こんな瑣末な
文章の断片群も
個人的に見てみれば
実はちょっとした自分史になっているのだろうか
こんな文章の切れはしから
その人の人となりを正確に把握することなど
できはしないし
自分とてそんなことはかんがえてもいない
といえど
たとえば
実は自分の人生の和了がそこまで来ていて
何かの拍子にポックリと逝ってしまったりした場合
やはりこれらの文章群が
その人の
いうなれば遺言めいたモノの代わりにも
なりうるのだろう
ああ、あの人は
こんなくだらないことを考えていたのかとか
ふうん
あの時あんな風に悩んでいたのだなあ
とか
そんなことを考えていると
やはりこまめに自分の脳裏に
想起される玉石混交のイメージを
都度都度簡便ながらも
こんな感じで
記録にとどめておくということも
何かの役に立つのかもしれない
ただそんなことを想った
人間 何が起こるか分からないものね
いつ私が何になるか分からないし
何が起こるかもわからない
まあそんな人生だからこそ
人間懲りもせず
ひび健気に
よっこらしょと
生き続けられるのかなあ
1 件のコメント:
毎年正月に遺言を書き直すどっかの社長さんを思い出した。世間一般で言われる遺言書と異なり、『遺言』とは読んで字の如く『遺す言葉』である、と。その年を振り返り自らを省みつつ、現在の自分の考えや想いを身内または親しい人々に伝える良い機会となるそうな。俺のような筆不精には良いかもしれぬ。
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