人間も40年そこそこも生きていると
なんとなく世の仕組みのようなものがわかってくるだろうか
自分一個の人生の責任は
自分以外の誰も負ってはくれない
なにかしら他の人の眼をいつも気にしたりもするが
そんな主体のない他人の眼のようなものは
こちらの人生に対して
なんの責任ももたない
非常に無責任で放埒で無秩序で
なんの信頼性もない
となれば
他人の眼など正直なところどうでもよく
言葉悪く行ってしまえば
自分のいいように生きていくに如くはなし
と考えたりもする
その半面
公的な場所で
己の欲求のままに
やりたい放題しているような輩を見つけると
無性に腹も立ってきたりする
例えば銭湯における
皆の休憩のためにあるベンチに
放埒にも見苦しい体をよこたえ
自分だけの快楽をむさぼっている輩なぞ見ると
したたか横っ面を張り倒したくなる
なんとも自分自身
そこに基準みたいなものが
あるようでなかなかみつからない
人生も折り返し点にきたようで
そんなカンジで
真面目一辺倒でも
たかだかしれたものよと
なんとなく実感するものが生じてきたりして
それであれば
自分の欲することを
好きなだけやればいいと思ったりする
世間様にはご迷惑をかけない
という前提条件つきでである
うまいものも食べるべきであるし
行きたいとところにも
積極的に足を運ぶべきである
新聞欄にのる不幸な事故により生命を絶たれた人たちは
おそらくその瞬間に己の生命が終焉を迎えるなど
考えもしなかったであろうし
人生おそらくすべて死に向けて準備完了の元
死出の旅に出ルことなどありはしまい
とするならば
極端にいうと
明日の我が身とてなんの保証もないこの人生行路
生きているうちに
己が欲することを
勇気を持ってなすことが必要であるように思う
好きな本を読み
うまいもんをくい
楽しく談笑し
行きたいところに赴く
体を動かし
体をいたわり
人をいたわり
自分をいたわり
喜怒哀楽を楽しみつつ
日々を感受すべきなのであろう
そう
そんなことを風呂にて
おっさんのきたないケツを見ながら黙想した
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