素朴に、あくまでも素朴に
社会的に何らかの信頼された論考を
後ろ盾にしているということなど全くなしに
あくまでも私見であるが
人を外見で判断するということが
どこまで正確にその人のことを
穿ち判断することができるだろうか
というのも
私は今夏休みの最中で
普段の会社に通勤するときの
それなりにスマートな外見からは
想像もできないような
半ば自然児のような風貌をしている
つまり髭は伸びて
顔は日焼けして
髪もボサノバ
今朝、鏡をみて
【こんな人とは個人的にあまりかかわりたくない】
と自分自身感じた
しかし
【こんな人とは個人的にあまりかかわりたくない】
と今朝、自分自身に
【外見で判断された】
私は、日常生真面目に会社に通勤している人間と
まったく同じ人間なのだ
自分としては
●人の気持ちがそれなりにわかっている
●そんなに凶悪なことはできない
●普通の常識的な判断はできる
●社会のなかで円滑に生きていけるよう最低限のマナーは承知している
と、自分自身では少なくとも自分を定義しているつもりだ
でも今朝私はそんな私を
【こんな人とは個人的にはあまりかかわりたくない】
と鏡を通じて外見で判断したのだ
ということは
普段自分なりに
【こんな人とはあまり個人的にかかわりたくない】
と判断してしまっている、
常日頃
私の目に映る人たちも
実は、外見とは違って
とても優しく、心強い味方になってくれる
可能性のあるひとなのかもしれない
逆に言うと
とても外見が見目麗しくさわやかで
【こんな人と個人的にお近づきになりたい】
と思わせられるような人も
実はどんな人間か
知れたものではない
ということは
やはり自分自身の見識のようなものを
日々養って
【人を見る目】というものを
より深く研ぎ澄ませるように
努力することが実は肝要なのかもしれませんな
私の夏休みはまだまだ続きます
明日もプール行くか!
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