2011年2月27日日曜日

駿台中山学生寮

東京に初めて出てきたのは
18歳のときである

人生で初めての大学入学試験で
望む大学の試験に見事敗退して
その年に間髪いれず駿台予備校に通うことを決めた

親戚の勧めでの駿台予備校。
その名すら知らなかったが
鹿児島から3月に上京。予備校の入学試験を受けることに決めた。

東京というと
鹿児島からはかなりの遠方で
鹿児島人以外の人との出会いは生まれてこのかたテレビ以外では初めてであり
不思議なことに当時、彼らが日本語を話して歩いていることを奇妙に思ったりした。
それほどの田舎ものだったのである。

東京のほうからしたら
鹿児島の方こそ異国に近いはずであり
今思えば彼らの吾を見る目も
一種異人を観るがごとくだったようにも思える


駿台予備校に入学できることになり
一年間のすみかは
駿台の寮ときまった。

千葉の下総中山という駅の近くに
駿台中山学生寮があった。

そこの入寮にも試験があったように思える

かの寮は歴史も古く
以後知りあった予備校の友人から
過去この寮には
芸能人の中村雅俊がいたとか
そのむかし浪人生活の苦労故自殺者がいたとか
そんな話を聞いた

寮の部屋は2人部屋で
私の同部屋の人は群馬から来たということであった

寮の部屋は
ドアを入ると両方に2段ベッドがあり
唯一のプライベートは
ベッドについているカーテン一枚で
その布切れ一枚で自分の時間を守るのである

同部屋のかれは群馬の前橋高校出身ということだった

群馬とは言えその発音は流暢な標準語で
それだけで自分の中に何かしら引け目のようなものが芽生えつつあった。

しかしながら今にして思えば
彼自身には私を上から見るなどという意地悪なものは微塵もなく
どうにか友好な関係を築こうと
なんどもこちらに手を差し伸べようとしていたように思える。
非常に優しい男だった。

こちらがわのかってな被害妄想なのである。

同部屋で同じ予備校で同じ教室となると
どうしても一緒に行動したくなくて
こちらは自然に外に友人を求めた。

かれは内向的な性格で
ベッドにカーテンをしめて
独り静かにラジオを聴きながら
少女マンガを読んでいた。

ときにラジオが面白いのか
マンガが面白いのか
深夜暗闇の中
こちらに気を使ってか、
音を絞って彼が独り笑うその声に
必要以上に憎しみを覚え
それ以来ほとんど彼とは話をしなくなり
ときに存在すら無視するような行動をとった。

今思いかえしてみると
彼は何時もひとりで
振り返ると何時もこちらを見つめていたし
その顔は頼りなげなそれでいて希うような
かぼそくやさしい笑顔であった。

食堂でも一人だったし
教室でも一人だった


そんな気の優しい群馬の孤独な男を
自分は徹底的に無視したし
新しくできた友人などに
自分の同部屋の人間が少女マンガを読むような
おかまのような奴であり

そんな不運なやつと同部屋に当たってしまった自分が
いかにかわいそうであり
それゆえ自分を同情してくれよというような不遜な行動をとった。


20年の歳月がたって
最近無性に彼のことが思い出される。

一年間一緒の部屋ですごしたくせに
かれがどのような進路に自分の未来の選択をしたのかも
わからない。

かれが何に悩み、何を夢に頑張っていたのかもわからない。

ききもしなかったのか、きいたのに忘れてしまったのか。


自分が鹿児島に帰ることも
彼に伝えただろうか。
かれはその時もやさしく微笑んでくれたのだろうか。


いま思えば
若さ故とはいえ、彼をしてとても傷付けてしまったように思う。

どうであろう。
かれはどう思っていただろう。
またやさしく微笑んで
そんなことはないよ、といってくれるだろうか。

一度かれに再会して
久闊を叙したい。

といえど
今になってしまえば
彼の名字すら忘れてしまったし

思い出すのは
自分の脳裏の中だけで微笑むかれの優しげでそれでいて孤独な表情と
直人という名前だけである。


再び会うことなどできはしないだろう。

青春のほろ苦い思い出である。

3 件のコメント:

黒田哲也 さんのコメント...

駿台中山学生寮で検索して辿り着きました。
僕もこの寮に居たんです。
プロフィールを拝見するに、昭和44年ということは僕と同じ年なので、ひょっとしたら同じ時期に寮で生活していたのかもしれませんね。僕は昭和63年からの1年間。A棟の3号室にいました。
同室の人との人間関係は確かに難しかったです。僕も最終的には3人の同室者2人と口きかなくなっちゃったから・・・いま会えば、そんな話も笑ってできる気がします。

すみません、不躾に。
ただ通り過ぎるのもなぁと思い足跡をつけるつもりでアレコレ書いてしまいました。

匿名 さんのコメント...

私は昭和46年4月からの1年間です。黒田さんのA棟3号って廊下から非常階段の方に向かって右側の一番端の部屋では?そこなら私も同室です。ドアから窓に向かって右側の窓際の机でしたよ。今PCで中山寮がどの扁だったか探してみましたがわかりませんね・・・。

通りすがりの者です さんのコメント...

文学的ですね。
柴田翔さんの「されど我らが日々」を思い出しました。