2009年10月25日日曜日

秋の一言

秋の肌寒い昼下がり
家路に向かう途中で銀座を歩いた

日曜日の銀座は歩行者天国になっている

普段我が物顔で走っている車に
どちらかというと肩身の狭い想いをさせられている
歩行者にとって
銀座の道の真ん中を
大手を振って歩けるということは
それだけのことだけれでも
何かしらとても解放された気持ちになった


銀座を過ぎゆき
そのまま京橋日本橋の方面に向かうと
何かしらイベントをしているようだ

いろいろな団体が
この日のために特別に拵えた
素敵な衣装に身をまとって
晴れ姿を披露している

参加している中学生のブラスバンドが
行列もしっかり一所懸命に演奏をしている

先頭に歩いている女の子は背筋をしっかりと伸ばし
恰好よくバトンを振って
それに連れて子供たちがそれぞれの楽器を
重そうに担ぎながら演奏をしている


何かしら30年ほど前の
自分の若き往時を思い出し
人知れず目頭が熱くなった

曇天のなか
雨が泣き出さずによかったね

この日の晴れ舞台に向けて
いろんなところで
いろんな人たちが
それなりに訓練をしてきたのだろう

その晴れ舞台の日が
今日だったのだろう


そんなことは露知らず
何気なく歩いていた私

そんな気まぐれな一期一会を
少し感じ入る秋の季節である


大いなる頂に至る時もあれば
谷底深い底辺に想いが至ることもある
それは人間だからですよ

と誰ぞの言葉に目がとまった

まさにその通りで
昨日あれだけ気持が高揚していたかと思うと
今日はどん底に気分が落ち込んで
何もかも破れかぶれで
自分には
できるものなぞ何にもないのかもしれない
と心が大きくぶれることがある

でもそんなこと
人間故の当然の起伏ですよというのだ

そうか
そうだよねと
何かしらその言葉に
自分なりに得心した

それなりに時節を過ごし
人生行路をあるていると
当然のことながら
いろいろなことがある

そういえば
こんなことも聞いた

ひとは誰でも
自分のオアシスを足元にもっているのだよ

そうかもしれない
ひとはオアシスという名の幸せを求めて
飽くことなくどこかに歩み続ける

ここではないどこかに
何かしらの自分にとっての
幸せがあらんと
根拠のない希望をもって
さまよい続ける

しかし実は幸せは自分の足元深くにあるのですよ

そう、あるにはあるが
それはそう簡単には見つからないくらい
深い深いところにあるという

今自分の人生は幸せだよといった
わけもわからずただやみくもに生活に追われて
始めた習字の教室
その教室を軸に動いている自分の人生は
確かに幸せだと最近確信できつつあるという

だけどそんなとても小さな小さな幸福感を
しかと感じるごとく見つけるには
30年以上の長い歳月がかかったね
と少し感慨深くつぶやいた


そんなことを 鹿児島の母から聞いた

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