2010年10月23日土曜日

理性という公

人間というのは
生物には違いないが
植物や動物と厳然に線がひかれているのは
理性を持っていることではないだろうか

もちろん動物も感情を持っているはずである

喜怒哀楽はあるに違いない

しかし人間には理性があるのである

理性があるとどうなのか

人間は
食欲 性欲 睡眠欲
ほか動物としての欲望をみたしても
何かしら一抹の寂しさを感じるのは
そこに正常な理性があるからではないのか

人間一個を生活させるだけの
経済的な物質はそこそこ満たされている

自分の身の回りを見回しても
明日食べるものもあるし
着るものもある
風雨を避ける家屋もある
聞きたい音楽もあるし
みたいテレビもある

それでも何かしら満たされないのは
理性が求めているからではないのか

そうであれば
その理性が求めているものとは何か

そこにその民族性があるのではないか

自分の祖国に貢献すること
自分の敬う人に尽力すること
自分の愛する人を守ること

いってみれば
動物的な欲望を『私』とすれば
理性的な欲求は『公』であろうか

自分一個の力がいくら微力であろうと
自分の祖国が何がしかの外来種に侵されんとするとき
大いなる憤りを感じるし
祖国を守るためには
己の力を振り絞って矛をたてたいとも思う

人間40にもなると
それなりに欲しい物も大方手に入る

あとは
己の理性を満たすために
如何に公に向きあってゆくか

そこに人間それぞれの役割がある

そこに生まれてきた意味もあるのではないか

ただ単にメシをくらい
性欲を満たし
睡眠をむさぼるだけでは

それは動物である

種を保存するという生物的な役割は果たせても
人間としての役割は
そればかりではないような気もする

まあ自分に子がいないゆえの
感懐かもしれぬが

そんなことをかんがえている

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