言語は
介在していない

文章日本語の列記のみで
我々は
モームの人間の絆を読むことができるし
シェイクスピアの
ハムレットやオセローなどの悲劇を感ずることができるし
はたまた孔子や老子のなどの
深遠な哲理をも学ぶことができる

千年の歴史にたゆたう
枕草子や万葉集にも触れることができるし

夏目漱石の坊っちゃんや草枕などの
明治日本の空気感の中すらも
気軽に逍遥することができる


何度も言うようだが
そこには英語も中国語も介在していない


現代日本語に翻訳されて
その内容は現在に生きる日本人の我々に
しっかりと引き継がれてゆくのである


なんとも
この文章日本語というもの
素晴らしいとしか言いようがない


縦軸の歴史的時間や
横軸の世界的空間を超えて
文化文明というものが
縦横に伝播する瞬間に
我々は生きているのである


何んとも何とも

そんなことを考えると
本当に
小学校から高校にかけて
基本的な素養を教授してくれた
鹿児島の先生方に感謝感謝である


そんなことをかんがえて
図書館を歩いた

図書館という場所は
本当に人間の文化の宝庫かもしれないと思った


人間悩みは尽きない
しかしその人間には
長い長い歴史的な歩みがある
それはいうなれば歴史的財産である


そんな歴史的財産は
当然ながら現代に生きる我々に
何かしらの
生きる上でのヒントを与えてくれる


そんな歴史的財産に
どうやったら出会うことができるのか


文章日本語にしっかりと翻訳されて
我々の前に何にも隠し立てすることなく
横たわっているのである

ただ我々がそのことに
気づくことができるかどうかである


いつも歴史は緩やかに微笑みながら
うんうんと頷いて
悩み多き我々を
元気づけてくれているのである



2009年5月25日月曜日

新聞の社長さん

人間というものは
いろいろと定義付け出来ると思うが
その中の一つに
インセンティブでいかようにも動いてしまうという
性格があるように思う

春のこの時期は各企業の人事の改変があり
新社長です!と顔写真が新聞に載る

その見ず知らずのオジサンだらけの
顔のオンパレードを見ながら
おお頑張って一応頂点にまでいった人の顔なのだな
という何かしらの感慨があった

何を犠牲にしてか知る由もないが
その歳で【一企業の社長】という
金銭的だけでなく
何かしらの人間としての優越感
はたまた社会的なステータスみたいなものを
手に入れた人たちの顔顔である

そんな顔のなかには
いかにも脂ぎったおじさんもいれば
なかなか
今の自分なんかよりも若い人たちもいる

優秀なんでしょうなあ~

人間はインセンティブをぶら下げられると
いかようにも動かしうる生き物なのである

そんな新社長たち
いろいろ大変なこともあっただろうな

いろいろ屈辱的なこともあったことだろう

家庭がうまくいっている人もいれば
会社のためにすべてを注ぎ込み
いつの間にか家庭を顧みることなく
社長というステータスと引き換えに
かけがえのないものを失ってしまった人もいるのだろう

人間
とくに男性というものは
ナマな部分での生命の力は
女性に及ぶべくもないから
その弱さを隠さんがために
この現世における目に見える序列の中で
自分の強大さ権勢を見せつけんがため
そんなはた目から見れば
何のことはない
小さい世界での出世競争に
目の色を変えるのかもしれない

人生何がいいのか本当にわからない

家庭第一で
仕事はその手段という
割り切った考え方もある

しかし人間として生まれた以上
社会の中の構成員でもある

ひ弱な個としての自分を
陰に陽に手助けしてくれた社会に対して
自分なりの恩返しをしようと
その具体的手段が
会社生活であり
それゆえ
会社での仕事に対して
自分なりに誇りを持って
立ち向かっている人もいるはずである

限られたものをどのように活用し
自分自身に与えられた時間を
どのように過ごしてゆくのか

そんなことを考えると
神様はよく作られたようで
人生というのも一律というものはない

となれば
平凡とか普通なんてことも有りようがなく
やはりひとつの限られた命を
自分なりに燃焼させて
そこに人間としての十足感を得ること

そんな感じだろう

そうとなれば
何も知らないくせに
新聞の社長さんに難癖つけることなど
ナニサマということになるし
おまえさん自身も
しっかりと頑張りなさいという
天の声が聞こえてくるようである


がんばらんといかん

どげんかせんといかん

2009年5月24日日曜日

愛車の洗車

先日 久々にわが愛車を洗った

かなりの久しぶりだった

洗車するときは我々は夫婦で行う

洗車道具を車に積み込み
近所の洗車場に向かう

朝早いのに先客が大勢いる

みなそれぞれの愛車をピカピカにしている
ほとんどの車が最近生まれたような
鼻たれ小僧である

それに比べると
わが愛車は重鎮である

平成6年生まれだから
かれこれ15年のベテラン選手である

体に頑固に付着した汚れを
きれいさっぱり洗い流してあげる

やさしくいたわりながら
背中を流す

そういえば我々だけ毎週立派な銭湯に
赴き気持ちよくなっているのに
わが車に対しては
何ヶ月ぶりだろう・・・

そんなことを嫁と話しながら
車に【ごめんな!】と語りかけるように
ゆっくりと汚れを落としてゆく

仕上げのワックスもしっかりとつける

内装もしっかりと磨き上げる

そんなとき気のせいかもしれないが
その顔が笑顔で嬉しそうに見えたりする

普段は厳しい目つきで
前方の道路をきっかりとねめつけているその目が
なにかしら穏やかに見えた


きれいさっぱりすると
こちらは心がきれいさっぱりになった

車に感謝して
やさしく接すると
車もその気を返してくれているような気がした


極端な夢想だが
人間もこの世のいかなる加工物も
この地球の一員であるということからすると
同胞である

微細な素粒子レベルになると
その構成物も共通である

そうなると
そんな地球にあるものは
すべて生きているのかもしれないと思われてくる

人間の命がどういう仕組みで生き死ぬのか
思念はどのような仕組みで成り立っているのか

科学的に物質の信号の行き来だけでは
しっかりと説明できないことが
いまだあまりにも多すぎるこの世において
極端に言うと
わが愛車がその意思を一切持っているはずがないと
断言できるものでもないような気がする


まあ他人に迷惑をかけない限り
そんな考え方で日々生きていくということも
いいように思う

そんな感じで
机の横にある観葉植物にも
時に話しかけてみる

たとえばこの机やライト
冷蔵庫に洗濯機
テレビにビデオ
このパソコン
わんさかわんさかある
彼らがいて今私の快適な生活があるのだ

そんな彼らにありがとうさんと言ってみる

そんなとき彼らにも生命がある
少なくとも私の想念の中にはあるのである


そんな風に考えると
自分を陰に陽に助けてくれている
幾多のモノたち

幾多の人と同時に幾多のモノや植物たち

本当にいろいろなものに囲まれて
我々は生かされているようだ

感謝して生きよう

ありがとさん


そんな感じで
わが愛車も我が家の家族の一員である

カノジョのおかげで
我々はいろいろな所に行くことができるし
何にも代えがたいのは
故障もなく事故もないということだ

これはわが愛車の
自慢できる功績である


エコの時代である
エコカーにすべきか否か・・・

ときに悩んだりもするが

我が家はもうしばらくは
わが愛車とともにある

そんな気でいる・・・



ワンのこと

まだ自分が小学2年生くらいのころ
家族に1匹の犬が新しい家族として加わった

どうしても犬がほしくて
兄弟でしっかり世話をするという条件で
ペットショップで両親に買ってもらった

確か1万円だったと思う
当時の自分には1万円の相対的な価値はわからなかったが
ともあれ家族がもう一人【1ぴき】増えたのは確かだった

名前は兄弟で決めた

わんわん鳴くので
【ワン!】ということにした

雑種の雌犬だった

ワンはとてもきれいな目をした犬だった

柴犬のような茶色い毛をした小型犬だが
柴犬のような日本特有な四角い顔ではなく
もっと柔らかい顔立ちだった
母親などは【上品な顔立ち】といっていた
僕たちもそう思った


毛並みも薄茶色が時に黄金色に見えたし
ふわふわとしていた

腰のところが柴犬などと比べて
少しだけなだらかにさがっており
シェパードのようなシルエットだったりした
そんなワンがとても好きだった

人間のわれわれは当然ながら飼い主であり
主人である

しかしわれわれはまだ分別もつかない子供である
実際にはワンが第二の母親のように
われわれを見守っていてくれていた・・・
今になって思うとそうとしか思われない

ワンはとてもかしこい犬だった

ベランダから家の中に入って
我々と一緒に会話に加わっていた

そんな中で
われわれの家族構成での
立場を彼女なりに把握していたように思う

時に長男の私にいじめれらて泣かされた弟などを
無言で慰めてくれたりしていたようだし

私なども厳しい父親から叱られた時など
夜、暗がりでワンにご飯をやる時などに

【大丈夫よ!元気出しなさい!】
とやさしく言ってくれているような気がして
子供ながらにいつの間にか
ワンにとても頼るような感じになっていた

いつも柔和なワン

だけど他人が来たときは人変わりしたように吠えたてた

今まで見たこともないような怖い表情で
牙をむき出し威嚇した

自分の友達などを連れていった時なども
そんな顔をされて
友達を辟易させたりした

そんなときは
友人が帰ったそのあと主人の権限を行使して
偉そうにワンをこっぴどく叱りつけた

ワンは黙って叱られた
親の心子知らずである
守ってくれていたのに・・・・

そんなワンと長い歳月がながれ
われわれが日々成長する中
ワンは逆に衰えていった


ドッグイヤーというが
今思うといつの間にワンもおばあちゃんになっていたのだ

われわれ兄弟は友達と遊ぶのに忙しく
当初約束した【3人で世話をする】
という取り決めも
いつしか守られないようになり
散歩に連れていく回数もめっきり少なくなった


そんな日々が流れ去り
ワンが目に見えて衰弱していった

ある晩ご飯を食べなかった

そんなときだけ心配するわれわれ

【ワンがごはんたべないよ~お母さん・・・】

といったきりまたカーテンを閉めた
暖かい部屋で我々だけテレビを見ていた

寒い日だった

翌朝
昨夜のワンの食欲のなさが少し気がかりになり
カーテンをあけた

ワンが寒い中横たわっていた

エアコンの室外機の陰に隠れるように
横たわっていた

かたく冷たくなっていた


ワンはあっさりときれいにこの世を去った
ついさっきまで生きていた命が消滅する衝撃に
初めて直面した瞬間だった

ワン! 呼びかけたら
必ず反応してくれていたワンが反応してくれない

相談に乗ってくれたり
危険な他人から守ってくれたり
理不尽な主人の言いつけに黙ってしたがってくれたり
いろいろなことを教えてくれたワンだった

そんなワンの命の炎がついに消えた瞬間だった

神様はわれわれに平等に命の炎を
ひとり一つずつ授けてくださった

ワンの亡骸が横たわるその横には
寒風に果敢に立ちはだかる雑草が生きていた

雑草は生きている

ワンは死んでいる

雑草なぞはその体は小さいし
時にその一部を引きちぎられたり
寒風に吹きつけられたり
強い雨に降りつけられても
命の炎が潰えない限り青々とした葉が生え育つ

命の炎が消えていないからだ

ワンだってそうだった

昨日までのワンも
衰弱してはいるが
ワン!と声をかけると
クーンとないてそのうるんだ瞳でやさしく見つめてくれた

でも今朝のワンは動かない

命の炎が消えたからだ


今私の机の横には
100円で買ってきた観葉植物が小さい鉢の中で生きている

毎朝 おはようと声をかけ水をやっている

生きているのだ
いのちの炎が燃えているのだ

生きていなかったら水をのまないし
その青々とした葉はつややかではなくなる




散歩しながら
ふとワンのことを思い出した

そういえば今まで切所のとき
ときどき心の中で祈っていた

そんなとき時にワンに相談していたような気がする

【大丈夫だよ!】
そんな声が聞こえたような気がして
これまでやってきたような感じだ

これからもそうだろう

生きていたワン

天に昇ったワン

でも私の心の中では生きているワン

そんなことを想った

同時にそれぞれにただ一つの命のほのお
というものについても
かんがえた


2009年5月10日日曜日

アニメに想う

最近のテレビ番組は何かしらとても疲れる

こちらが大人びてしまったのか
はたまた向こう側のモラルが著しく低下したのか
なんとも視聴していると
何かしらいらいらと疲れてきて
リラックスするために観ているのに
逆に疲れてしまう

子供のころは
そうではなかった気がするんだけどなあ・・・・


先日BS放送で
アニメソング特集をやっていた

往時の人気アニメソングを
その歌手本人が
今その場のステージで歌うのだ
いわゆるバッタものではなく
完全にオリジナルである

ささきいさお
を筆頭に
当時われわれが一生懸命に観ていた
アニメソングを次から次に繰り出してくる

とても充実して
いつの間にか心は往時を駆け巡っていたのだが
その時思ったのは

まずは
【歌がうまい!】
ということであった

かれこれ20~30年前の歌を
現役当時とそのままの音色で
のびやかに歌っている

まさに
【レコードと同じ!!】
なのである

30年もたっているから
その本人も当然当時の現役時代から
30年の歳月がプラスされているはずである

それにもかかわらず
若々しくのびやかに
それでいてまったくぶれず
恥ずかしがらずにシャウトしている

そこに
【プロフェッショナル】
を感じたのだ

2時間というどちらかといえば長い時間の中で
次から次へと
おいしい歌が繰り出されてくる

常に声をだすなどという
プロとしてのメンテナンスを
欠かさずにしているのだろうなと
歌自身に酔いしれながらも
心の片隅で
そんなことを感じたりした

それにしても
歌詞といい
メロディーといい
しっかりと頭の中に刻印されているものだあ

子供の時に
ビデオなどもなく
その場その場で観ていただけであるのに
焼印のごとく
しっかりと記憶されているのである

眼をぎらぎらさせながら
集中してアニメを見ていた往時の
自分のことが思い出される

その時は
まさか記憶しておこうなどという
よこしまなことは全く考えず
ただひたすら純粋に
その番組そのものを楽しんでいたにすぎない

それにもかかわらず
しっかりと刻印されているのである

今となれば
このことは覚えておかなければ・・・
などと意気込んで対峙するものほど
滑り落ちる砂のごとく
記憶からすり抜けてしまう

なんとも人間に備わっている
能力のようなものを
感じ入ってしまった


そのアニメソング特集を観て以来
何本かDVDを借りてきて
昔のアニメを楽しんだ

いまのTV放送番組などより
何倍もよかった

勇気づけられたり
ほろりとしたり
笑ったり、はらはらしたり・・・・・


少なくとも
馬鹿さを売りにして
どんちゃん騒ぎして
いたずらにノイズばかり発している
今の公害のごとき
バラエティー番組よりも
何倍も内容がよくて
心にも入ってくるということが改めてわかった


内容そのものに作り手の
魂らしきものが入っていて
それが観るほうの心の琴線に共鳴するのだろう

そのアニメは
たまたま
キャプテンであった

いまの自分ばかり目立とうと
視聴者のことはテンで馬鹿にし
はては視聴者不在の
自分本位の番組とは
それこそ雲泥の差なのである

2009年5月9日土曜日

人の生の長さ

ロック歌手だった忌野清志郎さんが亡くなった

享年は58歳だとか

別段ロックという音楽には興味がないし
清志郎さんの活動内容なぞほとんど知らなかった

亡くなってから
テレビを通じてその半生を知った

個人的の想ったのは
これくらいの年齢でその人生の終幕を引く
ということに対することである

世間では
あまりにも早いとか
これからだったのにとか
悔まれるようなトーンだ

といえど逆説的だが
その人の人生の終幕は
その人にとってそれが最善なのではないか
と思ったりする

そして個人的には
60歳前後という時期が
美しいように思ったりする

人に介護してもらい
鬱々とその長い年月を生きながらえるよりも
スパッと自ら終幕を引くというのは
なんとも美しいと感じたりする

まああくまでも個人的な感慨である

自分がその歳になっていたら
もしかしたら
生に執着するかも知れないし
こればっかりはなんとも言えない

先日自分も四十の関所に
どうにかこうにか
その門口に立つことができた

いろいろな人たちのおかげで
自分も40年という歳月を
生きながらえることができたということである

なんとも40年である

完全にして何の矛盾もなく
おじさんである

誕生日というのは
自分が祝ってもらうなぞというのはおこがましい

その年まで陰で支えてくださった方々に
感謝する日ですよ

と何かの本で読んだ

まさにその通りで
私も40年という歳月を
生かしていただいたということになる

ありがとうございます


そして
あと何年生かしていただけるかわからないが

60歳終幕説で行くと
後残された年月は20年ということになる

20年だったら・・・

思いっきり燃焼することも
できるかもな・・・・
なぞと思えてきたりする

40年生かしていただいたのだから
これからは
恩返しに使えるかなと思ったりもする

40年という歳月は
その人生に
いろいろなカキ殻がへばりついている

正体は単なる自己強欲に過ぎない
名を変えた幾多の醜いカキ殻は
できれば
少しづつきれいに取り払ってゆきたい

そんなことを感じた五月である

薫風吹く皐月が
私の誕生月である

周りを見渡せば
嬉しそうに緑が芽吹いている

さわやかな風をいただいて
感謝してこれからの四十路を
少しづつ歩んでゆこう

いかにも物欲しげな・・

朝の新聞を読んでいたら
当然のことながら
書籍の広告宣伝が載っている

そんなところに掲載される書籍は
当然ながらその出版社が
費用をかけてでも幅広く顧客に
知らしめることによって
売れることをもくろんでいるものである

そんな著者は
当然ながら無名の人だ
とくに経済関連の本
自己啓発関連の本が多い

普遍的に売れるというものではなく
瞬間風速狙いだ

そんなことは
薄々感じていながらも
その書籍のタイトルには
時にうんざりさせられてしまう

物欲しげなタイトルなのである

たとえば
【検索するな!】という
いかにも逆説的で
センセーショナルな文言
だったり
【そんな感じではお客様に逃げられてしまいますよ
でもこんな方法でホイホイお客様を云々・・・・】
とやけに長ったらしい
一昔前のビーズの歌の題名のようなものだったり・・・

その
共通項は
中身はタイトルとはあまり関連がなく
読後感は
【は~っ?】となるということである

あまりにもタイトルにこだわって
実際の中身は
ぺらっぺらのウスウス

おおかたその出版社の
うら若きえりーと君が
世間をなめくさって
こんなタイトルだったら
うぶな読者は食いつきますよ!

なぞとうそぶき
命名してるのだと思う

そして瞬間風速で売り上げを上げさえすれば
それでいいのだろう

はいまた次っ!
なのであろう

私なぞはそんな輩に振り回されたくないので
いそいそとそんな本を買ったりはしない

待っていると
すぐブックオフあたりで
100円で出回るのだ

しかしそんな本の内容の
薄っぺらさは
100円で買ったとしても
時間のほうがもったいない

といえど
悲しいかな
そんなカルッカル内容の本を
満員電車でいかにも
きびしい面付きで読んでいる
胡散臭いサラリーマンが
またまたわんさか発生してくるのである

えりーと君のもくろみどおりである

そんな本を読む前に
自分の周りを読みなさい


【空気を読んで出世まっしぐら云々】
なぞというタイトルの本を読んでいるおっさんが
満員電車のなかで
そのおっさん自身の体勢が
邪魔でしょうがなかったりする

こんな込み合った中で
そんな大きな本を読んだら
隣の人の横顔に
その本の角が当たるでしょ!!

まず今の空気を読みなされ
と言いたくなる

何をそんなに怒ってるのか

物欲しげなタイトルが
腹が立つのである

でも私なぞが怒ったところで
如何ともならない

ただ庶民の一人の感想である