人間というのは
生物には違いないが
植物や動物と厳然に線がひかれているのは
理性を持っていることではないだろうか
もちろん動物も感情を持っているはずである
喜怒哀楽はあるに違いない
しかし人間には理性があるのである
理性があるとどうなのか
人間は
食欲 性欲 睡眠欲
ほか動物としての欲望をみたしても
何かしら一抹の寂しさを感じるのは
そこに正常な理性があるからではないのか
人間一個を生活させるだけの
経済的な物質はそこそこ満たされている
自分の身の回りを見回しても
明日食べるものもあるし
着るものもある
風雨を避ける家屋もある
聞きたい音楽もあるし
みたいテレビもある
それでも何かしら満たされないのは
理性が求めているからではないのか
そうであれば
その理性が求めているものとは何か
そこにその民族性があるのではないか
自分の祖国に貢献すること
自分の敬う人に尽力すること
自分の愛する人を守ること
いってみれば
動物的な欲望を『私』とすれば
理性的な欲求は『公』であろうか
自分一個の力がいくら微力であろうと
自分の祖国が何がしかの外来種に侵されんとするとき
大いなる憤りを感じるし
祖国を守るためには
己の力を振り絞って矛をたてたいとも思う
人間40にもなると
それなりに欲しい物も大方手に入る
あとは
己の理性を満たすために
如何に公に向きあってゆくか
そこに人間それぞれの役割がある
そこに生まれてきた意味もあるのではないか
ただ単にメシをくらい
性欲を満たし
睡眠をむさぼるだけでは
それは動物である
種を保存するという生物的な役割は果たせても
人間としての役割は
そればかりではないような気もする
まあ自分に子がいないゆえの
感懐かもしれぬが
そんなことをかんがえている
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