2010年7月19日月曜日

人生たのし 

人間も40年そこそこも生きていると
なんとなく世の仕組みのようなものがわかってくるだろうか

自分一個の人生の責任は
自分以外の誰も負ってはくれない

なにかしら他の人の眼をいつも気にしたりもするが
そんな主体のない他人の眼のようなものは
こちらの人生に対して
なんの責任ももたない
非常に無責任で放埒で無秩序で
なんの信頼性もない

となれば
他人の眼など正直なところどうでもよく
言葉悪く行ってしまえば
自分のいいように生きていくに如くはなし
と考えたりもする

その半面
公的な場所で
己の欲求のままに
やりたい放題しているような輩を見つけると
無性に腹も立ってきたりする

例えば銭湯における
皆の休憩のためにあるベンチに
放埒にも見苦しい体をよこたえ
自分だけの快楽をむさぼっている輩なぞ見ると
したたか横っ面を張り倒したくなる

なんとも自分自身
そこに基準みたいなものが
あるようでなかなかみつからない

人生も折り返し点にきたようで
そんなカンジで
真面目一辺倒でも
たかだかしれたものよと
なんとなく実感するものが生じてきたりして
それであれば
自分の欲することを
好きなだけやればいいと思ったりする

世間様にはご迷惑をかけない
という前提条件つきでである

うまいものも食べるべきであるし
行きたいとところにも
積極的に足を運ぶべきである

新聞欄にのる不幸な事故により生命を絶たれた人たちは
おそらくその瞬間に己の生命が終焉を迎えるなど
考えもしなかったであろうし
人生おそらくすべて死に向けて準備完了の元
死出の旅に出ルことなどありはしまい

とするならば
極端にいうと
明日の我が身とてなんの保証もないこの人生行路
生きているうちに
己が欲することを
勇気を持ってなすことが必要であるように思う

好きな本を読み
うまいもんをくい
楽しく談笑し
行きたいところに赴く

体を動かし
体をいたわり
人をいたわり
自分をいたわり
喜怒哀楽を楽しみつつ
日々を感受すべきなのであろう

そう
そんなことを風呂にて
おっさんのきたないケツを見ながら黙想した

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