文章日本語の許容量の深さがある
文章日本語は言うまでもなく
あいうえおの50音順の言葉の
組み合わせである
その50音の言葉の組み合わせが
我々が日常読み書き話している日本語である
日常の我々の生活は
その日本語を介して
お互いの意思疎通を図っている
そんなことは今更ながら
驚くこともないが
さりとて改めて考えてみて
やはり驚かざるを得ない
たとえば
西洋の歴史的事情に関しての
文章を当然ながら日本語の文章で読む
そして我々はその内容をおぼろげに理解する
日本語の羅列にも関わらず
我々の脳の中には
その当時のレンガ並木の街角に立つ
青い瞳をした
金髪の人たち
そしてその場所でそんな人たちが
頭を悩ましていたであろう
当時の事情らしきものが
我々の脳内にイメージとして
浮き彫りにされる
その間当然のことながら
そのことに関する我々の認知には
日本語以外の言語は
介在していない
文章日本語の列記のみで
我々は
モームの人間の絆を読むことができるし
シェイクスピアの
ハムレットやオセローなどの悲劇を感ずることができるし
はたまた孔子や老子のなどの
深遠な哲理をも学ぶことができる
千年の歴史にたゆたう
枕草子や万葉集にも触れることができるし
夏目漱石の坊っちゃんや草枕などの
明治日本の空気感の中すらも
気軽に逍遥することができる
何度も言うようだが
そこには英語も中国語も介在していない
現代日本語に翻訳されて
その内容は現在に生きる日本人の我々に
しっかりと引き継がれてゆくのである
なんとも
この文章日本語というもの
素晴らしいとしか言いようがない
縦軸の歴史的時間や
横軸の世界的空間を超えて
文化文明というものが
縦横に伝播する瞬間に
我々は生きているのである
何んとも何とも
そんなことを考えると
本当に
小学校から高校にかけて
基本的な素養を教授してくれた
鹿児島の先生方に感謝感謝である
そんなことをかんがえて
図書館を歩いた
図書館という場所は
本当に人間の文化の宝庫かもしれないと思った
人間悩みは尽きない
しかしその人間には
長い長い歴史的な歩みがある
それはいうなれば歴史的財産である
そんな歴史的財産は
当然ながら現代に生きる我々に
何かしらの
生きる上でのヒントを与えてくれる
そんな歴史的財産に
どうやったら出会うことができるのか
文章日本語にしっかりと翻訳されて
我々の前に何にも隠し立てすることなく
横たわっているのである
ただ我々がそのことに
気づくことができるかどうかである
いつも歴史は緩やかに微笑みながら
うんうんと頷いて
悩み多き我々を
元気づけてくれているのである
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